#食料自給率を高めるカギは学校給食だ!
関連する目標:  
文責:ナガクルソーシャルライター 吉田 百助
 2020.2.29

国内の食料消費の63%が国内でまかなえていない

「平成30年度のカロリーベース食料自給率は37%」と、農林水産省のホームページを見るとある。食料自給率とは、国内の食料消費が、国産でどの程度まかなえているかを示す指標だとしている。

つまり国内の食料消費の63%が国内でまかなえていないということだ。食料自給率の⻑期的推移を示すグラフで前述したカロリーベースは、中ほどの青線。年々下がっているのが分かる。

農林水産省ホームページ「食料自給率とは?」より

 

同省のホームページには「先進国と比べると、アメリカ130%、フランス127%、ドイツ95%、イギリス63%となっており、我が国の食料自給率(カロリーベース)は先進国の中で最低の水準」とあり、下のグラフも示されている。(なぜ1位のカナダと2位のオーストラリアを除くコメントになっているのだろうか)

 

国別グラフ

 

日本の食料施策とその結果分析に疑問

食料自給率が低下した説明を同省は「平成30年度においては、米の消費が減少する中、主食用米の国内生産量が前年並みとなった一方、天候不順で小麦、大豆の国内生産量が大きく減少したこと等により、37%となりました」とし、米の消費減少と天候不順が原因らしい。

平成27年3月に策定された「食料・農業・農村基本計画」では、食料自給率の目標として、「供給熱量ベースの総合食料自給率を平成37年度に45%」を掲げているが、その達成に向けて国がなにをしてきたのか。この一年どういう策をもって何をしたのか、その成否の結果が数字として表れたという説明があってもいいのではないか。国の策を抜きにして、天候不順のせいにしたような説明は納得しがたい。

不可解な説明は、同省の別資料「平成30年度 食料自給率・食料自給力指標について」にもある。「食料自給率は、米の消費が減少する一方で、畜産物や油脂類の消費が増大する等の食生活の変化により、長期的には低下傾向が続いてきましたが、2000年代に入ってからは概ね横ばい傾向で推移しています」と、食生活の変化が要因になっていて、ここにも国の策は見られない。

そもそも1期前の平成22年に策定された同基本計画では、「平成32年度の供給熱量ベースの総合食料自給率50%」と目標を設定していたにも関わらず、その目標を下げてもなお達成への道筋はまったく見えていない。
その一方で、食生活の変化がなぜ起きたのか歴史をさかのぼると、はっきりとした国の策が見えてくる。

 

米の消費が減少する代わりに増えたのは、小麦

団塊の世代には懐かしいコッペパンが、国民の食生活を変える一因になった。学校給食のはじまりである。全国学校給食会連合会のホームページ「学校給食の歴史」によると、昭和25年7月、「8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施」とあり、翌年から全国すべての小学校が対象になる。昭和31年には、「『米国余剰農産物に関する日米協定等』の調印により、学校給食用として小麦粉10万トン、ミルク7,500トンの贈与が決定される。」とある。

贈与とは気前が良いなと思っていたら、アメリカは1954年(昭和29年)に農産物を輸出する法案PL480法「農業貿易促進援助法(余剰農産物処理法)」を成立させていた。大量の余剰農産物の保管に係る経費が莫大で、国家財政が危機的状況にあるから輸出しようという法律であった。
なんとアメリカの余剰農産物を消費するために、日本の学校給食が利用され、それまでの米食からパンへと日本人の食生活が大きく変えられてしまった。はじめは「贈与」だったが、それから日本はアメリカの余剰小麦を買い続け、現在では輸入小麦の51%がアメリカ産になっている。(財務省「貿易統計」より)
コッペパンととも懐かしい脱脂粉乳も、アメリカが抱えていた膨大な余剰物資だったらしい。

もうひとつ、昭和30年頃から日本人の食生活を大きく変えた運動があった。「1日1回はフライパンを使う」という「フライパン運動」だ。「米では栄養不足になる」というネガティブキャンペーンの一方で、「高カロリーの油を使え」、「もっと粉食を」と、厚生省がつくった財団法人日本食生活協会の「栄養改善車(キッチンカー)」が全国を駆け回った。

食の風土記より

写真は「信州ながの食の風土記-未来に伝えたい昭和の食-」長野県農村文化協会編より、「キッチンカーで油を使ったフライパン料理の実地指導(昭和30年代、松代町にて)」

キッチンカーの写真は、公益財団法人 日本栄養士会のホームページにある「沿革」内で見ることができます。昭和29年7月

「偏りがちな栄養を正しく摂取するために」と、パンケーキやスパゲティ、ベーコンエッグ、オムレツなどの調理を実演し、油料理を勧めるキッチンカー。学校給食で小さな頃からパンと牛乳を当たり前に食する子どもたち。それまで日本の食卓になかったカタカナ料理が大々的に普及し、小麦と油、肉、卵、乳製品などの消費が伸びていく。国の策によって、日本人の食生活が大きく変えられた。
油脂の原料となる大豆は現在、輸入量の72%がアメリカ産。畜産物の飼料となるトウモロコシは、輸入量の92%がアメリカ産になっている。(財務省「貿易統計」より)

 

学校給食にご飯

昭和50年代になって学校給食にご飯が登場する。導入の理由は、子どもたちためではなかった。当時、食糧管理制度による政府全量買入の下で政府在庫に膨大な過剰在庫(昭和40年代に第1次過剰、昭和50年代半ばに第2次過剰)が発生し、古米・古古米と積み重なる過剰米の処理に困った政府が学校給食への利用をはじめたためだ。
昭和30年代にアメリカの過剰小麦を処理し、次に国内の過剰米を処理する役目を負わされた学校給食。米の生産調整(減反)が本格的に開始されたのも、この頃だった。

 

変わりはじめた世界の学校給食

近年、学校給食に新たな取り組みが見られるようになった。アメリカでは、「ミートレス・マンデー」に取り組み、月曜日は「肉を使わない給食」を提供している。フランスでは、「週に1回のベジタリアン給食」。韓国では、有機農産物を用いた学校給食の無償化へ動き出した。(詳しくはWEBで検索を)
ミートレスもベジタリアンも、脂質と油を摂り過ぎている子どもたちの健康を改善し、畜産業が排出する二酸化炭素を抑制して地球温暖化対策に貢献することができる。もとは、イギリスのミュージシャンであったポール・マッカートニーらの呼びかけで2009年から始まった「ミート・フリー・マンデー(週に1度は肉を食べない日を設けよう)」という活動だった。

カロリーベース食料自給率が37%にまで下がった日本。過剰農産物の処理に利用され変遷してきた学校給食が、次に目指すのはなにか。世界の動きにならってミートレスと有機農産物の利用に取り組めば、子どもたちの健康と地球の未来のためになる。地元の農業者が子どもたちのためを思いながら丁寧に育てた作物を学校給食で提供すれば、地域に活気が生まれる。それまでどこかへ支払っていた給食費が地元の農業者へ支払われるようになれば、経済の地域循環も生まれる。

農薬と化学肥料で育てた栄養価の乏しい作物。まるで工場のような畜産。残留する化学物質やホルモン剤。超加工品と言われる添加物だらけの食品。産地や素材が分からない加工品。遺伝子組み換えやゲノム編集技術を使った未知の食…。
現代社会に溢れる「子どもたちに食べさせて良いのか?」と疑問視せざるを得ない食を避けるためにも、地元で育てた有機農産物を学校給食で提供すべきだろう。

若いうちから生活習慣病(予備軍)に悩まされ、「2人に1人が、がんになる時代」と当たり前のように言われている日本人。(詳しくはWEBを参照)

一般財団法人 日本生活習慣病予防協会

公益財団法人 日本対がん協会

米からパンへ、油と肉の大量消費へと食生活を大きく変えてきた国策の歴史がありながら、現在の政府は食料自給率の低下を横目に思い切った打開策を打ち出すこともない。
日本には、世界無形文化遺産になった「和食」がある。先人たちの長年の知恵が詰った郷土食伝統食ひらがな料理がある。味噌や納豆など体に良い発酵食品がある。世界が着目する健康的な「和食」を本家の日本人が見失ってはならない。
子どもたちのために、できること。国の策を待つことなく、地域からできること。
学校給食で変えられた食生活であれば、もう一度学校給食を変えればいい。キッチンカーが有効であれば、地域に走らせればいい。国全体の数字は上がらなくても、地域の食料自給率を高めることならできる。

2020年2月に発足した「信州オーガニック議員連盟」の活躍に大いに期待する。
信州オーガニック議員連盟 結成、NPOとコラボに期待

文責:ナガクルソーシャルライター 吉田 百助

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

 

#健康づくりは、子どもの頃からの食育の積み重ねが大切
関連する目標:  

今、子どもの食が危ない! 食育の積み重ねを

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文責: ソーシャルライター 野菜ソムリエプロ:増田朱美
 2020.2.17

今、子どもたちの食が危ない。

 

2020年1月29日、長野県長野保健福祉事務所を会場に

「令和元年度長野地域 健康づくり・食育フォーラム」が開催された。

このイベントを通して、長野県における子どもたちの食育の重要性を考えたい。

NPOと行政が手を組んで、子どもたちの食育を支える必要性があるのではなかろうか。

長野県が独自のアンケートを実施し策定した

「長野県こども若者支援総合計画 ~子ども若者未来の応援~2018-2022」

を見ると・・・・・

小中学生の9割は朝食をとっいてる一方で、

約半数しかバランスの良い朝食を摂れておらず、約2割の児童生徒が、

副菜なしの朝食となっているなど、

望ましい食事内容となっていない子どもがいたとしている。

1月29日の健康づくり・食育フォーラムの冒頭、

長野県立大学健康発達学部長:笠原賀子氏は

「持続可能な食育の推進にむけて ~地域の野菜と果物で健康づくり~」の

をテーマに講演を行い、

SDGsの17の目標すべてが「食」に関連している。

その中、長年の生活習慣は変えないほうがよい。

それには、幼少期からの生活習慣を教育で積み重ねていくことが大切と提起した。

 

 

続いて長野地域(長野市、須坂市、千曲市、坂城町、小布施町、

高山村、信濃町、飯綱町、小川村)で

              日頃の「信州の食でつながる 人づくり・地域づくり」を テーマとして

食育活動を発表する3団体が発表。

長野市を活動拠点とし、10年間食育活動を続けている、

NPO法人「食育体験教室・コラボ」理事長の飯島美香さんは

「朝、味噌汁飲んできた人?と子どもたちに問うと、

クラスの半数以下しか食べていない。

私たちのNPOはこれからの未来を生きる子ども達が

自らの力で生き抜く術を身に着けるお手伝いを活動をしている。

子どもと母親に寄り添い続けている

と発表。

このNPOはキッズファーム、弁当の日応援プロジェクト、

おでかけみそフェスタ、和食の日などの取組をしている。

味噌の生産量日本一の長野県。

このイベントで健康効果も説明しながら「みそボール」づくりを出展。

子どもでも手軽に作ることができる「みそボール」は、様々なイベントで大好評だ。

 

また、信濃町立柏原保育園での取組「地域の文化にちなんだ活動と献立」

信濃町教育委員会管理栄養士:小林真澄さんより紹介された。

 

信濃町に生まれた、俳人:小林一茶にちなんだ献立を取り入れている。

1例として、5月5日は、一般的には「こどもの日」だが、一茶誕生の日。

子どもたちに、「5月5日はなんの日?」と問うと、

「一茶の誕生日!」と答えるまでになっている。

 

 

 

 

もう1団体は、飯綱町食生活改善推進協議会。

会長:黒栁美和子さんから「地域に密着した食育活動」として、

2歳児向けの食育シアターの実施、

男性向けの料理教室など、地域に密着した活動が報告された。

 

課題は、会員数の減少と会員の高齢化と

農繁期に活動できる会員が限られてしまうこと。

 

「今後は、子どもを通して、子育て世代の保護者にも向けた

食育活動の実施に力を入れたい」と述べた。

 

このフォーラムは、

長野地域振興局を中心に、

おいしい果物を活かした地域活性化を図る「長野果物語り」を展開している中、

地域の特性を活かしながら、健康づくりと食育、

そして地域づくりの推進を図る目的で、

長野県長野保健社会福祉事務所の主催で開催されたもの。

 

会場には、食生活改善推進業議会、

農業委員、栄養士、JA職員などの160名ほどの大人に混じり、

教師の引率のもと、食を勉強している高校生も参加している姿も見られた。

 

開会前には、須坂健康スムージー等の試食提供や、

フォーラム途中に健康体操の実演も行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

現在、小児生活習慣病が増えている。

朝食や昼食などの欠食や、野菜類が少ない偏った食事などの要因により、

小児肥満に加え、栄養失調も起因の一つと言われている。

 

 

これを機会に、

それぞれの団体が繋がり、それぞれの実績等を共有し、

食育活動の輪が広がることを期待したい。

 

 

「子どもに伝える」

 

 

 

小さなうちから食事の大切さを伝えていくことは

大人の大切な役目であると思われる。

 

ほんの少し前まで食事は各々「箱膳」を使っていた。

そして小学生になると自分専用の「箱膳」が与えられる。

 

食事をしながら作法、食事の内容、

その食事に関わっている多くの人達に感謝の心等も

大人から子どもたちへ伝えながらだったという。

 

 

長野地域及び長野県内の子ども達は

もっと健やかに過ごすことができ大人となり、

そして将来、自身が子どもを育てるとき、

それを継続して伝えていく大人となることを期待したい。

 

(文責: ソーシャルライター 野菜ソムリエプロ:増田朱美)

 

 

 

 

 

 

 

 

ナガクルは国連が提唱する

「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。

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#生物浄化法による安全な水
関連する目標:  
ソーシャルライター 吉田百助
 2019.11.6

海外を旅行する際、生水を飲まないように注意を受ける。現地の水が合わずにお腹を壊すことがある。水道水が飲める国は世界でも十数カ国しかなく、蛇口をひねれば「きれいな水」が出る日本は希少な国。
ユニセフ(UNICEF:国際児童基金)のホームページには、「2017年時点、世界では22億人が安全に管理された飲み水を使用できず、このうち1億4,400万人は、湖や河川、用水路などの未処理の地表水を使用しています」とある。下グラフ参照

SDGs(持続可能な開発目標)のゴール6「安全な水とトイレを世界中に」のターゲット1は、「2030年までに、すべての人々の、安全で安価な飲料水の普遍的かつ衡平なアクセスを達成する」こと。水質の安全性に加え、必要な時にいつでも手に入れられる「安全に管理された水」を求めている。

安全な水、きれいな水、おいしい水を目指したみなさんの活動を表彰するとした「第21回日本水大賞」(主催:日本水大賞委員会/国土交通省)で2019年6月25日、「生物浄化法による安全な飲料水の普及」で国際貢献賞を受賞した中本信忠さん(信州大学名誉教授理学博士、NPO地域水道支援センター理事、NPO沖縄Blue Water理事)。同氏が案内する現地見学会があると聞き、長野県上田市を訪ねた。

1923年(大正12年)に建設され96年目になった現在も現役の染屋浄水場

水をきれいにする浄化のしくみ
「水が第一」にちなんで毎月第一水曜日(2019年は11月5日で終了)に見学会を開く上田市の染屋浄水場(上田市古里2250)。場内を見学しながら、中本信忠さんの説明を受けた。
同場の浄水方法は「緩速(かんそく)ろ過法」と呼ばれる。戦前の浄水はほとんどこの方法で行われていたそうだ。国内外で「小石や砂の層による物理的なろ過(砂の層にゆっくり水を流すことによって浄水する仕組み)」(英名Slow Sand Filtration)と考えられていた。
中本さんは長い研究の末、水をきれいにしていたのは砂ではなく、水中の多様な生物たちであることを発見した。砂の間に棲むバクテリアやプランクトン、藻など顕微鏡で見ないとわからないほどの微小な生き物が、水に含まれる不純物や濁りを体に取り込み、排せつ・発酵・捕食といった食物連鎖を繰り返して細菌やウイルスまで分解・除去している。「砂の層の表面にすんでいる生物群集の働きによって、水の汚れや雑菌を除去している」とし、名称を「生物浄化法」(英名Ecological Purification System)とした。

写真右から二人目、ハンドマイクをもって案内してくれた信州大学名誉教授の中本信忠さん。世界各地の浄水場で生物現象を調査し、生物群集による浄化の仕組みと方法を世界中で指導している。

コストいらずでエコな施設
この浄化場での人の役目は、生き物にやさしい環境を守ること。薬品も機械も電気も使わない施設は低コスト・省エネで、維持管理もメンテナンスも容易。自然の力を活かすだけで機械を使っていないので災害に強く、停電になっても断水することがない。薬品を使わないので、水道管などの設備が痛まず長持ちする。まさに持続可能な仕組み。簡易な施設であれば現地にある材料で手造りすることができるスマートテクノロジー(賢い技術)として、世界中に広がっている。
詳しい様子は、中本信忠さんのブログでさまざま紹介されている。


染屋浄水場の浄水濁度は0.000度。水道水基準で定められた浄水濁度2.0度と比べると、ものすごく いい水、安全・安心な水なのがわかる。口に含むと、とてもやわらか。口の中を刺激するものも匂いもなく、のどにしみ込むようなおいしさが広がる。

日本の主流「急速ろ過法」
日本の水道水を供給する施設の多くは、1960年から70年代に造られた「急速ろ過法」という方式を採用している。
川から取り込んだ水に凝集剤(ポリ塩化アルミニウム)を加え大型の機械で攪拌して濁りを沈め、臭気を活性炭で吸着し、塩素を加えて消毒。さらに薬剤処理で発生した大量の汚泥を処分しなければならないのが「急速ろ過法」。戦後「化学薬品が万能」と言われた時代から大量の殺菌剤などを使い、浄水場に藻が繁殖しないよう殺藻剤をまいた。
1974年には、アメリカの消費者団体が「急速ろ過処理では腐植物質が塩素と反応し発ガン物質が生成している」と警告し、大きな問題になったそうだ。(中本信忠さんの著書「おいしい水の探求-2」より)
日本の水道水の消毒に使用される塩素は、水道法で各家庭の蛇口で1リットルあたり0.1mg以上の濃度を保つように規定されている。一方、塩素が有機物と化学反応することにより、カルキ臭が発生するほか、発がん性が疑われるトリハロメタン(トリハロメタンのうちクロロホルムおよびブロモジクロロメタンについてはIARC(国際がん研究機関)においてGroup 2B(発がんがあるかもしれない物質)として勧告)を生成すると言われている。
さらに、大量に使用する薬剤は、機械や水道管などの設備も痛める。機械設備の維持・修理と交換・更新にも多額の費用と手間がかかっている。
ここまで聞くと、染屋浄水場の「生物浄化法」とは真逆な高リスク高コストの方法にしか思えない。

水道法の改正で水道事業はどうなる
2019年10月、水道基盤の強化を理由として「改正水道法」が施行された。老朽化した機械施設や水道管の更新などに多額の費用がかかる一方、人口減少に伴う水使用量減で水道料の減収が見込まれることから、水道事業に民間企業の参入を促すことを目的にしている。施設を自治体が持ちながら経営権限を民間へ売却する「コンセッション方式」の導入や、市町村の枠を超えて経営の一本化を探る「広域連携」といった検討がはじまっている。
世界を見ると、水道事業の民営化は1990年代に世界銀行とIMFなどの国際金融機関が水道民営化を債務国への融資条件としたことで各国に拡大していった。
ところが、PSIRU(公共サービス国際研究ユニット)のデータによれば、2000年から2015年の間に37か国235都市が民営化した水道事業を再び公営化に戻している。主な理由は、①水道料金の高騰、②財政の不透明性、③劣悪な運営、④サービスの低下など。民間企業側は、契約打ち切りで予定していた利益が得られなくなったと違約金の支払いを求め、アメリカのインディアナ州は仏ヴェオリア社に2900万ドル(日本円で約29億円)を支払っている。

中央の「ろ過池」には藻が繁殖している。光合成で酸素を生産し微小生物が活躍しやすい環境をつくっている。

気候と自然に恵まれた日本は、水にも恵まれている。多様な生き物の力を活かした「生物浄化法」は、環境にやさしく、経済的な負担も少ない。世界が認める持続可能な仕組みが長野県にある。生きるために欠かせない命を支える水を再認識し、これからの水道事業のあり方を注視していきたい。
(文責:吉田百助)

 

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#成人移行期支援始まる

小児患者から成人へ 「成人移行期支援」とは?

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文責:西山春久
 2019.3.21

現在、移行期支援というワードが全国の小児医療の中で大きな話題となっている。

小児期に慢性的な治療を要する病気を発症した患者が成長し、成人科医療へとシフトしていくことをいう。近年の医療技術や薬品技術等の進歩により、今まで治らないとされてきていた小児慢性期疾病(子どもの時より長く治療や管理が必要な病気)が緩和、治療できるようになってきた。

一方、小児から成人への切り替えができていないため、現在小児科が飽和状態になっている。

具体的な数としては、2016年に全国で多くの難治患児を診る医療機関5施設を調査した結果、通院入院含めた全患者の内、移行期支援の対象者とされている15歳~19歳が8.5%、20歳以上は4.8%となっている。その数は年々増えてきており、30、40代になっても小児科に通っている人もいる。

移行期医療の課題は、医療側と患者側の両面にある。

医療者側の主な課題は、①患者の加齢に伴う症状や合併症の変化への対応が確立されていない、②小児科の専門外である子どもにはみられない病気(成人病等)を発症した場合の対処が十分できない、③先天性の難治疾病を診る成人科医師が少ないなどが挙げられる。

患者側の課題は、①幼い時から信頼している医師にずっと診てもらいたいという希望と、いつまでも小児科には通いたくないという葛藤②年齢が成人領域に入ったという理由で主治医を変えさせられるのではないか不安などが挙げられる。患者・家族ともに幼い頃からの環境からの脱却ができていないことも理由のひとつだ。

移行期には成人科の医師に対する小児慢性疾患への知識・経験の付与、小児科医と成人科医師との連携、移行に向けた患者・家族への教育などが求められる。

症状をトータルで診る小児科と異なり、成人科は各科の専門性が強い。

小児科の時は、主の病気のついでに別の症状も診てくれることがあるが、成人では難しい。そのたびに別な科を受診する必要がある。

採血や点滴をとる時も、小児科では針を一度刺して、そこから採血と点滴の確保を両方行うが、成人科では採血と点滴をとるのは別なことが多い。

こうした小児科と成人科との間にあるギャップに悩む患者や家族もいるのだ。

長野県立こども病院では2018年4月2日より、「成人移行期支援外来(現在循環器の元木医師の外来については成人先天性心疾患外来(成人先天心)へ名称変更された)」が始まった。患児が自分の病気と向き合いながら理解を深め、成人科・小児科の医療者と連携しながら、自立と社会参画を計画的に支援していくことが期待されている。

(文責:西山春久)

 

 
 

 

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#認知症グループホームの一つの現実
寄稿:そよかぜ
 2019.3.15

私の母は83歳、認知症。13年前父が急逝してから少しづつ症状が出始めデイサービス2ヶ所を経て今のグループホームで生活して2年になる。

日本認知症グループホーム協会によると認知症グループホームは「認知症の人にとって生活しやすい環境を整え、少人数の中で「なじみの関係」をつくり上げることにより、 生活上のつまづきや認知症状を軽減し、心身の状態を穏やかに保ち、過去に体験した役割を見出すなどして、潜在的な能力に働きかけ、認知症の人の失いかけた能力を再び引き出し、本人らしい生活を再構築することが可能」としている。できることは引き続きやりつつ、少しづつできなくなっていくことはまだできる人や施設職員の手助けを得て母らしく生活していけるようにと、当時入居できる施設を探したが現実には多少の手助けで生活できる人より身体的に常時介助の必要な高齢者が入居しているケースが多かった。母のように膝も腰も年相応にあちこち痛い程度の者は入居優先度が低い。

長野市では65歳以上の高齢者の独居もしくは夫婦世帯が51%を超えている(2015年・長野市「あんしんいきいきプラン21」)。少子化と晩婚化の中で、子育てをしている家庭に高齢の親を迎えて暮らすのは実際相当難しい。北欧デンマークやスウェーデンでは同居率は数パーセントしかないという(「諸外国における介護施設の機能分化等に関する調査報告書」厚生労働省)。介護や福祉の社会化が進んでいるのだ。日本もそういう社会を目指しているが、長野市のデータで見ると高齢者福祉施設の定員のうち半分以上は特養や老健などの介護保険施設が占めている。これらの施設の利用は介護度の高い人であり、母のような介護度の低い認知症に対応するグループホームは2017年度末で定員は780人、この先3年の整備計画でも90人の増加にとどまっている。

 

介護施設職員の待遇と離職率

そして施設の担当職員はよく変わる。2017年の介護施設職員の離職率は16.7%(介護労働安定センター調査)、6人に1人はやめてしまうのが現状で、私が把握しているだけで、退職のほか系列の施設への移動という名目も含め母が入居してからの2年間に18人の職員のうち56人の職員が入れ替わっている。このグループホームは1ユニット9人で2ユニット18人が入居しているが、平屋ではないため入居者同士の12階の交流はほとんどないが職員の交代はよくある。入居者全体を職員全体で見る、という説明だが私も母も少し慣れたと思うと別の階の担当になりましたと挨拶されたりする。施設長との面談の中で「どうしても若い人は続かない、給料が安いから。これから結婚を考えている人や子育て中の家庭の人は辞めていく」と話してくれた。

 

実際厚労省の調査によると、10年以上勤務する介護職員の給料の平均は20179月時点で326,620円だが、政府は「人づくり革命」として2017年12月、10年以上同一の事業所で働く介護福祉士の給料を月額8万円アップを目指すと発表し、2018年10月の社会保障審議会介護給付費分科会では、2019年10月以降の新たな処遇改善の方針が提示された。実際の現場では就業10年以内の若い人たちが数多く働いていて、その世代の給料アップにはなかなかならず決して十分とは思えないが、認知症が今後増えていくと言われる中で、介護職員の職場環境が少しでも長く働ける方向に変化していくことは意味のあることだと思う。

(執筆:ペンネームそよかぜ)

 

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#皆が共に生きる社会へ
関連する目標:  

障害のある人もない人も共に生きる社会の実現を目指して

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文:川崎昭仁
 2018.4.18

「なくならない差別」

 公平で平等な社会を目指す上で差別解消は欠かせない要素である。しかし、現在から過去の歴史をさかのぼってみても差別のない時代はない。性別・年齢・国籍・宗教など、身近な小さな事から国際的な事まで様々な問題がある。
 ここでは障害者の差別について考えたい。

「障害者差別の歴史」

 これまで「障害者」は“保護”される存在で、その実態は施設等への“隔離”になっていた。1957年、脳性麻痺の障害当事者を中心に「青い芝の会」が発足。これを機に、各地で障害者の社会運動が活発に行われるようになった。しかし、その過激な活動故に障害者に対する差別意識を高める一面も否めなかった。
 1975年12月9日、国際連合総会において「障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する」という障害者の権利に関する決議(障害者の権利宣言(Declaration on the Rights of Disabled Persons)、国連総会決議3447)が採択された。
1982年に障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とし「障害者に関する世界行動計画」が採択され、これを記念して1992年には毎年12月3日を「国際障害者デー」にすると宣言された。これを機に3~9日までを「障害者週間」とし、「障害のある人もない人も“障害”について考えよう」という動きが始まった。

「地域移行」

 2003年4月、「支援費制度」が施工された。
 同年10月、長野県では知的障害者の大規模総合援護施設である「西駒郷」入所者の地域生活移行への取り組みを積極的に始めた。この動きは県内の市町村・社会福祉法人・NPO法人にも波及し、各地でグループホームの運営や相談支援事業を行う法人が増え、障害者の地域生活移行は急速に進んだ。

「障害者権利条約」

 地域生活移行が進む中、障害者の権利擁護への取り組みはというと、「思いやりの心、差別のない心を育てましょう」等の標語に代表されるような「あなたの心の問題」として人権啓発や社会常識、個人の行動規範に委ねられているのが現実で、日本には何が障害を理由とした差別であるかを具体的に明らかにした法律も条例もなかった。
そんな従来の権利擁護の在り方を転換するきっかけとなったのが2006年12月、障害者の差別撤廃を目指し国連総会で採択された障害者権利条約である。
条約の交渉過程で注目されたのが、「私たちのことを決めるのに私たち抜きで決めないで(Nothing About Us Without Us)」という今まで障害者施策の決定に関与できずにいた各国の障害者の発言だった。障害者は、平等に発言し、非公式協議の場にも参加した(日本からは特別委員会に約200名の障害者やその家族の方が政府代表と共に派遣された)。
この結果、日常生活の中で最も切実に問題を感じている人たちの知恵や経験が条約に反映された」と当事者参加の意義と成果を強調している。

「医学モデルから社会モデルへ」

 障害者に関する法は、リハビリテーションや福祉の観点から考えることが多いが、障害者権利条約は国際人権法に基づいて人権の視点から創られ、これまで149カ国が署名し101カ国が批准している。日本も2007年9月に署名しているが、国内法の整備等のため批准には至っていなかった。
2011年7月に障害者基本法が改正され、第1条目的に「共に生きる社会の実現」の文言が書き込まれた。
これによって「障害に対する考え方が社会環境との関係が考慮されずに個人の障害だけに視点をおいた“医学モデル”」から「個人と社会環境に着目し、社会環境にその原因があり、社会のあり方が問題とされる“社会モデル”」へと変わり、差別の問題が見えてきた。

 

医学モデル 社会モデル
・障害というのは障害者個人の問題だとする考え方。
・社会的不利益が起きている原因は、足が動かないとか目が見えないといった機能障害や、能力障害にある。
・この考え方では、社会的不利益の原因は、社会にあるということにはつながらず、人権問題にはならない。
・障害者は、保護の対象でしかなく権利の主体という概念は生まれない。
・障害は社会の側にあるという考え方。
・車いすの人が2階にいけないのはエレベーターがないためであり、エレベーターが設置されれば1人で2階にあがれるので、障害はなくなる。
・このように、機能障害に着目するのではなく、個人と社会環境とに着目し、制約を生んでいるのは社会環境に問題があるという考え方。

(JIL/DPI条例プロジェクト資料より)

「改正された障害者基本法のポイント」

①相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現
②障害者の定義変更
障害の定義は医学モデルから社会モデルへ変更
障害者の範囲の拡大 身体、知的、精神、発達、その他、心身の機能の障害がある者
③差別の定義
社会的障壁とは、障害がある者にとって日常生活や社会生活を営む上で障壁となるような社会の事物(物理的な障壁)、制度、慣行、観念(偏見・差別意識等)その他一切のもの策の基本である。

「県外の主な取り組み」

千葉県 障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県作り条例
北海道 北海道障がい者及び障がい児の権利擁護並びに障がい者及び障がい児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例
岩手県 障がいのある人もない人も共に学び共に生きる岩手県づくり条例
さいたま市 さいたま市誰もがともに暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例
熊本県 障がいのある人もない人も共に生きる熊本県づくり条例
八王子市 障害のある人もない人も共に安心して暮らせる八王子市づくり条例

「障害者差別をなくすための条例のポイント」

①障害の定義  社会モデルに基づき救済対象を幅広く設定

②差別の定義  社会モデルに基づき何が差別か具体的に定義

③相談体制と救済機関の設置、 処罰を求めるものではなく、話し合いによる解決の場の提供

④地域の意識改革 差別の温床の改善、啓発表彰等

「障害は社会にある、変わるべきは社会である」

2012年10月に「障害者虐待防止法が施工され、2016年4月に「障害者差別解消法」が施工された。しかし障害を理由とする差別や偏見が、あると思うか? 障害のある人は「少しあると思う」を含めて84.9%が、国民一般向け調査でも「少しあると思う」を含めて91.5%が「ある」と答えている(2009年度に内閣府が、障害のある人向けと国民一般向けに行った障害を理由とする差別に関する意識調査)。
障害のある人もない人も共に生きる社会の実現には、医学モデルの発想が深く浸透した地域社会そのものを変えていく必要がある。ノーマライゼーションからインクルージョン、バリアフリーからユニバーサル、そして医学モデルから社会モデル。多角的かつ個を尊重する時代であり、今やっと障害者への差別意識が変わろうとしている。キーワードは「障害は社会にある、変わるべきは社会である」と言えるだろう。

#消える人と人とのつながり
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消える人と人とのつながり

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文:亀垣嘉明
 2018.4.14

自治会の加入率に見る「人と人とのつながり」

自治会や町内会の加入率は全国の自治体で軒並み低下。

長野県内では...

長野市96.1% 須坂市98.3%と高率の一方、南箕輪村では67.2%

南箕輪村は全国でも珍しい人口増加中の村なのに加入率が低迷しています。

今、加入率が高い県内の他の市町村も安心はできません。

地域の象徴的な存在であった自治会や町内会ですが、そのあり方や内容が現代にマッチしているのかという議論はさておき、人と人をつなぐ一つの形である事は確かです。

大阪商業大学(JGSS研究センター)の2010年日本版総合的社会調査によると、20歳~39歳の青年男性で「過去1年間、必要なときに心配事を聞いてくれた人はいますか?」という問いに14.6%の人が「いいえ」と答えています。

つまり、約7人に1人は誰も心配事を言える相手が居なかった事になります。

しかし一方で「何かにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人の割合は年々減少しています。

NHK放送文化研究所 第9回日本人の意識調査より

新たなつながりを模索する必要がある

ただ、この調査結果が現代人が「相談する人がいなくてもいい」と考えている訳でも無さそうです。平成23年度 横浜市こころの健康相談センターの調査によると、男性では概ね半数以上の人が、女性ではそれより更に高率の人が「悩みやストレスを感じたときに誰かに相談したい」と答えています。

平成23年度自殺に関する市民意識調査(横浜市こころの健康相談センター )より

これは、つまり何かあった時に誰かに相談はしたいけど、職場の人や親戚、近隣(隣近所)には相談したくないという事なのかもしれません。

自治会でもない、職場でもない、親せきや隣近所でもない、困り事を気軽に相談できる新たな形の人と人とのつながり方を私たちNPOは模索していかないといけないのかもしれません。