#”居場所”をつなげる長野県内の取組み~ひきこもり実践研究会とは~
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居場所をつなげる取組み~第2回ひきこもり実践研究会はじまる~

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執筆者:さらみ
 2023.6.19

長野県内のひきこもり支援に関するネットワーク、
ひきこもり支援実践研究会】が2年目に突入した。

「ひきこもり」という言葉を目にしたとき、あなたはどのような気持ちになるだろうか。

もしあなたが福祉の関係者、教育の関係者、医療関係者だったら、どのような印象を持つだろう。
あるいは、当事者の家族が目にしたら、ひきこもる本人が目にしたら……どう、思うだろう。

試しに「ひきこもり」と検索をかけてみる。

Wikipediaでの定義に続いて、「ひきこもり」を検索した人たちの多くが追加で知りたいと思っているであろうことがAIの選定で並んでいく。
「引きこもりを脱出できる唯一の方法は?」、「引きこもりは病気ですか?」など。
その下には厚生労働省の「福祉・介護ひきこもり支援推進事業」のページが出て、そこから県内のひきこもり支援センター、メディアの記事などが続く。

これをもし、今まさに苦しんでいる状態の自分が見たら。そっと別画面に切り替えるかもしれない。

「自分は社会から『何らかの支援をされなければいけない存在』なんだ」と否応なしに現実が突き付けられる感じを受けるからだ。

ひきこもり、という言葉やそこから連想される言葉は、それだけで本人の胸をぎゅっと締め付けてしまう。

【ひきこもりの定義と総数】

厚生労働省 ひきこもりの評価・支援に関するガイドラインではひきこもりを以下のように定義している。

様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学,非常勤職を含む就労,家庭外での交遊など)を回避し,原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)を指す現象概念

厚生労働省 ひきこもりの評価・支援に関するガイドラインより抜粋

また、内閣府が2015年に実施した全国調査では、15歳〜39歳のひきこもりは54万人、2018年調査40〜64歳のひきこもりは61万3,000人。調査の年数が3年ほどずれていることを加味しても、全国でひきこもりの当事者は約115万人以上いることがわかった。

【経験者が運営に携わる長野県のひきこもり実践研究会】
 

この調査結果を受け、全国の自治体では「ひきこもり地域支援センター」という専門の窓口を設置。県内でも「長野県ひきこもり支援センター」が設置され、総合的な対策に乗り出し、令和4年3月に、今後のひきこもり支援のあり方について検討会が開かれ、取りまとめが公表された。
取りまとめのなかで、2018年調査で2,290人がひきこもり状態にあるという結果が示された。全国と割合を比較してずば抜けて多いわけではないものの、依然として予断は許さない状況だ。
実態としてグレーゾーンの人たちも入れると、その数は調査で出た数より実際に多いことが推察される。

ひきこもり支援の課題の柱となったのが、ひきこもりやひきこもり支援に対する共通理解だ。

基本的な考え方として「本人・家族に継続的につながる伴走的支援体制の構築」「多様な社会参加の場づくりの推進」「支援人材の育成推進」等の項目が示され、対策の方向性が定まった。

今まで根強かった自己責任論ではなく、社会全体の課題とし、本人や家族の声・生き方を支援することを、考え方の共通基盤とした。県が明確にこのように定めたのは、とても大きなことだと筆者は感じた。

こうした状況下で、県から支援事業の委託を受けた長野県社会福祉協議会は、経験者の視点を入れた「基本的な考え方」や共通言語の一致を目的として「ひきこもり支援実践研究会」を令和4年6月から5年3月にかけて開催した。
その際、県内で当事者、経験者の声を集めたフリーペーパーを5年前から発行している「hanpo」の草深将雄氏がアドバイザー役として参加。筆者もhanpoのメンバーとして同行し県内を回った。

*hanpoについてはこちらの公式Webサイトをご覧ください。

【研究会参加レポート】

令和4年度は、上田市、長野市、松本市、大町市など県内各地でのべ28回が開かれた。参加者としてその地域の行政担当者、市町村社会福祉協議会の職員、NPO法人の関係者、当事者家族などが集まった。

会場では、ゆったりとした音楽がBGMとして流れていた。講演会やセミナーのような固いものではなく、リラックスしながら話をしていく場を作るためだ。その甲斐もあってか多くの会場は、お菓子や飲み物とともに和やかな雰囲気だった。

第1回目は、hanpo代表の草深将雄氏が、ひきこもり当事者としての経験を参加者に話した。

第2回目は、自分たちの地域にある社会資源をグループごとに出していくワークショップ。それぞれが知っている社会資源を模造紙にまとめ、全体で共有した。

第3回目は、第2回目を参考にしながら参加者それぞれの主観で「ひとりになれる場」「わいわいできる場」「あんしんできる場」「その他の場」の4つのテーマに沿って居場所マップを作成。できた居場所マップをどのように活用していくかについて話し合った。

【動画】昨年度の会場の様子

一部写真提供:ひきこもり支援実践研究会事務局 BGM:フリーBGM・音楽素材MusMusより

【本人の周りから安心させていく】

各会場を回る中で、支援者と当事者との間に意識の隔たりがあるのを随所に感じた。

支援者はどうしても本人や家族を「支援してあげよう」「助けてあげよう」「救ってあげよう」としてしまう。表面には出さなくても、その言動に滲み出てしまう。
ひきこもりを「問題」ととらえ、「解決」しようとしてしまう故のものかもしれない。

しかし、それはひきこもる本人やその家族にとって、実は有難迷惑と感じてしまうことも少なくない。
そうした雰囲気は本人にすぐ伝わる。会場では“支援してあげよう“というニュアンスがこもったアプローチや雰囲気のことを揶揄(ひゆ)し「支援臭(しえんしゅう)」という言葉も挙がった。

一方で、本人が安心できない理由のひとつが、家族との確執だ。「いつまで家にいるつもりなの?」「ハローワーク行ってみたら?」こうした家族からの声掛けひとつひとつが本人を精神的に追い詰め、ますます孤立させてしまうことにもつながるのだ。
研究会での対話の中から、こうした状況が起きる要因は、実は支援する側からの無意識のプレッシャーにもあったことが窺えた。

そして毎回終了後には、参加者した家族や支援者からは、口々に「こういう場が欲しかった」と声が聞かれた。

「ひきこもり」という事象に対して、本人だけでなく、家族や、支援者までもが孤独感を持っていたのだ。参加されたある家族は、支援者が真剣にひきこもりについて考えていたり、自己研鑽しようとしている姿を会場で目の当たりにし、「皆さんの真剣な様子を見て私は一人ではないんだ、と感じられました。本当にありがとうございます」と涙ながらに感想を述べていた。

研究会では特に、支援者側の意見も聞くことができた。実は支援者は普段、当事者家族との接点は多いものの、本人と会う機会は多くなかったことがわかった。故に当事者が何を想い、何を考えているかをそもそも認識することが難しい。本人と話す機会が少ないからこそ、当事者の視点に立ったアセスメントが簡単にはいかないという課題が浮き彫りになった。

これは居場所マップ作成時に、支援者側が「居場所」と考えているが、実は本人にとって居場所だという概念をもてない場合がある、という状況もみてとれた。
支援者側が公的な機関や病院などを「居場所」ととらえていたことに対して、当事者や経験者の中では近くの温泉や地元から離れたファミレス、本屋、人気のない河川敷、ゲストハウス、個人が経営している行きつけの飲食店なども居場所としている方が多くいた。中には墓場が居場所、という本人の声も出た。
支援者は、当事者的な視点も、自分が知らない社会資源も、どこに行ったら家族や本人が安心できるのかという情報も今まで知る機会がほとんどなかったのだ。他の機関とも情報を共有する機会が少なく、地域の社会資源を知り得る手段が少ないことがわかる。

事例として、次のような現象が起きていることが研究会の中でわかった。
家族が行政や社協の担当者に相談に行くも、担当者は居場所についての知見があまりないため、どこにつなげたら良いかがわからない。せっかく相談に行った家族は不安が解消されないままになってしまう。その不安や焦りが今度は当事者に向いてしまう。

そのため、ひきこもり支援実践研究会を通じて、各機関がつながるネットワークの重要性が浮き彫りになった。会の中で「支援者にとって、この研究会そのものが居場所だ」という感想が出たのがその象徴だと思う。

【いつでも参加できる研究会】

そんな「ひきこもり支援実践研究会」は令和5年度も実施される。長野県社会福祉協議会が主催し、参加者を募っている。
https://tinyurl.com/2d4499jo

こちらのURLまたはQRコードから申し込めます。
*クリックするとpdfに飛びます。


内容は、3つのセッションに分かれている。
①基礎理解セッション これまでの振り返りと他の圏域との意見交換
②グループワーク 当事者は、何に困っているか?受け止める側は何に困っているか?
③テーマセッション 各テーマで課題解消に向けてさらに深めていく

前回の振り返りが行われるので、初めての方でも参加しやすい構成となっている。
前年度に参加された方々だけでなく、多くの関係者の方々に次の研究会へ参加してほしい。
特に、今この記事を読んでいる専門職の方や、実際に居場所を運営している方であれば、日頃の業務や活動の糧にきっとなる。


居場所づくりや支援のネットワークを考える中で「誰一人として取り残されない」というキーワードがある。その言葉の対象は実は本人や家族だけではない。支援者もだれ一人として、取り残してはいけない。
今回、hanpoのメンバーとして回っていく中で、そのことを強く感じた。
あなたの「居場所」は、きっとここにある。

<取材・執筆> ソーシャルライター さらみ

ひきこもり支援実践研究会」問い合わせ先:

長野県社会福祉協議会 総務企画部企画グループ(担当:佐藤)
TEL: 026-228-4244   E mail: kikaku@nsyakyo.or.jp
#長野県の外国人労働者を「共に暮らす」者として考える
関連する目標:  

長野県の外国人労働者を「共に暮らす」者として考える

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文責:神保 美月 / 編集:吉田 百助
 2021.11.7

外国人との関係を同じ地域で「共に暮らす」者として考えた時、
私たちは彼らのことをどこまで理解しているだろうか。

外国人労働者は、短期間で訪れる旅行者とは異なる。長期間滞在し、あるいは移住し働きながら暮らしている。コンビニや居酒屋などで働く姿を見かけることはあっても、日ごろの暮らしぶりまで知っているという者は極めて限られているのではないか。

同じ地域のどこかに住みながら、働いて賃金を得て、税金を納め、スーパーで買い物し、決まった日にゴミを出す。私たちと同じように生活しているはずである。ひょっとしたらゴミの出し方がわからず地域でトラブルが起きているかも知れない。あるいは働く時以外は、自宅にこもって出歩かないのかも知れない。

「国籍や民族などが異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」を、総務省は「多文化共生」と定義している。 長野県には「長野県多文化共生推進指針2020」(2020年3月策定)がある。その「指針改定の趣旨」の中に、長野県の問題意識を示した一文があった。

長野県は高齢化の進展が早く、また人口減少も進んでいるため、外国人の活力をこれからの地域づくりに活かすことなしに、長野県の持続的な発展は望めません
日本人県民としては何とも複雑な思いを抱く。
外国人の活力を地域づくりに活かすとは、どのようなイメージを持てばよいのだろうか。

外国人材は長野県内にどれくらいいるのか?

長野県が公表している「令和3年10月1日現在の長野県の人口と世帯数の推計結果」によると、総人口は2,020,372人。このうち外国人は31,644人。割合にして1.57%ほどにしかならないと思っていたが、市町村別人口を見ると駒ヶ根市の人口総数31,653人と同程度。どの町村の人口総数と比べても、外国人総数の方が多いことがわかった。

県内に在住する外国⼈の推移(毎年12⽉末現在)⻑野県県⺠⽂化部多⽂化共⽣・パスポート

別のデータで外国人労働者数を調べてみた。令和2年の19,858人は、人口総数で飯山市の19,133人や軽井沢町の19,783人に近い。
これほどの数の外国人が身近にいると思ったことはなかったが、調べてみると相当数いることがわかった。
なるほど、コンビニや居酒屋などで外国人の店員を見かけることも増えた。コロナ禍の影響で令和2年は減少したようだが、長い目で見ると外国人労働者数は増加傾向にある


長野県における「外国人雇用状況」の届出状況(令和2年10月末現在)

農業を例に考える外国人との関係

農業の人材不足に対し、外国人労働者の受け入れは考えるべき課題だろう。
しかし、収穫時期など一時的に足りない労働力を外国人で補うだけの関係では「共に暮らす」と言えない。彼らが日本の農業に興味を抱いてくれるような働き方。さらに地域のなかで活力を発揮し、農業と地域が持続的に発展できるような取り組みは考えられないだろうか。

たとえば、地域の子どもたちといっしょに行う農業体験はどうだろうか。言葉は通じなくても、仕草や土の感触、収穫の喜びは共有できる。農作業を楽しみながら、地域のことや異国のことを語り合って笑顔を交わす姿は「多文化共生」と呼べるだろう。作物を育てるという同じ目的で一緒に汗を流すことは、心の交流とも呼べそうである。
収穫した作物を互いの国の方法で料理するのも楽しそうだ。同じ作物でも、国によって調理の仕方や味付けは異なるだろう。作り方を教え合い、互いの料理を同じテーブルに並べることで、違いを楽しむことができる。「こんな食べ方があるんだ」と互いに思い合えたら、それはすてきな多文化共生体験になる。

参考イメージ(吉田百助が2021年5月に長野市松代で撮影)

長野県の多文化共生推進指針を読んでみる

「長野県多文化共生推進指針2020」の基本目標は、「共に学び、共に創る しんしゅう多文化新時代」だ。重点施策のひとつである「やさしい日本語」を具体化するため、「信州」がひらがなになっている。

その新時代の実現に向け、3つの施策目標が掲げられている。最初にあるのが「多様性を活かした持続可能な地域づくり」だ。その説明には「多様性を認め合い、尊重する『多文化共生』の意識を醸成し、日本人県民と外国人県民が共に支え合って協力し、誰もが活躍し、自己実現できる活力ある持続可能な地域づくりを目指します」とある。 先ほどの「やさしい日本語」が、ここでは使われなかったらしい。「日本人県民と外国人県民」という表現も耳慣れない。

要は「おたがいを認めあって協力し、だれもが活躍できる地域をめざす」といった感じでよいのだと思う。

お互いを認めあう多文化共生に必要なのは、「共通」の中から「違い」を見つけ、「違い」の中から「共通」を見つけることではないだろうか。「おいしい」という感覚は共通でも、「おいしい」の基準には違いがある。農作業で感じる「楽しさ」も共通できるが、その楽しみ方や表す言葉にも違いがある。

「指針」のような優れた文章がいくらあっても、お互いを認め合うきっかけがなければ、支え合って協力し、活躍することはできない。
では、私たちの身近に、具体的なきっかけや取り組みがどれほどあるのだろうか。交流する機会がなければ、互いを知り合うこともできないままだ。

外国人と「共に暮らし続けられる長野」へ

少子高齢化で足りない労働力を補うために外国人を雇うことは、持続可能な社会を目指す試みとしても必要である。「外国人の活力をこれからの地域づくりに活かすことなしに、長野県の持続的な発展は望めません」と県が言うほど重要な視点なのだろう。

しかしその際に大切なのは、彼らを単なる「労働力」として見るのではなく「共に暮らす住人」として捉え、互いの「共通」と「違い」を知り合うことだ。
外国人に限らず、労働者には「働く」以前に「暮らし」がある。安定し安心できる暮らしと、それを実現し維持するためのルールが社会にある。共に暮らし続けられる地域であるためには、互いに理解し合える環境ときっかけが必要だ。

農業を例にしたような長野県だからできる「共生」の取り組みを、これからも考えていきたい。「来てくれてありがとう」、「長野に来てよかった」と双方が思い合える社会をともに築いていくために。

文責:ナガクルソーシャルライター 神保 美月
編集:ナガクルソーシャルライター 吉田 百助

👉過去の関連人気記事はこちら『新しい「外国人材の受け入れ」と私たち(2019年4月)』

#聞こえない人と聞こえる人との情報格差

聞こえる人と聞こえない人の間にある情報格差

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執筆者:松井明子 (ナガクルソーシャルライター)
 2021.10.29

「何を話しているのかが全くわからず、とても不安な気持ちになりました」

と話すのは、当事者団体である「長野市聴覚障害者協会」会長の酒井佳和さん。

今年8月13日、長野市内で新型コロナウイルスの感染者が急増したことを受け、加藤市長と長野市保健所長が記者会見を行いました。市長から新型コロナウイルスの感染を予防するために、対策の徹底をお願いするメッセージが発信されましたが、このときは手話通訳も字幕も付いていませんでした。

夕方のローカルニュースを見ることで、ようやく新型コロナウイルスのことについて話していることがわかり、詳細は翌日の新聞でやっと把握したといいます。

長野市聴覚障害者協会 会長の酒井佳和さん

長野県は2016年3月に手話言語条例を制定

手話は独自の体系を持つ言語で、ろう者が受け継いできた文化。情報を得るための手段として手話を選べる環境を整備し、手話の普及に努めることを条例で定めています。知事が会見をする際には手話通訳が付くので、手話を目にする機会も増えました。しかし、市町村単位で見ると、同条例を制定しているのは佐久市と上田市のみ。聞こえない人への情報保障には未だ課題があります。

しかし、手話通訳者と要約筆記者の名簿登載者数は〈表1〉のようになっており、県の達成目標を下回っています。

〈表1〉長野県障がい者プラン2018から

長野市では2020年9月11日の市長の定例記者会見から、市長の話にのみ手話通訳が付けられるようになりましたが、市長の話が終わり退席後、各担当者の発言には手話が付けられていません。

音声以外の情報発信の不足

酒井さんは、2019年の台風19号災害の際には避難所へ避難しました。携帯電話にエリアメールが届き、なんとなく普段とは違うと感じていたものの、緊急性の高さはわからなかったといいます。川が氾濫水域を超えているということを知らず、地域の消防団から「今すぐ避難をしてください」という具体的な指示があったことでやっと避難ができました。

避難所で、「寒さ除けのためのシートを配るので男性は協力してください」とアナウンスがあったそうですが、聞こえないため、酒井さんには何で男性だけが集まっているかがわからず、それがすごく印象に残っているそうです。

「情報がない時は人の動きを真似してついていく以外方法がない。それが苦しい」

「誰もが手話で話せる社会になればいいなと思います」(酒井さん)

「情報の格差がクリアできれば普通に生活ができます。理想を言うなら、少しでも手話のできる人がいて、その場、その場で情報をいただける社会になればありがたい。私たちも同じ市民なので同じように情報がほしい。聞こえない人と聞こえる人とのコミュニケーションに壁があるので、その壁を乗り越えるために長野市でも手話言語条例ができてほしいと思います」

また、長野市には登録している手話通訳者が39人いますが、雇用契約を取り交わしているわけではなく「有償ボランティア」といえる待遇になっています。手話通訳が入ることで話がスムーズにいくことが多々あり、手話通訳者の果たす役割と責任の重さはボランティアとはいえないほど大きなものになっています。

ある手話通訳者は「通訳を本業にして食べていくことができないために、他の仕事を持ってしまう状況があり、そうすると昼間動ける通訳は減っていきます。もし、しっかり身分が保障されてお給料をもらえるのであれば、担い手がもう少し増えて、ひいては聞こえない人に情報がきちんと届くという好循環になると思います」と訴えます。

聞こえない人への支援状況

長野市では、聞こえない人への支援事業を「長野市聴覚障害者センター デフネットながの」が受託運営をしています。

長野市聴覚障害者センター デフネットながの

手話通訳者・要約筆記者の派遣、初心者向けの手話奉仕員養成講座、聴覚障害者教養講座、ろうあ者相談員の設置など、聞こえない人の社会参加に必要な事業を行っています。

通訳者の派遣の依頼は、基本的にデフネットながのに事前申請をし、通訳者が手配されます。

病院への受診やハローワークでの相談、子どもの学校行事など、さまざまなときに無料で利用できます。

長野市で登録している手話通訳者のほとんどがほかに仕事を持っており、平日の昼間に自由に動ける人は一部。FAXは24時間受け付けていますが、夜間と土日祝日は休業しており、突然具合が悪くなったり、「今から来てほしい」という緊急対応はしていません。デフネットながの所長の田村吉江さん「平日の受付時間内であれば、緊急な依頼であっても必死に通訳者を探し、見つからない場合はデフネットの職員が手話通訳の対応を行います」といいます。

命にかかわる救急搬送時の対策として、デフネットながのを介さず直接通訳者を探せるように、消防署と病院に通訳者名簿を提出しています(病院は、名簿提出の必要の有無を確認し、求めのあった病院のみ)。

田村さんは「命にかかわるので、何とかしなければと準備をしています。しかし、いざというときに活用していただけるよう病院の職員全員に周知されているかどうかはわからず、課題があります」と話します。

身に着けることで、耳が聞こえないことを伝えられるスカーフ。デフネットながので配布している

お互いを知るための場づくり

信州大学2年の恒川みどりさんは、自分が経験してきたことを生かして、昨年11月「信州大学手話サークルおむすび」を立ち上げました。

恒川さんにはろう者の姉がいます。子どもの頃、手話で話していると他の人からじろじろ見られたり笑われたりということがあったといいます。

「中高生になり、気持ちに余裕がなく、姉とコミュニケーションを取らない時期がありましたが、高校を卒業して浪人していたときに家族と過ごす時間がすごく増えて、少しずつ向き合いコミュニケーションをとろうと思うようになりました。大学に進学して、姉と離れて改めて、ろう者・難聴者の世界と向き合いたいと思うようになりました」

「おむすび」は現在メンバーは20人程度。週1回活動しています。

今年10月には、手話とダンスを組み合わせた「UD(ユニバーサルデザイン)ダンス」をしている北村仁さんを講師に、一般からも参加者を募りオンラインイベントを開きました。

UDダンスは、北村さんがろう者と共に制作。手話の直訳ではなく、歌詞の世界観を手話で表現し、目で見てわかるダンスになっています。

「ろう者・難聴者・聴者みんなが、お互いのことをちゃんと知るための時間を過ごせる場をつくれたらいいなと思っています」と恒川さん。

「おむすび」は、長野大学の手話サークルメンバーのろう者・難聴者から普段の生活や、私たち聴者が疑問に思っていることとかを聞く機会をつくるなど、当事者とのつながりを少しずつ広げています。

「どんなことに困っていて、どういうところで不便や苦しさを感じているかというのは、まだまだ理解されていない。手話が言語だという理解も深まっていないと思う」

しかし、「手話がすべて」ではなく、手話はコミュニケーションをとるための手段の一つ。難聴者であれば手話はまだ勉強中という人もいます。

「たとえば、道を教えるのであれば『あっちあっち』と指をさすジェスチャーをしたり、状況によっては文字で、単語の羅列で示してもいい。手話ができなくても、伝えようという気持ちがあれば伝えられます。コミュニケーションをとろう、その人のことを知ろうという気持ちを一番大事にしてほしい」

思い込みで話を進めずに、コミュニケーションをとろうという意志、情報をしっかり共有しようという気持ちを持つことは誰にでもできます。全ての人が得たい情報を得られるよう、一人一人に応じた情報保障を行う社会であることが求められます。

取材:長野市聴覚障害者協会(2021年9月25日)、長野市聴覚障害者センター デフネットながの、信州大学手話サークル おむすび(いずれも2021年10月21日) 

#「サザエさん」から考える 家族のカタチと姓の選択

新しい家族の未来へ~選択的夫婦別姓制度への期待~

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文責:村上裕紀子(ナガクルソーシャルライター)
 2020.12.18

テレビアニメ「サザエさん」は、1969年に放送が開始されて以来、51年続く長寿番組で、日本人なら全国どこでも、子どものころ、誰もが慣れ親しんだアニメであろう。

いま、視聴者はサザエさん一家を違和感なく受け入れているのだろうか?

サザエさん一家は「磯野」姓と「フグ田」姓が同居する3世代家族であるが、今改めて見てみると、その家族構成とそれぞれのキャラクターが、絶妙なバランスを保ち、時代を物語っているように思える。特にフグ田姓のマスオの存在は欠かせない。1970年代までは、筆者の住んでいた長野県南信地域の中山間地域でも、隣り近所を見回すと3世代同居世帯はごく一般的であった。

しかし、今はどうだろう? 妻の両親との同居や姓の選択など、家族を取り巻く状況が、時代とともに変化しているのではないか。変わりゆく家族のカタチと姓の選択の関係を統計データを用いて掘り下げてみたい。

変わる家族単位、変わらない姓の選択

2019年の国民生活基礎調査(厚生労働省)によると、全国の全世帯数に占める「三世代同居世帯」の割合は5.1%。33年前の1986年は15.3%であり、比較すると30年間で10ポイント以上減少している。(表1)

一方、増加しているのが「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」。それぞれ同年の比較で「単独世帯」は18.2%が28.8%に、「夫婦のみ世帯」は14.4%が24.4%に増加している。「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」が全世帯の半数以上を占めていることになる。

しかし、これを独身者と子どものいない夫婦が増えたと単純にみるわけにはいかない。その理由は「高齢者世帯」の割合の増加である。1986年に6.3%だった「高齢者世帯」割合は、2019年には28.7%と、実に22ポイント以上も増加しているのだ。「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」の増加割合は「高齢者世帯」の増加割合とほぼ一致する。つまり、高齢夫婦世帯、高齢独居世帯が増加しているのだと考えられる。家族の単位は数十年でかなり変化していることが明らかである。

では、婚姻の際の姓(氏)の選択はどうだろうか。

2018年の人口動態統計「婚姻に関する統計」では、婚姻の際に妻の姓を選択した夫婦はたったの4.3%で、1975年の1.2%からわずか3.1ポイントしか増加していない。残りの95%以上は夫の姓を選択していることになる。「女性は嫁ぐのが一般的」という固定概念が、現代の多様化するライフスタイルの社会にあってもなお、男性、女性共に一般的な認識であることが読み取れる。極論であるが、出生率が1.36(2019年)の時代に、大半の夫婦が夫の姓を選択するのなら、女性の姓はどんどん消滅していくことになる。

家族に関する地域性

急激に減少していることがわかった三世代同居世帯について、都道府県比較をしてみると婚姻時の姓の選択と興味深い類似点があることがわかった。それぞれの上位と下位の順位を見てみよう。

三世代同居率も妻の姓選択率も東高西低の傾向が顕著で、特に上位では同じ顔触れの都道府県が大半を占める(網掛け部分)。上位に東北地方の県が多いこと、下位に九州地方の県が多いことも地域性を表す大きな特徴である。その理由まではわからないが、三世代同居率が高い地域は婚姻の際に妻の姓を選択する夫婦が多い傾向があるということがデータに表れている。「家を継ぐ」という風土が影響しているのかもしれない。

いずれにしても、婚姻姓の選択率は三世代同居率ほどの都道府県間での差はなく、世帯の形が大きく変化した今の状況にあってもなお、夫の姓を選択することは全国共通の固定概念となっているようである。

長野県内における家族のカタチ

では、長野県内の状況はどうだろうか。

長野県は、三世代同居率は9.9%で13位、妻の姓選択率は5.5%で12位であり、両方とも高い順位にある。

残念ながら市町村ごとの婚姻時の姓の選択についてのデータが存在しないため、三世代同居率と妻の親との同居率という別の視点で比較してみた。

表4と表5、比較してみると一目瞭然であるが、上位の市町村がほぼ同じ顔触れとなっている。全市町村の両方の数値をグラフ化すると次のようになる。

三世代同居率と妻の親との同居率はゆるやかな相関関係が見て取れ、グラフ右上に位置するグループは南信地域の市町村割合が高くなっている。筆者は南信地域の出身であり、長女である筆者の姓を夫が婚姻時に選択した経験から考えても、このデータは「家を継ぐ」慣習が表れた結果だと納得できる。

しかし、ここで着目すべきは、三世代同居世帯がどんどん減っていることである。グラフ左下に位置するグループは、そもそも三世代同居世帯や親と同居する世帯がすでに少ないのではないか。家族の在り方が50年前とは変わってきている。

こうした状況で、姓の選択が、これまでの制度で取り扱われることが適当なのだろうか。

自由な生き方を選択するために

いま、日本は人口減少・超高齢化社会に突入しており、その出口は全く見えない。前記したように、合計特殊出生率は1.36(2019年)と減少が止まらない。にもかかわらず、日本全体の世帯数だけは年々増加しているのである。家族の単位がどんどん小さくなっていく。急激に変化する家族の在り方に制度がついていっていないのが現状ではないだろうか。

「選択的夫婦別姓制度」については、平成8年の法制審議会で導入が提言されている。それからすでに20年以上経過しているのだ。導入のメリットとして、姓を変えないことで、手続きの負担や仕事上の支障が解消できるという声をよく聞く。しかし、それだけではなく、根源的にこれまでの「家」制度的な慣習からくる姓の選択が、現状の家族のカタチや労働環境、そして当事者の意識に合っていないのではないか。

どちらの姓を名乗るかをもっと自由に、そして別々でも良いという選択肢があることで、どちらかが窮屈な思いをせずに生きられる社会になって欲しい。

菅内閣発足以降、自民党内で選択的夫婦別姓の議論が加速していると聞く。全国の地方議会では、早期実現や議論を求める意見書が可決される議会が増えており、長野県内でも、上田市議会が「選択的夫婦別姓制度について議論を求める意見書」を令和2年9月に、長野市議会が「選択的夫婦別姓制度について法制化を求める意見書」を令和2年12月に可決している。

この動きが今後さらに加速するのかどうかはまだ見えないが、選択的夫婦別姓制度が実現した日本には、「家」の結びつきとは違う、もっと自由な「家族」のカタチが見えてくるのではなかろうか。

#学校に行けない子へ新たな居場所を
関連する目標:  

学校と家以外の居場所。官民連携の必要性を問う。

2,700
文責 ソーシャルライター さらみ
 2020.3.28

もし自分が、自分の子どもが、孫が、
ある突然学校に行かなくなったら、行けなくなったら。
どうなってしまうんだろうか。

本記事では、不登校の現状と、県内での取り組みを2例紹介していく。

文部科学省が毎年実施している「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」では「小・中学校における不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,前年度から20,497人(約14%)増加。在籍児童生徒に占める不登校児童生徒の割合は1.7%(前年度1.5%)。過去5年間の傾向として,小・中学校ともに不登校児童生徒数及びその割合は増加している」としている。

ただし、この調査の対象となっている児童生徒は、「何らかの 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を. 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、除いたもの」と文科省によって定義されており、保健室登校や欠席日数が29日以下の場合は含まれておらず、また「明確な理由がなく学校へ行かれない」児童生徒も現実でいることから、実際の数は164,528人よりも多いのではないかと言われている。

調査の中で不登校の理由として、学校に係る状況(いじめ、友人関係、教職員との関係、学業の不振、進路に係わる不安、クラブ活動・部活動等への不適応、学校のきまり等をめぐる問題、入学・転編入学進学時の不適応)と家庭に係る状況に分けられている。

不登校の理由として70%以上が学校に係る状況になっており、内訳は友人関係、学業の不振と続く。

長野県教育委員会発表による「児童生徒の問題行動・不登校等に関する調査」平成30年度

長野県も例外ではない。

平成30年度調査では、小中学校合計で在籍比1.95%と全国平均よりも多い。

県や市町村は居場所作りや相談窓口を開設、運営しているが、不登校児童生徒は増え続けている。

 

 

当事者が立ち上がった!! 不登校への取り組み

2019年8月18日 #不登校は不幸じゃない というイベントが全国100箇所以上で行われた。

発起人は、10年間の不登校経験を経て、現在は実業家として全国で活動している小幡和輝氏(和歌山県)。長野県では千曲市、佐久市、木曽町の3箇所で開かれた。

佐久の様子を伝えていく。

会場は佐久市の旅館・野澤館さん

イベントのスタッフには、子どもや自分が過去に不登校だった人たちが多くいた。

子ども大人合わせ20名を超える参加者が集った。

実際に今不登校の子どもをもつ親御さんの話を聞く。

「1人じゃないとわかり、安心した」と涙ぐむ親御さんもいた。

大人が参加している間、スタッフの大越要さんや他のスタッフが、子どもと話をしたり、別室でゲームをしたりしていた。

佐久では当日来られらなかった人たちや、来てくれた人の居場所として、年に数回集まりを主催している。

 

「hanpo」長野で暮すマイノリティを生きる僕らのために、
僕らが作るフリーペーパー

hanpoは、不登校をはじめとする、難病、障がい、LGBTQなど一般にマイノリティ当事者が書いた記事が載っているフリーペーパーだ。

毎回5000部~発行し、県内各所のフリースペースや、病院、カフェなどに置かれている。

一歩ではなく、半歩。

今苦しんでいる子どもたちに、自分たちの経験を伝える。

3,4ヶ月に一度のペースで発行し、現在までに3部(4部制作中)が発行されている。

記事の内容は「普通」「夜」など毎回テーマごと異なる。

「必要としている子に届くよう、これからも継続して発行していきたい」

と編集長であり、不登校の元当事者でもある草深将雄氏は話す。

なお、費用は寄付や制作スタッフの自己負担でまかなわれている。

寄付は随時募集中。寄付先は以下

「ゆうちょ銀行 hanpo[ハンポ] 店名059  口座番号00510-5-0053632」

 

まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文部科学省は「平成28年9月14日付 不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」において『(3)不登校とは,多様な要因・背景により,結果として不登校状態になっているということであり,その行為を「問題行動」と判断してはならない。不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し,学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが,児童生徒の自己肯定感を高めるためにも重要 であり,周囲の大人との信頼関係を構築していく過程が社会性や人間性の伸長につながり,結果として児童生徒の社会的自立につながることが期待される。』という通知を各都道府県教育委員長や知事宛に出している。

また、文部科学省は 令和元年10月25日付 不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」において、全国の知事や教育庁等宛で基本的な考え方の見直しを行った。

そこでは「(1)支援の視点
     不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。また,児童生徒によっては,不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがある」とあり、50年以上続けてきた「学校復帰を目的とする方針」の転換を行った。

これは大変大きな一歩であることに違いはない。

ただ、「一方で、,学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在することに留意すること。」と不登校におけるリスクの存在においても同文で言及している。

 

長野県でも、『「不登校への対応の手引き」H31 改訂版』を作成。

これは県教育委員会が実施した「不登校当事者である子どもたちに対するアンケート調査」を元に作成したものだ。

不登校当事者である子どもたちに対するアンケート調査(心の支援課)令和元年9月~10 月調査

 

手引きでは「これまでの不登校対策は何か根本的に違っていたのでは」「学校以外の多様な学びの場への支援が不十分なのではないか?」といった問題意識を提示し、「科学的知見活用した取り組みを含め、学校そのものを変えていくことが必要である」「子どもたちの社会的自立を目指し、学校以外の多様な学びの場と連携した取り組みが必要である」という従来の在り方を見直す方向性を明示している。

アンケートと記事の序盤で示した児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果との違いで特徴的なものは、不登校になった要因だ。

アンケートでは学業の不振(30.6%)、教職員との関係(27.4%)、友人関係(24.2%)、入学・転入・進級(19.4%)となっており、家庭に係る状況は一番低く9.7%に過ぎない。

一方、問題調査結果では家庭に係る状況(43.4%)、学業の不振(38.8%)、友人関係(30%)となっている。

この開きは何なのだろうか。

児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果学校側が回答をしている。学校側は不登校の要因の多くを「本人と家庭」の問題としているが、当事者は「学業と教職員の関係」と認識している。

今回の手引きでは、学校と当事者との意識の差を踏まえている。

だが、課題はまだまだ山積しているのではないだろうか。

県教委は不登校児童生徒への理解を示す姿勢を表しているが、実際に現場で子どもたちと係わる教職員や市町村教委への認識の変化はまだまだのように見受けられる。

せっかく県教委から不登校の子どもたちに寄り添った指針を出しても、市町村教委、現場へと降りてくるまでに先細りし、従来の考え方が席巻してはいないだろうか。

県教委は全県で4箇所ある教育事務所や総合教育センターなどで、いじめ不登校に係わる研修に取り組んでいるようだが、校務分掌上仕方なく参加するという認識の教職員はいないだろうか。

一つの提案として、中学校区単位で元当事者や、現に不登校の児童生徒を持つ保護者、支援者の話を聞くリアルな研修の機会を学期ごとに実施するのはどうだろう。

現場では自分のクラスの児童生徒が不登校になり、悩んでいる教員もいる。ただ、それをベテラン教員に相談しても「先生が頑張れ」のようにアドバイスにもならない言葉をもらい、結局何にもできず不甲斐なさにさいなまれているということも考えられる。

教職員も学びたいはずだ。

民間の活動の後押しする動きが地方公共団体でとられていき、「不登校」への認識が変わっていくなか、県民・市民も従来のような「問題行動」ではなく「選択肢の一つ」としていくの認識をしていく必要がある。

 

 

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

 

 
#2019年4月外国人材の受入れ新制度を前に長野県では
文責 : ソーシャルライター塾 塾長 北原広子
 2019.3.26

法務省のトップページに「2019年4月1日から新たな外国人材の受け入れ制度が始まります!」の告知がありました。なお、太字にした部分は法務省で大文字にしていた部分です。あと1週間でこの制度が始まるという時点の今、長野県内に住む外国人の傾向について振り返ってみたいと思います。数字からうかがえる大雑把な傾向でしかありませんが、この新たな制度により、今も十分に身近な外国人が今後も増えることは間違いなさそうですから、魅力あるナガノを作るための検討材料にはなるかと思います。

 

外国人労働者について考えるワークショップ。筆者も出席。外国籍のまま働く悩みなどを話し合った。(2019年3月16日 長野市市民協働サポートセンターまんまる)

 

1990年から日系人の就労急増

まず復習ということで、長野県内に暮らす外国人の推移をみてみます。外国人に関する各種統計は法務省入国管理局(現在)のページで公表されていますし、長野県に関しては県国際課が発表しています。ここでは県のものを引用します。

県内に在住する外国人の推移(毎年12月末現在)(長野県県民文化部国際課のデータより)

1990年に「入管法改正」という注釈がグラフ中に入っていますが、身近なところを簡単にいうと「定住者」という在留資格が新たに加わり、日系3世まで日本での就労が可能になったということです。それでブラジル人を中心に、かつて日本人が移民した国々から、移民の子孫である日系人が大勢来るようになりました。その様子はグラフで一目瞭然です。ちなみに当時の入管法改正の背景に、バブル経済期に問題になった3K労働などの人手不足があったことはいうまでもありません。

「裏口」に対して表玄関を開ける

ところで日本の外国人政策は「バックドア(裏口)からの受け入れ」と皮肉られることがありました。単純労働、つまりいかにも「外国人労働者」の言葉が喚起するような労働者は受け入れないという、言葉を変えればそのような滞在資格はないという立場をとりながら、現実的には裏口から受け入れているという意味合いを含んだ表現です。「定住者」は仕事の種類に関係なく働けるので単純労働にも従事できますが、労働のためのビザというわけではありません。日本からの技術移転を目的とする「技能実習生」が、実際には単純労働者ではないかとの批判があるのは周知のとおりですし、日本語学校、専門学校などの「留学生」が限られた時間内での就労を認められていることから、人手不足の業界での労働力になっている面も否定できません。

今回の「新しい外国人人材」は、以上のような「裏口」に対して表玄関を開けたということができます。というのは介護、ビルクリーニング、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業、 建設、造船・舶用工業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業の14分野で、一定の条件を満たせば、働くための滞在資格をもって労働できるようになるからです。詳しいことはこちらに図説されています。

 

長野県でもベトナム人の急激な増加

次に現状をみてみます。長野県の発表資料から抜粋して作成した平成30年末現在の人数で広域別の集計です。先のグラフで最近の増加ぶりは明らかですが、この表でも前年に対しての大きな増加に注目して下さい。

県内の外国人住民数(広域別、主な国籍・地域別)

地域ごとの特徴を考察してみます。佐久地域では、全体的に圧倒的な中国人を別にすると、タイ人の多さが目立ちます。一時期はトップだったこともあり全国的にも珍しいのが佐久地域です。外国人が定住する場合、ある程度の規模になると食材店ができたり同胞ネットワークができるため暮らしやすくなり、それを頼ってさらに同胞が集まることが知られています。佐久地方におけるタイ人の定住化は、基本的にはこの論理で説明できそうです。

中国は距離的にも近く人口規模も巨大ですから色々な分野で多くなるのは必然ですが、忘れてならないのは、長野県が全国一の満蒙開拓団送り出し県であった歴史で、中でも南信州の割合が高かったことから、帰国者家族も多くなっていると予想できます。

ブラジル人の特徴は工場労働者が多いことです。そのため景気の動向に左右されやすいことは、上記グラフの注釈にもある通りです。ブラジル人が一番多い上伊那地域は、精密機械関連、電気・電子機械関連など高度加工技術産業を地域の強みとしていますから、関連は考えられるところでしょう。

木曽でフィリピン人の割合が突出して高いのは興味深いところです。フィリピン人の場合、かつてダンサーや歌手として働ける「興行」ビザで来日した女性が、日本人男性と結婚するケースは多く、例えば1996年の国際結婚では妻フィリピン、夫日本人の組み合わせが最多となっています。ちなみに現在は妻中国人、夫日本人です。

そしてグラフからも表からも際立っているのは、ベトナム人の急激な増加ぶりです。外国人の増減は個人的事情というよりは、受け入れ国と送り出し国の事情と関係性に依存します。例えば自国が経済発展し送り出し要因が小さくなると相対的に日本の魅力は小さくなりますし、国際関係による変化も見逃せません。ベトナム人の増加が何を物語るのかは考えてみる余地がありそうです。

実は「永住者」が一番多いのです!

ここでは単純に人数だけを、しかも外国人登録をしている正規の数だけを参考にしました。「外国人」という言葉を使いますから、イコール「いずれ帰る人」のイメージを持つ人がいるかもしれません。しかし滞在資格別という観点からみると、実は日本全体で一番多いのは「永住者」の28.8%で「特別永住者」を合わせると41.2%にもなります。長野県も同程度。永住者ですと、配偶者や家族の呼び寄せもできますし、定住化が進んでいることは明白です。今回新設のビザも一定の条件を満たすと家族の呼び寄せができますから、全員が外国人という家族が増える可能性はますます高くなります。

それでも政策的には「移民」という言葉は使われていませんから、統合的な政策がとりにくいのではないかとの懸念がでています。世界各地で移民問題に端を発する問題が多発しています。島国日本で山に囲まれた長野県も、これまで経験したことのない社会に入ろうとしています。外国人政策は国の役割ですが、私たちと一緒に暮らすのは他でもない「人」なのだということを、改めて見つめ直す必要があると思います。

 

 

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

   

 

#家庭崩壊が生み出すものとは
関連する目標:  

子どもの6人~7人に1人が「貧困家庭」にいる
60万余組が婚姻関係を結び、21万余組の離婚

1,086
寄稿: NPO「子ども・家庭支援センターHUG」副理事長 山口利幸さん
 2018.10.12


学校教育に携わる者にとって、不登校やいじめ、非行などへの対応、即ち生活指導は学びの指導とともに教育活動の二つの柱です。

生活指導と学習指導は相互に絡み合って子どもの成長、人格形成の不可欠の両面をなしています。私は、近代日本の教育がこの両面を視野に入れてきたところに大きな特徴があると思っています。「知・徳・体のバランスのとれた全人教育」が「信州教育」の使命、目標に据えられてきたのもこのような子ども観、教育観からです。また、社会全体から見ますと、たとえ貧しい家庭の出身であっても教育を通じて貧しさからの脱却が可能となり、中間層の増大と社会の流動性(風通し)がよくなったのもこのような教育の成果といえます。

現在、「子どもの貧困」が社会の階層化と固定化につながる恐れが出てきました。学校教育においても、「子どもの貧困」にどう向き合っていくかが大きな課題となっています。経済成長の時代から1980年代の低成長・成熟時代、そして金融資本の暴走によるバブル崩壊後の「失われた十年(二十年)」の中で急速に「子どもの貧困」が浮上してきました。

「豊かな日本」で、子どもの6人~7人に1人が「貧困家庭」にいるといわれています。スナック菓子の「食事」、まともな食事は給食のみ、洗濯や入浴不足で「くさい」といわれ不登校になった例、運動用品が買えなくて部活をやめざるを得なかった例、外から見えにくい家庭内での虐待・ネグレクトやDVの急増等々目を覆うばかりの実態が生じてきました。いま、子どもの成長の基盤となる生活環境が崩壊している現実があります。社会全体で家庭を支え、子どもの生活環境を整える支援が喫緊の課題となっています。

 

貧困家庭の増加の一因に離婚による母子家庭の増加があます。

平成に入ってから離婚件数と離婚率が急増し、平成14年には29万件弱と最高を記録した以降は減少してきています。昨年は60万余組が婚姻関係を結び、21万余組の離婚がありました。その離婚夫婦の約6割に未成年者がいて、その数は約20万人弱に上っています。昨年の出生数は94万人ですので、単純計算しますと、子どものおよそ5人に1人が将来離婚家庭で育てられる可能性があるという数字です。

我が国は離婚の際、親権を片方の親に限定する単独親権制をとっています。欧米などを中心に概ね共同親権制(離婚しても子どもが成人するまで父親・母親としての義務を果たす)であり単独親権制の国は少数派です。加えて離婚の際、85%以上は母親が親権者になる中で、シングルマザーの子育てと仕事の両立の困難さや労働環境等の厳しさもあって、母子家庭の半数以上がいわゆる国民の平均所得の半分以下にある「貧困家庭」であり、子どもの6~7人に1人が「貧困家庭」にあるといわれています。

子どもの虐待防止のためのオレンジリボン運動

2012年(平成24)の民法改正では離婚時に別居親との面会交流と養育費の取り決めを行うことが明記されましたが、罰則規定がないこともあり、面会交流は3割前後、養育費を受け取っているのは2割未満にとどまっているのが実態と言われています。いま単独親と子で構成される家庭が危機に瀕しています。家庭を支援する親族、地域や職場の支援力も衰退してきました。お互いに深く係わらない人間関係の希薄化、「自己責任論」が拍車をかけています。

親の離婚は未成年の子どもたちに大きな衝撃を与えます。

そのような子どもと家庭を支援することは絶対に必要です。しかし、「家庭に介入する」ことは教員、学校にとって厚い壁があります。
両親の離婚に至るまでの様々な対立、そして離婚は子どもたちに大きな衝撃を与え「自分は捨てられたのではないか」「自分のせいで離婚したのではないか」「これからは父(母)会いたいけど口にしてはいけない」など不安な気持ちに陥れます。子どもの成長には、「自分は両親から愛されている」「必要とされている」「理解してくれる親や大人がいる」といった信頼感や安心感が不可欠なのですが、離婚に伴う子供の喪失感は生涯にわたって心に深い傷をもたらすことが多いのです。人間関係を作る意欲や自信が損なわれ、鬱症状が現れやすくなります。結果として不登校やいじめ、また非行・犯罪の発生率も高くなります。このような「問題行動」の背後に「離婚に伴う要因」があることを踏まえた指導・支援策が大切です。

離婚家庭への十分な支援がなく、子どもの健全な成長が阻害されたままですと、親の貧困が子の世代にも引き継がれる「負の連鎖」による階層の固定化が懸念されます。そうなりますと将来膨大な社会的コストが必要となります。したがって現在、せめて高校を卒業し、仕事得て自活できるまでは、基礎自治体を中心に社会の支えによって「一人前の大人」になれるよう物心両面から母(父)子家庭支えることがきわめて大事です。なおこの際、行政の医療・保健、福祉、教育、産業・労働など各分野の一体的な支援体制、即ちワンストップの横断的かつ継続的な支援体制ができるかどうかが解決の鍵であると思います。

離婚は親にとっては男女関係の決裂ですが、子どもにとっては一方的に片方の親を失うことになります。虐待やDVによる離婚は例外としても、本来なら子どもの成長にとって父性的なものと母性的なもの双方が両親によって提供されることが必要なのです。せめて成人するまでの間、親子関係が面会交流など何らかの形で維持され、父親や母親として子どもに向き合える環境を整えることが子どもにとって大切ではないでしょうか。

私たちのNPO「子供・家庭支援センターHUG」は公正、中立の第三者的立場から別れた親と子どもの面会交流等のお手伝いを通じて子どもの成長・発達を目指す組織です。
今年になって国においても新しい動きが出てきました。6月、法務省は来年度「法制審議会」に共同親権制の導入を諮問すると報道されました。現在の単独親権制を維持しながら、共同親権制も選択できる民法改正を目指すとのことです。離婚しても子どもとの親子関係は切れるわけではありません。母親、父親としての責務を果たすことが子どもの成長の保障となる民法改正と具体的で効果的な制度設計が求められるところです。

筆者プロフィール 山口利幸さん
昭和22年長野市生まれ。昭和44年度から長野県の高校教員として勤務し、高校4校、中学校1校で社会科などを担当。平成3年度から県教育委員会の指導主事として教育行政に従事、その後高等学校長を経て平成18年度途中から県の教育長を2期6年半務め平成25年3月に退職。現在は母校の小・中学校の教育ボランティアや、NPO「子ども・家庭支援センターHUG」の副理事長などを務めている。

 

NPO法人子ども・家庭支援センターHUG会報掲載記事を再執筆(民生児童委員の皆様、学校教育に携わっておられる皆様へのお願い H30.8.13)していただき、ナガクル編集室で編集したものです。 

寄稿: NPO「子ども・家庭支援センターHUG」副理事長 山口利幸さん

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

 

#皆が共に生きる社会へ
関連する目標:  

障害のある人もない人も共に生きる社会の実現を目指して

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文:川崎昭仁
 2018.4.18

「なくならない差別」

 公平で平等な社会を目指す上で差別解消は欠かせない要素である。しかし、現在から過去の歴史をさかのぼってみても差別のない時代はない。性別・年齢・国籍・宗教など、身近な小さな事から国際的な事まで様々な問題がある。
 ここでは障害者の差別について考えたい。

「障害者差別の歴史」

 これまで「障害者」は“保護”される存在で、その実態は施設等への“隔離”になっていた。1957年、脳性麻痺の障害当事者を中心に「青い芝の会」が発足。これを機に、各地で障害者の社会運動が活発に行われるようになった。しかし、その過激な活動故に障害者に対する差別意識を高める一面も否めなかった。
 1975年12月9日、国際連合総会において「障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する」という障害者の権利に関する決議(障害者の権利宣言(Declaration on the Rights of Disabled Persons)、国連総会決議3447)が採択された。
1982年に障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とし「障害者に関する世界行動計画」が採択され、これを記念して1992年には毎年12月3日を「国際障害者デー」にすると宣言された。これを機に3~9日までを「障害者週間」とし、「障害のある人もない人も“障害”について考えよう」という動きが始まった。

「地域移行」

 2003年4月、「支援費制度」が施工された。
 同年10月、長野県では知的障害者の大規模総合援護施設である「西駒郷」入所者の地域生活移行への取り組みを積極的に始めた。この動きは県内の市町村・社会福祉法人・NPO法人にも波及し、各地でグループホームの運営や相談支援事業を行う法人が増え、障害者の地域生活移行は急速に進んだ。

「障害者権利条約」

 地域生活移行が進む中、障害者の権利擁護への取り組みはというと、「思いやりの心、差別のない心を育てましょう」等の標語に代表されるような「あなたの心の問題」として人権啓発や社会常識、個人の行動規範に委ねられているのが現実で、日本には何が障害を理由とした差別であるかを具体的に明らかにした法律も条例もなかった。
そんな従来の権利擁護の在り方を転換するきっかけとなったのが2006年12月、障害者の差別撤廃を目指し国連総会で採択された障害者権利条約である。
条約の交渉過程で注目されたのが、「私たちのことを決めるのに私たち抜きで決めないで(Nothing About Us Without Us)」という今まで障害者施策の決定に関与できずにいた各国の障害者の発言だった。障害者は、平等に発言し、非公式協議の場にも参加した(日本からは特別委員会に約200名の障害者やその家族の方が政府代表と共に派遣された)。
この結果、日常生活の中で最も切実に問題を感じている人たちの知恵や経験が条約に反映された」と当事者参加の意義と成果を強調している。

「医学モデルから社会モデルへ」

 障害者に関する法は、リハビリテーションや福祉の観点から考えることが多いが、障害者権利条約は国際人権法に基づいて人権の視点から創られ、これまで149カ国が署名し101カ国が批准している。日本も2007年9月に署名しているが、国内法の整備等のため批准には至っていなかった。
2011年7月に障害者基本法が改正され、第1条目的に「共に生きる社会の実現」の文言が書き込まれた。
これによって「障害に対する考え方が社会環境との関係が考慮されずに個人の障害だけに視点をおいた“医学モデル”」から「個人と社会環境に着目し、社会環境にその原因があり、社会のあり方が問題とされる“社会モデル”」へと変わり、差別の問題が見えてきた。

 

医学モデル 社会モデル
・障害というのは障害者個人の問題だとする考え方。
・社会的不利益が起きている原因は、足が動かないとか目が見えないといった機能障害や、能力障害にある。
・この考え方では、社会的不利益の原因は、社会にあるということにはつながらず、人権問題にはならない。
・障害者は、保護の対象でしかなく権利の主体という概念は生まれない。
・障害は社会の側にあるという考え方。
・車いすの人が2階にいけないのはエレベーターがないためであり、エレベーターが設置されれば1人で2階にあがれるので、障害はなくなる。
・このように、機能障害に着目するのではなく、個人と社会環境とに着目し、制約を生んでいるのは社会環境に問題があるという考え方。

(JIL/DPI条例プロジェクト資料より)

「改正された障害者基本法のポイント」

①相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現
②障害者の定義変更
障害の定義は医学モデルから社会モデルへ変更
障害者の範囲の拡大 身体、知的、精神、発達、その他、心身の機能の障害がある者
③差別の定義
社会的障壁とは、障害がある者にとって日常生活や社会生活を営む上で障壁となるような社会の事物(物理的な障壁)、制度、慣行、観念(偏見・差別意識等)その他一切のもの策の基本である。

「県外の主な取り組み」

千葉県 障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県作り条例
北海道 北海道障がい者及び障がい児の権利擁護並びに障がい者及び障がい児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例
岩手県 障がいのある人もない人も共に学び共に生きる岩手県づくり条例
さいたま市 さいたま市誰もがともに暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例
熊本県 障がいのある人もない人も共に生きる熊本県づくり条例
八王子市 障害のある人もない人も共に安心して暮らせる八王子市づくり条例

「障害者差別をなくすための条例のポイント」

①障害の定義  社会モデルに基づき救済対象を幅広く設定

②差別の定義  社会モデルに基づき何が差別か具体的に定義

③相談体制と救済機関の設置、 処罰を求めるものではなく、話し合いによる解決の場の提供

④地域の意識改革 差別の温床の改善、啓発表彰等

「障害は社会にある、変わるべきは社会である」

2012年10月に「障害者虐待防止法が施工され、2016年4月に「障害者差別解消法」が施工された。しかし障害を理由とする差別や偏見が、あると思うか? 障害のある人は「少しあると思う」を含めて84.9%が、国民一般向け調査でも「少しあると思う」を含めて91.5%が「ある」と答えている(2009年度に内閣府が、障害のある人向けと国民一般向けに行った障害を理由とする差別に関する意識調査)。
障害のある人もない人も共に生きる社会の実現には、医学モデルの発想が深く浸透した地域社会そのものを変えていく必要がある。ノーマライゼーションからインクルージョン、バリアフリーからユニバーサル、そして医学モデルから社会モデル。多角的かつ個を尊重する時代であり、今やっと障害者への差別意識が変わろうとしている。キーワードは「障害は社会にある、変わるべきは社会である」と言えるだろう。