1960年代から1970年代の高度経済成長期に「三種の神器」と呼ばれた家庭用電化製品(家電製品)があった。いまでは当たり前に各家庭にあるテレビ(当時は白黒)・洗濯機・冷蔵庫である。「白物家電(しろものかでん)」とも呼ばれた便利な家電製品は、炊飯器(電気釜)や掃除機、電子レンジなどが加わって、瞬く間に普及していった。
これら便利な家電製品は、家事や調理など家庭内の労力を減らし、女性の社会進出を促すことになった。家事が減った時間で働きに出て、稼いだお金で新しい家電製品を買うような生活スタイルへと変わっていった時代かも知れない。ちなみに、その後「新・三種の神器」と呼ばれたのは、カラーテレビ・クーラー・自動車(カー)で、英語の頭文字がすべてCだったことから「3C」とも呼ばれた。便利で魅力的な商品は続々と登場する。
手軽さが売りの便利な食
「食」の世界でも便利で手軽な商品が登場した。いわゆる「インスタント食品」と呼ばれるレトルトカレーやインスタントラーメン、カップ麺、そして冷凍冷蔵庫の普及とともに冷凍食品も急速に増えていった。「3分温めるだけですぐ食べられる」、「お湯を注いで3分間待つだけ」、「レンジでチンするだけ」といった手軽さがなによりの売りだった。
便利な時代の到来とともに、それまで当たり前と言われていたことが「古くさい」、「時代遅れ」などと避けられるようになっていく。そんな時代に幼い子を抱えていた父母世代は現在、孫やひ孫のいる高齢世代になっている。時代の変わり目に戸惑いながら、自らも便利さを楽しんできたのかも知れない。なにかにつけ「もう古い」と言われ、口を閉ざしてきたのかも知れない。生まれた時から便利な世の中になっていた子どもたちとは違う複雑な環境を生きてきた世代だと思う。
かたや、現在の父母や子どもたちは、人生の先輩である祖父と祖母、自分の親たちから「以前の当たり前をなにも聞いていない世代」ということになる。教えてもらう機会があったのに聞かなかったのか、それとも機会すらなかったのか。便利さが当たり前で、テレビに映る新しいものに目が移る。情報と流行に流され続けている世代かも知れない。
高齢者にとっても便利なものはありがたい。けれど、その便利さが何でできているかもわからない「モノ」を食べている孫が不憫に思える時もある。一般成人の病気と思われていた生活習慣病と同じ、肥満やメタボリックシンドローム、2型糖尿病、高血圧、脂質異常症(高脂血症)などを、幼い子どもが発症するようになり「小児生活習慣病」と呼ばれている。まさか、高齢者と父母、子と孫が世代を超えて同じ病気にかかる時代が来るとは思わなかった。体は口に入れたものでしかつくれない。なにを、どんな環境で食べたかで健康にも病気にもなる。
食べものが「モノ」になり、忘れられたこと
現在の高齢者が幼い頃に伝えられた先人の教えは、「四里四方のものを食え」だったという。家の周りでとれる野菜や保存しておいた漬け物に乾燥野菜、山で採ってきた山菜やきのこなど。どれも自然が育てた「いのちあるもの」を食していた。その「いのち」に家族そろって手を合わせ、自らの「いのち」をつなぎとめることに感謝していただいた。五穀豊穣を願い祝う地域のお祭りや、家族の健康と無事を願う年中行事にも、代々受け継がれてきた深い意味があった。
それが今や口にするのは「いのち」があった頃の姿が思い浮かばないほど加工されたモノ。海を越え、どこからやってきたのかもわからないモノ。それらしく見えるだけで、どこで、どのようにつくられ、なにを混ぜて、どう加工したのかもわからない。
一方、サンタクロースはみんな知っているのに、正月にお迎えする「歳神様」は忘れられてしまった。鏡餅はパッケージを開けるだけ。お節料理は宅配で届く。「御歳魂」は、中身で評価が変わる「お年玉」になってしまった。
子や孫に昔の当たり前を教えようとしても「古い、面倒」と言われ、口を閉ざしてしまったこと。「もう、うるさい」と言われ、伝えきれなかったこと。便利さに気をとられ、とうとう話しそびれたこと。本当は伝えたかったこと。自分が父母や祖父母らから教えられたこと。このまま何も言えずに世を去れば、自分の代で終わってしまうこと。心残りはたくさんある。
時代遅れと言われても、日本人なら聞いておけ
春は芽のもの
夏はぶらさがるもの
秋は実のもの
冬は根のもの
昔の人は季節ごと、体に良い食べものを伝えていた。ことわざの中にも、食や健康にまつわるものがたくさんある。(地域によって表現が変わる場合があります。以下は、長野県農村文化協会発行の「ふるさとの家 郷土レシピ集 ひらがな料理一汁三菜だんどり八分(はちぶ)」から、「健康・栄養に関することわざ」の一部を抜粋)
・味噌汁一杯三里の力
・梅はその日の難のがれ
・秋なす(さば)は嫁に食わすな
・冬至に南瓜(かぼちゃ)を食べると風邪引かない
・腹八分目に医者いらず
身近で採れる旬のものを、家族そろってありがたくいただく。みそも漬け物も家でつくっていた。自分の家のが一番だった。体に良いことや、気をつけることは、長い歴史のなかで積み重ねた経験を、先人が言葉に残してくれている。
どんなに古くなろうとも、先人たちの経験と知恵は色あせない。失ってはいけないもの。生きるために必要なこと。日本の気候風土が育んできた日本ならではの日本人のための教え。
想いを文字にしはじめた「信州ひらがな料理普及隊」の仲間たち
世間を新型コロナウィルスが騒がす中、家にこもった高齢者たちは筆を手に想いを書き綴りはじめた。ずっと言えずに抱えてきたこと。伝えたい想いをのせた「箱膳」のこと。「食べごと」の心をつなぐ「ひらがな料理」のこと。これまで取り組んできたこと。そして、これからのこと…。
みんなから集めた想いを冊子にしようとしているのは、「信州ひらがな料理普及隊」。長野県の北信地域(長野市、千曲市、飯綱町、山ノ内町など)で、2000年頃から箱膳を用いた食育体験をはじめ、郷土食や伝統食の調理、食べごとと和食にまつわる学び、「いのち」の観察、食文化の伝承活動などに取り組んでいた10のグループが集まって2017年5月に結成した。それぞれの活動を交流し、懐かしい思い出と想いを語り合い、さらに学びを深めていたが、2020年は集まることも思うようにできなかった。顔を見ることはできないが、せめて想いを集めようと冊子づくりに取り組んでいる。
伝えておきたい。幼い頃に父母や祖父母らから言われていたこと。「食べごと」に込められた四つの意味=①栄養・健康、②共食・礼法、③いのち・感謝といのり、④食料自給・ふるさとの無事・平和。私の代で終わらせてはいけない大事なこと。
語り継いでおきたい。
便利さがもてはやされる世の中を横目に、ずっと口を閉ざしていた世代。めざすのは、自称「口うるさいおばあちゃん」。お膳の上にご飯と箸を置き、そこから「日本人(ふるさと)の食べごと文化を語れるようになろう」とするやる気と元気な姿に大きな声援をおくりたい。
文責・写真:ソーシャルライター 吉田 百助