#便利さに忘れられた先人の教えーコロナ禍で高齢者が筆をとる

便利さに忘れられた先人の教えーコロナ禍で

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文責 : 吉田 百助 (ナガクルソーシャルライター)
 2021.3.31

1960年代から1970年代の高度経済成長期に「三種の神器」と呼ばれた家庭用電化製品(家電製品)があった。いまでは当たり前に各家庭にあるテレビ(当時は白黒)・洗濯機・冷蔵庫である。「白物家電(しろものかでん)」とも呼ばれた便利な家電製品は、炊飯器(電気釜)や掃除機、電子レンジなどが加わって、瞬く間に普及していった。

白物家電の普及状況 (経済産業省ホームページ 統計からみる日本の工業「昔といまを比べてみよう」より)

これら便利な家電製品は、家事や調理など家庭内の労力を減らし、女性の社会進出を促すことになった。家事が減った時間で働きに出て、稼いだお金で新しい家電製品を買うような生活スタイルへと変わっていった時代かも知れない。ちなみに、その後「新・三種の神器」と呼ばれたのは、カラーテレビ・クーラー・自動車(カー)で、英語の頭文字がすべてCだったことから「3C」とも呼ばれた。便利で魅力的な商品は続々と登場する。

手軽さが売りの便利な食

「食」の世界でも便利で手軽な商品が登場した。いわゆる「インスタント食品」と呼ばれるレトルトカレーやインスタントラーメン、カップ麺、そして冷凍冷蔵庫の普及とともに冷凍食品も急速に増えていった。「3分温めるだけですぐ食べられる」、「お湯を注いで3分間待つだけ」、「レンジでチンするだけ」といった手軽さがなによりの売りだった。

便利な時代の到来とともに、それまで当たり前と言われていたことが「古くさい」、「時代遅れ」などと避けられるようになっていく。そんな時代に幼い子を抱えていた父母世代は現在、孫やひ孫のいる高齢世代になっている。時代の変わり目に戸惑いながら、自らも便利さを楽しんできたのかも知れない。なにかにつけ「もう古い」と言われ、口を閉ざしてきたのかも知れない。生まれた時から便利な世の中になっていた子どもたちとは違う複雑な環境を生きてきた世代だと思う。

かたや、現在の父母や子どもたちは、人生の先輩である祖父と祖母、自分の親たちから「以前の当たり前をなにも聞いていない世代」ということになる。教えてもらう機会があったのに聞かなかったのか、それとも機会すらなかったのか。便利さが当たり前で、テレビに映る新しいものに目が移る。情報と流行に流され続けている世代かも知れない。

高齢者にとっても便利なものはありがたい。けれど、その便利さが何でできているかもわからない「モノ」を食べている孫が不憫に思える時もある。一般成人の病気と思われていた生活習慣病と同じ、肥満やメタボリックシンドローム、2型糖尿病、高血圧、脂質異常症(高脂血症)などを、幼い子どもが発症するようになり「小児生活習慣病」と呼ばれている。まさか、高齢者と父母、子と孫が世代を超えて同じ病気にかかる時代が来るとは思わなかった。体は口に入れたものでしかつくれない。なにを、どんな環境で食べたかで健康にも病気にもなる。

肥満児が増加する背景(一般社団法人 日本小児内分泌学会ホームページ 病気の解説・肥満より

食べものが「モノ」になり、忘れられたこと

現在の高齢者が幼い頃に伝えられた先人の教えは、「四里四方のものを食え」だったという。家の周りでとれる野菜や保存しておいた漬け物に乾燥野菜、山で採ってきた山菜やきのこなど。どれも自然が育てた「いのちあるもの」を食していた。その「いのち」に家族そろって手を合わせ、自らの「いのち」をつなぎとめることに感謝していただいた。五穀豊穣を願い祝う地域のお祭りや、家族の健康と無事を願う年中行事にも、代々受け継がれてきた深い意味があった。

それが今や口にするのは「いのち」があった頃の姿が思い浮かばないほど加工されたモノ。海を越え、どこからやってきたのかもわからないモノ。それらしく見えるだけで、どこで、どのようにつくられ、なにを混ぜて、どう加工したのかもわからない。

一方、サンタクロースはみんな知っているのに、正月にお迎えする「歳神様」は忘れられてしまった。鏡餅はパッケージを開けるだけ。お節料理は宅配で届く。「御歳魂」は、中身で評価が変わる「お年玉」になってしまった。

和紙に餅を包み歳神様の魂をわけていただく有難い御歳魂(おとしだま)

子や孫に昔の当たり前を教えようとしても「古い、面倒」と言われ、口を閉ざしてしまったこと。「もう、うるさい」と言われ、伝えきれなかったこと。便利さに気をとられ、とうとう話しそびれたこと。本当は伝えたかったこと。自分が父母や祖父母らから教えられたこと。このまま何も言えずに世を去れば、自分の代で終わってしまうこと。心残りはたくさんある。

時代遅れと言われても、日本人なら聞いておけ

 春は芽のもの

 夏はぶらさがるもの

 秋は実のもの

 冬は根のもの

昔の人は季節ごと、体に良い食べものを伝えていた。ことわざの中にも、食や健康にまつわるものがたくさんある。(地域によって表現が変わる場合があります。以下は、長野県農村文化協会発行の「ふるさとの家 郷土レシピ集 ひらがな料理一汁三菜だんどり八分(はちぶ)」から、「健康・栄養に関することわざ」の一部を抜粋)

・味噌汁一杯三里の力

・梅はその日の難のがれ

・秋なす(さば)は嫁に食わすな

・冬至に南瓜(かぼちゃ)を食べると風邪引かない

・腹八分目に医者いらず

箱膳(はこぜん)でいただく一汁二菜の和食(ごはんとみそ汁、つけものにおかずが二品)

身近で採れる旬のものを、家族そろってありがたくいただく。みそも漬け物も家でつくっていた。自分の家のが一番だった。体に良いことや、気をつけることは、長い歴史のなかで積み重ねた経験を、先人が言葉に残してくれている。

どんなに古くなろうとも、先人たちの経験と知恵は色あせない。失ってはいけないもの。生きるために必要なこと。日本の気候風土が育んできた日本ならではの日本人のための教え。

想いを文字にしはじめた「信州ひらがな料理普及隊」の仲間たち

世間を新型コロナウィルスが騒がす中、家にこもった高齢者たちは筆を手に想いを書き綴りはじめた。ずっと言えずに抱えてきたこと。伝えたい想いをのせた「箱膳」のこと。「食べごと」の心をつなぐ「ひらがな料理」のこと。これまで取り組んできたこと。そして、これからのこと…。

みんなから集めた想いを冊子にしようとしているのは、「信州ひらがな料理普及隊」。長野県の北信地域(長野市、千曲市、飯綱町、山ノ内町など)で、2000年頃から箱膳を用いた食育体験をはじめ、郷土食や伝統食の調理、食べごとと和食にまつわる学び、「いのち」の観察、食文化の伝承活動などに取り組んでいた10のグループが集まって2017年5月に結成した。それぞれの活動を交流し、懐かしい思い出と想いを語り合い、さらに学びを深めていたが、2020年は集まることも思うようにできなかった。顔を見ることはできないが、せめて想いを集めようと冊子づくりに取り組んでいる。

伝えておきたい。幼い頃に父母や祖父母らから言われていたこと。「食べごと」に込められた四つの意味=①栄養・健康、②共食・礼法、③いのち・感謝といのり、④食料自給・ふるさとの無事・平和。私の代で終わらせてはいけない大事なこと。

語り継いでおきたい。

便利さがもてはやされる世の中を横目に、ずっと口を閉ざしていた世代。めざすのは、自称「口うるさいおばあちゃん」。お膳の上にご飯と箸を置き、そこから「日本人(ふるさと)の食べごと文化を語れるようになろう」とするやる気と元気な姿に大きな声援をおくりたい。

文責・写真:ソーシャルライター 吉田 百助

#長野県 広がる温暖化の波

温まる長野。冷やすヒトビト。

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執筆 : K-た (ナガクルソーシャルライター )
 2020.3.15

グレータ・ティンティン・エレオノーラ・エルマン・トゥーンベリさん

2003年1月3日にストックホルムで生まれ、学生でありながらスウェーデンの環境活動家として活躍しています。主に地球温暖化によってもたらされるリスクを訴えています。

スウェーデン語で「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げて、より強い気候変動対策をスウェーデン会議の外で呼びかけるという学生時代を過ごし始めたことでよく知られるようになりました。彼女が2020年1月の世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で演説し、「私たちの家は今も燃えている。皆さんの怠慢が1時間ごとに油を注いでいる」と世界に警告したはあまりにも有名な話です。CNN.co.jp _ グレタさん、ダボス会議で演説 「今すぐに行動を」 より。)

 

 

そして、彼女が警告している火の手は長野県でも身近に広がってきています。

長野県内の年平均気温は、100年あたりで、 長野市で1.1℃松本市で2.0℃*、飯田市で1.3℃上昇しています。そして様々な動物たちにも、その影響が出てきています。絶滅危惧種や生態系の重要性、生物の多様性の保全等の普及などで活用されている長野県レッドリスト(2015)では、505種の動物が絶滅の恐れがあるとして、示唆されています。(※長野県レッドリストについては長野県のホームページ「長野県版レッドリスト(動物編)2015の公表について」を参考。)

 

長野県気象活動防止センターホームページより引用

農業部門でも、リンゴの着色不良、白末熱粒、が増加する傾向がみられ、80日あった寒天づくりの生産期間が、60日~70日程度にまで短くなってきています。長野県中部よりも北にみられる、シラカシの林の広がりも、平均気温の上昇によるものだと言われています。こうしている間にも、我々の身の回りでは、少しずつ温暖化が進んでいます。

赤沼地区のリンゴ畑。実ったリンゴはすべて出荷できず。2020.1.9撮影。

また,局地的豪雨や台風の強大化などによる洪水被害等が多発していて,それは地球温暖化の影響が徐々に現れ始めたと言われています。今後は緩和策に加え,適応策を検討することも必要とされています。

千曲川決壊現場近く。2020.1.9撮影。

では、長野県では具体的にどんな対策がとられているのでしょうか。

まず、県境の峠、軽井沢の町中に、木製のガードレールが見られます。そして、信号機も省エネ型で見やすい発光ダイオード製が使われているようです。多くの山沿いの斜面や家々には太陽光発電や太陽熱温水器がみられます。こうしてよくみてみると、ところどころに環境問題に対する行政や民間のアプローチが垣間見えます。

 

      木製のガードレール 軽井沢。2020.2.28撮影。

      斜面に見られるソーラーパネル 立科町の藤沢付近。2020.2.28撮影。

 

県の方針としては、令和元年11月県議会定例会での「気候非常事態に関する決議」を受けて、阿部知事が「気候非常事態」を宣言し、この中で「2050年二酸化炭素排出量実質ゼロ」とすることを宣言しました。さらに、実際に行われている温暖化対策の取り組みとして、気候変動の「緩和」という観点から、信州・気候変動モニタリングネットワークが、「適応」という観点から、信州・気候変動適応プラットフォームが設置されました。 また、気候変動適応法(平成30年法律第50号)13条の規定により、信州気候変動適応センターが設置されています。

 

そして、長野県に大きな爪痕となったのは、昨年。「令和元年東日本台風(台風第19号)」が長野を直撃しました。その事後、災害ボランティアの方々が復旧に大きく貢献しました。その際に、素早い体制づくりができた背景には、※1事前に長野県で災害支援を受ける計画が事前に作られていて、ボランティアの支援のありかたを国や自治体、そしてボランティア側も交えて話し合っていたということが大きく作用していたようです。

災害発生後には、※2県と市、国の各省庁、そしてNPO法人などが頻繁に情報共有会議を開いたほか、県庁内にボランティア団体の活動拠点も設けて、協力し合いながら対応を進めているようです。

上田市別所線赤鉄橋崩落2019.10.15撮影

内閣府の担当者は※3「災害発生直後から本格的な連携が行われた初めてのケースと言えるだろう。」と高い評価を下しています。(under line ※1※2※3 NHK 「台風19号1カ月 ボランティア 活動環境の整備を(時論公論)」より引用)

 

グレタさんが言うように、こうしている今も、地球温暖化は見えない炎となって、生態系や気候を変動させています。その一方で、長野県でも着々と行われていることがあります。

 

長野県は大きく自然に恵まれている県の一つです。住民の踏み出す一歩。少しずつ変わっていく風景や、台風の時に見られた人と人との絆。そのつながりこそが、見えない銃弾に消えていくライチョウやニホンカモシカ、そして気候変動や、農作物に表れている異変への何よりも特効薬となることでしょう。

撮影:Junko Terasawa@地獄谷

グレタさんの言葉に身を引き締めながらも、長野県の取り組みを調べていくうちに、私は少しだけ、楽観的に地球環境問題に取り組めそうな気がしています。

執筆 K-た(フリーライター)

 

参考

グレタ・トゥーンベリ – Wikipedia

CNN.co.jp _ グレタさん、ダボス会議で演説 「今すぐに行動を」

信州・気候変動適応プラットフォーム _ 信州・気候変動適応プラットフォーム

信州気候変動モニタリングネットワーク

信州気候変動適応センター(LCCAC-S)

長野県地球温暖化防止センター

「台風19号1カ月 ボランティア 環境活動の整備を」(持論公論)

「長野県レッドリスト(動物編)2015」の公表について

 

 

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

     

 

#食料自給率を高めるカギは学校給食だ!
関連する目標:  
文責:ナガクルソーシャルライター 吉田 百助
 2020.2.29

国内の食料消費の63%が国内でまかなえていない

「平成30年度のカロリーベース食料自給率は37%」と、農林水産省のホームページを見るとある。食料自給率とは、国内の食料消費が、国産でどの程度まかなえているかを示す指標だとしている。

つまり国内の食料消費の63%が国内でまかなえていないということだ。食料自給率の⻑期的推移を示すグラフで前述したカロリーベースは、中ほどの青線。年々下がっているのが分かる。

農林水産省ホームページ「食料自給率とは?」より

 

同省のホームページには「先進国と比べると、アメリカ130%、フランス127%、ドイツ95%、イギリス63%となっており、我が国の食料自給率(カロリーベース)は先進国の中で最低の水準」とあり、下のグラフも示されている。(なぜ1位のカナダと2位のオーストラリアを除くコメントになっているのだろうか)

 

国別グラフ

 

日本の食料施策とその結果分析に疑問

食料自給率が低下した説明を同省は「平成30年度においては、米の消費が減少する中、主食用米の国内生産量が前年並みとなった一方、天候不順で小麦、大豆の国内生産量が大きく減少したこと等により、37%となりました」とし、米の消費減少と天候不順が原因らしい。

平成27年3月に策定された「食料・農業・農村基本計画」では、食料自給率の目標として、「供給熱量ベースの総合食料自給率を平成37年度に45%」を掲げているが、その達成に向けて国がなにをしてきたのか。この一年どういう策をもって何をしたのか、その成否の結果が数字として表れたという説明があってもいいのではないか。国の策を抜きにして、天候不順のせいにしたような説明は納得しがたい。

不可解な説明は、同省の別資料「平成30年度 食料自給率・食料自給力指標について」にもある。「食料自給率は、米の消費が減少する一方で、畜産物や油脂類の消費が増大する等の食生活の変化により、長期的には低下傾向が続いてきましたが、2000年代に入ってからは概ね横ばい傾向で推移しています」と、食生活の変化が要因になっていて、ここにも国の策は見られない。

そもそも1期前の平成22年に策定された同基本計画では、「平成32年度の供給熱量ベースの総合食料自給率50%」と目標を設定していたにも関わらず、その目標を下げてもなお達成への道筋はまったく見えていない。
その一方で、食生活の変化がなぜ起きたのか歴史をさかのぼると、はっきりとした国の策が見えてくる。

 

米の消費が減少する代わりに増えたのは、小麦

団塊の世代には懐かしいコッペパンが、国民の食生活を変える一因になった。学校給食のはじまりである。全国学校給食会連合会のホームページ「学校給食の歴史」によると、昭和25年7月、「8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施」とあり、翌年から全国すべての小学校が対象になる。昭和31年には、「『米国余剰農産物に関する日米協定等』の調印により、学校給食用として小麦粉10万トン、ミルク7,500トンの贈与が決定される。」とある。

贈与とは気前が良いなと思っていたら、アメリカは1954年(昭和29年)に農産物を輸出する法案PL480法「農業貿易促進援助法(余剰農産物処理法)」を成立させていた。大量の余剰農産物の保管に係る経費が莫大で、国家財政が危機的状況にあるから輸出しようという法律であった。
なんとアメリカの余剰農産物を消費するために、日本の学校給食が利用され、それまでの米食からパンへと日本人の食生活が大きく変えられてしまった。はじめは「贈与」だったが、それから日本はアメリカの余剰小麦を買い続け、現在では輸入小麦の51%がアメリカ産になっている。(財務省「貿易統計」より)
コッペパンととも懐かしい脱脂粉乳も、アメリカが抱えていた膨大な余剰物資だったらしい。

もうひとつ、昭和30年頃から日本人の食生活を大きく変えた運動があった。「1日1回はフライパンを使う」という「フライパン運動」だ。「米では栄養不足になる」というネガティブキャンペーンの一方で、「高カロリーの油を使え」、「もっと粉食を」と、厚生省がつくった財団法人日本食生活協会の「栄養改善車(キッチンカー)」が全国を駆け回った。

食の風土記より

写真は「信州ながの食の風土記-未来に伝えたい昭和の食-」長野県農村文化協会編より、「キッチンカーで油を使ったフライパン料理の実地指導(昭和30年代、松代町にて)」

キッチンカーの写真は、公益財団法人 日本栄養士会のホームページにある「沿革」内で見ることができます。昭和29年7月

「偏りがちな栄養を正しく摂取するために」と、パンケーキやスパゲティ、ベーコンエッグ、オムレツなどの調理を実演し、油料理を勧めるキッチンカー。学校給食で小さな頃からパンと牛乳を当たり前に食する子どもたち。それまで日本の食卓になかったカタカナ料理が大々的に普及し、小麦と油、肉、卵、乳製品などの消費が伸びていく。国の策によって、日本人の食生活が大きく変えられた。
油脂の原料となる大豆は現在、輸入量の72%がアメリカ産。畜産物の飼料となるトウモロコシは、輸入量の92%がアメリカ産になっている。(財務省「貿易統計」より)

 

学校給食にご飯

昭和50年代になって学校給食にご飯が登場する。導入の理由は、子どもたちためではなかった。当時、食糧管理制度による政府全量買入の下で政府在庫に膨大な過剰在庫(昭和40年代に第1次過剰、昭和50年代半ばに第2次過剰)が発生し、古米・古古米と積み重なる過剰米の処理に困った政府が学校給食への利用をはじめたためだ。
昭和30年代にアメリカの過剰小麦を処理し、次に国内の過剰米を処理する役目を負わされた学校給食。米の生産調整(減反)が本格的に開始されたのも、この頃だった。

 

変わりはじめた世界の学校給食

近年、学校給食に新たな取り組みが見られるようになった。アメリカでは、「ミートレス・マンデー」に取り組み、月曜日は「肉を使わない給食」を提供している。フランスでは、「週に1回のベジタリアン給食」。韓国では、有機農産物を用いた学校給食の無償化へ動き出した。(詳しくはWEBで検索を)
ミートレスもベジタリアンも、脂質と油を摂り過ぎている子どもたちの健康を改善し、畜産業が排出する二酸化炭素を抑制して地球温暖化対策に貢献することができる。もとは、イギリスのミュージシャンであったポール・マッカートニーらの呼びかけで2009年から始まった「ミート・フリー・マンデー(週に1度は肉を食べない日を設けよう)」という活動だった。

カロリーベース食料自給率が37%にまで下がった日本。過剰農産物の処理に利用され変遷してきた学校給食が、次に目指すのはなにか。世界の動きにならってミートレスと有機農産物の利用に取り組めば、子どもたちの健康と地球の未来のためになる。地元の農業者が子どもたちのためを思いながら丁寧に育てた作物を学校給食で提供すれば、地域に活気が生まれる。それまでどこかへ支払っていた給食費が地元の農業者へ支払われるようになれば、経済の地域循環も生まれる。

農薬と化学肥料で育てた栄養価の乏しい作物。まるで工場のような畜産。残留する化学物質やホルモン剤。超加工品と言われる添加物だらけの食品。産地や素材が分からない加工品。遺伝子組み換えやゲノム編集技術を使った未知の食…。
現代社会に溢れる「子どもたちに食べさせて良いのか?」と疑問視せざるを得ない食を避けるためにも、地元で育てた有機農産物を学校給食で提供すべきだろう。

若いうちから生活習慣病(予備軍)に悩まされ、「2人に1人が、がんになる時代」と当たり前のように言われている日本人。(詳しくはWEBを参照)

一般財団法人 日本生活習慣病予防協会

公益財団法人 日本対がん協会

米からパンへ、油と肉の大量消費へと食生活を大きく変えてきた国策の歴史がありながら、現在の政府は食料自給率の低下を横目に思い切った打開策を打ち出すこともない。
日本には、世界無形文化遺産になった「和食」がある。先人たちの長年の知恵が詰った郷土食伝統食ひらがな料理がある。味噌や納豆など体に良い発酵食品がある。世界が着目する健康的な「和食」を本家の日本人が見失ってはならない。
子どもたちのために、できること。国の策を待つことなく、地域からできること。
学校給食で変えられた食生活であれば、もう一度学校給食を変えればいい。キッチンカーが有効であれば、地域に走らせればいい。国全体の数字は上がらなくても、地域の食料自給率を高めることならできる。

2020年2月に発足した「信州オーガニック議員連盟」の活躍に大いに期待する。
信州オーガニック議員連盟 結成、NPOとコラボに期待

文責:ナガクルソーシャルライター 吉田 百助

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。

 

#県民が誇れる「長野県産」を
関連する目標:  

「長野県産」で子どもたちの健康を守りたい

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執筆 吉田 百助
 2019.2.7

いまは「安心」の長野県産農産物

店頭に並ぶ農作物に「長野県産」の表示を見つけると「安心」できる。さらに生産者に知った名前があれば、迷うことはない。見た目や値段にとらわれず「安心」を選べるのがうれしい。

そんな農産物が店頭から消える日がやってくるかも知れない。2018年4月に廃止された主要農産物種子法の影響が心配だ。戦中戦後に食料難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」という国の意思を現し、米・麦・大豆の優良な種子を安定的に供給することを都道府県に義務付けていた法律が、マスコミも取り上げることなく静かに廃止された。

さらに国は、種苗法で定める農林水産省令を改正し、農業者による「自家採取を原則禁止」した。これらによって、種子は毎年「企業から買わなくてはならないモノ」になった。

 

失われる多様性と脅かされる健康

種子を巡る同様の動きは、すでに世界各地で重大な環境問題を引き起こしている。企業は最大の儲けを追求するため、種子の種類を限定する。地域のニーズは関係ない。大規模な単一農業で、地域にあった生物の多様性が失われ、土壌劣化などの環境被害が起きている。もうひとつの問題は、企業が扱う「遺伝子組み換え種子」とセットの農薬が引き起こす健康被害だ。

 

食べものを選べない

種子が「企業から買うモノ」になり契約栽培に縛られれば、そこからできる農産物もすべて企業のものになる。種子を支配すれば、食も支配できる。「それしかない」社会では、消費者が買うものを選ぶことすらできない。食料の6割以上を輸入している日本で、国内栽培の種子までが企業に支配されたら、国民は「与えられたモノ」を食べることでしか生きられなくなる。

子どもたちの健康も守れない

失うのは食べものを選ぶ権利だけではない。健康への影響も心配だ。アメリカでは現在、Non-GMO(非遺伝子組み換え)有機農産物の消費が増え続けている。アレルギーや発達障害、内臓疾患、肥満、糖尿病、自閉症、うつ病などに苦しむ「子どもたちのため」を考えた母親たちの取組が、大きな社会現象になっている。

 

長野県産農産物の安心を守るには

もし、長野県内で「遺伝子組み換え作物」が栽培されるようになったら、「長野県産の農産物は安心」という信用はなくなってしまう。「安全性に疑問のある種子が栽培されている県」になるからだ。「うちは違う」と証明することも、下がった信用を取り戻すことも極めて難しい。

農業者の自由な栽培と消費者の選べる機会、子どもたちの健康を守れるとしたら、これまで長野県が守ってきた米や麦の種子を引き続き県が責任をもって生産・供給するともに、県産の価値を下げないため「長野県では遺伝子組み換えの米や麦を一切栽培しません」と、県が宣言し規制するしかない。これに、大豆やそば、野菜、果樹などを含めて県産の農産物すべてを対象にできれば、県は子や孫に世界にも誇れる「NAGANOブランド」を手にすることができる。その経済的な効果は計り知れないものになり、県民の大きな誇りになる。

 

(執筆:吉田 百助)

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。