被災から3年・復興のシンボル、赤沼公園でライブー長野市

「復興」の想いを胸に、野外ステージで10組のアーティストたちがライブを繰り広げる。2022年10月16日、長野市長沼地域のリンゴ畑の真ん中にある「赤沼公園」。広い芝生エリアではボランティアによる子どもたちの遊び場の提供や、手仕事のワークショップ、小物や食べ物の販売も。公園に面する道路にはキッチンカーも並んでいる。

企画したの「長沼コンサート実行委員会」は、被災地域での復興活動を続けるHope Appleなどの市民グループ。同所でのライブは被災後、初開催となる。

赤沼公園での開催にこだわる理由とは

「どうしても、この赤沼公園で開催したかった」と語るのは、実行委員の一人、小島武さん。赤沼地区出身で災害直後に、「自分の育った地に何かできないか」と単独でボランティアに入っていた。支援活動中に同実行委員長である太田秋夫さんら災害支援グループの人たちに出会った。

「お世話になった人たちに恩返ししたい。そして地区の外から何かできることをやりたい」という想いが一致したという。被災から3年経った今、復活のシンボルとも言える「赤沼公園」での開催は、小島さんたちの悲願だった。

なぜなら災害当時、赤沼公園は、被災地域から泥と共に運び出された災害廃棄物の集積場となった場所。大切に揃えてきた家財道具や本や写真、農業用具までもがドロドロ・ボロボロの状態で渦高く積み上げられていく・・・その無残な姿に多くの住民や支援者が心を痛めたからだ。

ボランティアが全国から入り、軽トラや重機も集まり、自衛隊も連携し、人海戦術で廃棄物の山がだんだん片付けられていった。この山が小さくなるにつれ、関係者の心に少しずつ光が見え、復旧が進んでいったのだ。

音楽に災害の経験と復興への想いをのせて

被災後、農業ボランティアの拠点となり、その後に改修しオープンした農産物直売所「アグリながぬま」で、小島さんたちは復興を応援する想いで、ミニコンサートを重ねてきた。復興に向けて音楽の力は大きかった。

今回のコンサートはその集大成。先陣を切ったグループ「young & pretty」はステージで、「当時、ボランティアに来ていた学生3人との出会い、そして彼らの言動に心動かされた」と、作ったオリジナル曲を披露した。

とにかく明るく楽しいコンサートで、お年寄りから親子連れまで足を止めて聴き入っていた。芝生が広がる広場では、学生ボランティアも数多く参加して、子どもたち向けの遊び体験を提供。たくさんの親子連れが、楽しそうに笑い合う姿が印象的だった。

学生ボランティアの純粋な想いと、支援者の複雑な想い

復興活動としてライ麦を使ったモビール作り体験のブースでは、ボランティアで来ていた長野文化学園2年生の田中琴羽さんが「SDGsについて学校で学んだ。特に環境問題に関心があるため、ライ麦を使ったストローを作る活動に関心を持って参加した」と話す。田中さんをはじめ、今回ボランティア参加した高校生たちは、災害当時は中学生だった。そのため、ニュースで災害を知り、ボランティアをしたくてもその方法がわからず、参加できなかった世代だ。

また、豊野地区からも支援者が応援に来ていた。災害時に避難所で共に時を過ごした被災者との再会に歓喜する姿も見られた。「あの女性は被災当時、心も体もボロボロだった。でも今日、赤ちゃんを連れてやって来てくれた。彼女の元気な笑顔が見られて、こんな嬉しいことはない」と語る支援者の清水厚子さん。

復興支援に尽力してきた清水さんに、この3年での変化について聞くと「景色・環境・経済・気持ち・関係性、これら5Kが大きく変化したと感じる」と話してくれた。息子の住む家が被災し、そこにしまっておいた清水さん自身の大学時代からの大切な本や雑誌コレクションを廃棄せざるを得なくなったという。「いつか小さな図書館を作りたいと思っていたのに・・・」大事なモノが消滅し、自分の存在が小さくなったように感じたのだろうか、「息子主導の時代になった」と家族関係の変化を振り返り、肩を落とす。

景色や環境が激変し、気持ちの切り替えが必要だった。人とのつながりや助け合いの大切さや、行政との関係も考えさせられたという。そして多くの被災者が経済的にも想定外の負担を強いられることにもなった。「この経験をいろんな人と語り合いたい。そして、被災者や支援者だけでなく、市民一人一人がこの5Kについて真剣に向き合う時が来ている」と話す。

災害の記憶の風化を防ぎ、未来を描くには

「地区外から復興のために支援に入って3年。地域の方達に理解をいただき、連携しながら復興のお手伝いをしてきた。今回のイベントが少しでも被災者の皆さんへのエールになれば嬉しい。こうしたイベントを少しずつ地元の人たちに引き継ぐことができれば。災害のシンボルでもあるこの赤沼公園をいろんな方に活用してほしいという想いもある」と実行委員長の太田さん。

堤防工事は未だ続く

リンゴの収穫と出荷に忙しいこの時期を押して「地元住民自治協議会はチラシの全戸配布に協力してくれるなど、準備に尽力していただいた。当日も地域の皆さんが顔を出してくれた」と話す。

地域全体が力を取り戻すのには、まだまだ時間はかかると予想される。多くの人々が地域に押し寄せ、災害と復旧・復興という一連の嵐がようやく落ち着いてきた3年という節目に、私たちは何を想い、何を残し、どう行動していったらいいのだろうか。

豊かに実る秋のリンゴ園に響き渡る音楽と、こどもたちの声。復活のシンボルとも言える「赤沼公園」でのイベントを、雲ひとつない青空が見守っていた。

取材・撮影・執筆/ナガクル編集デスク 寺澤順子