【Bread】と名付けられた特別なビールが、長野県野沢温泉村にあるブリューパブ【里武士】で提供されている。
興味のはじまりは「食品ロスとSDGs」をテーマにした講座の打ち合わせ。「パンの耳を使ったビールがある」と聞き、調べることにした。焼きたてのパンを思わせる香ばしさと独特の酸味をまとうというクラフトビール。 年に1~2回しかないという機会を得て、その仕込みに立ち会った。

クラフトビールを醸造するAnglo Japanese Brewing Company

里武士のクラフトビールを醸造するのは、Anglo Japanese Brewing Company (以下はAJBと呼ぶ)。野沢温泉村にあった保育園を改装した建物内に、2500リットルのタンクが立ち並んでいる。その一角に本日の主役【パン】が置かれていた。
使いやすい大きさにカットしローストしてあるのは、提供者の好意だという。ひとつ口にすると、カリカリとした触感。かみ砕くほどに香ばしさがあふれてくる。このままでも十分においしい。

【パン】は、縁があって東京/六本木からやって来た。丸く焼いたカンパニューでオープンサンドをつくる際に切り落とす部分。どうしても出てしまう部分を以前は、ラスクや飼料・肥料にと試行錯誤しながら何とか生かす方法を探していたらしい。
「アップサイクル」という考えがある。従来から行なわれてきたリサイクルとは違い、単なる素材の原料化と再利用ではなく、新たな付加価値を持たせることで別の新しいものにアップグレードして生まれ変わらせる考えだ。そんな使い道があればと願っていた。

厳選した材料でつくる こだわりのカンパニュー

この【パン】には、それだけの「もったいない」価値があった。ベーカリーbricolage bread& Co.の看板商品であるライ麦カンパニュー「ブリコラージュブレッド」は、日本中から厳選して集めたこだわりの原料でつくられる。「なるべく顔の見える食材を使いたい」との願いのもと、すべて国産小麦が使われている。

そもそも、このベーカリーの誕生が興味深い。きっかけは2012年の東日本大震災後。仮設住宅で避難生活する人々への炊き出しで出会った二人。ミシュラン2つ星レストラン「L’effervecence(レフェルヴェソンス)」のシェフ生江史伸さんと、関西最高ランクと言われる「LE SUCRÉ-COEUR(ル・シュクレ・クール)」の岩永歩さん。

おいしいものをつくろうとこだわる二人が、いっしょにつくった店がbricolage bread& Co.だというのだから、そのこだわりは奥が知れない。そんなこだわりの一部を使って生み出されるのが【Bread】。

【パン】の使い道を探していたとはいえ、最初は「ビールにするなんて」と疑いの目で見られたそうだ。乗り気でなかった担当者をやる気にさせたのが、AJBがつくるクラフトビールだった。「飲んでもらえれば分かる」と確信し、「これならいける」と言われた瞬間、互いのこだわりがつながった。

AJBのスタートは2014年1月、野沢温泉村の中心地でブリューパブ「里武士」のオープンと共にはじまった。創業者のトーマス・リブシーさんと絵美子さんは、荘厳な大自然と村の人々の温かさに惚れ込んでこの地に移住してきた。店名の里武士は、創業者名リブシーに漢字を当てはめた。

革新的なこだわりのクラフトビール

野沢温泉の豊かな湧き水、長野県そして世界中から集めた最高品質の自然な原料のみを使用して、手作りにこだわって多彩なスタイルのクラフトビールを醸造している。化学添加物や着色料、保存料、防腐剤など一切使用せず、すべて無濾過、非熱処理で酵母が生きている。「ビールは芸術そのもの」という観点から、さまざまなレシピを考案し、常に挑戦的で革新的なビールを作り続けている。

【Bread】の仕込みは、この日で7回目だという。年に1~2回、必要な量の【パン】が集まるのを待って行われる。朝からはじまった仕込みは、正午を過ぎても終わらない。【パン】の出番は、すぐには来なかった。

入念なチェックが続く繊細な仕込み作業

一つ一つの動作が実に繊細で、遠目からも細やかな神経を注いでいるのが感じられる。「とにかく邪魔をしてはいけない」と身を潜め、何をしているのかをたずねる機会を逸したまま淡々とした作業のゆくえを見守った。大まかに言って、ビールのもとになるモルト(麦芽)にお湯を混ぜ、かく拌しながらデンプンを【糖】に変えて【麦汁】にしているらしい。

次のタンクへ移す途中で、光を当てると黄金色に輝く麦汁を試飲させてもらった。とても甘い。シロップをたっぷり加えたホット麦茶のような、そのままでもおいしい麦のスープ。発酵前なのでアルコール分はない。

ここに来るまで、何度も何度もチェックが続いた。計器で流れ込む量と温度を確認し、タンク内の様子に目を凝らしていた。チェックにチェックを重ね、またチェックを繰り返す。少しの違いも許さないような厳密さが、AJBこだわりの味につながっていく。

そして訪れる次の段階で、いよいよ【パン】がタンクに投入される。上からお湯をかけ、ゆっくりと香りと酸味を麦汁にしみ込ませる。立ち上る湯気に香ばしさが加わり、黄金色だった麦汁が次第に赤茶色へと深みを増す。時がたつほどに、色合いが濃くなり香りが強くなっていく。【パン】のこだわりが麦汁へと受け渡されていく時間。

その間も入念なチェックが何度も続いた。0.001単位の微妙なさじ加減に、妥協のないこだわりが感じられる。
ここからさらにホップを加えて香りと苦みをつけ、発酵タンクに移し替えて酵母を加える。酵母は麦汁に含まれる糖分を、アルコールと炭酸ガスに変える。発酵が終わったビールを熟成させるまで2週間ほど。店頭で提供されるまでには、ひと月近くかかると言う。

実に繊細で時間と手間をかけた工程の数々。こだわりの【パン】が、こだわりのクラフトビールへと進化する現場だった。噂を聞きつけ「パンの耳ならあるよ」と声がかかることがあるそうだ。残念だが何でもいいわけではない。【Bread】の名を冠するには、それだけのこだわりが必要なのだ。

醸造所でのこだわりの役目を終えたパンは、どこへ行くのだろうか。さらに物語は続く。

パンとモルトかすが行く先

次の行き先は、日本で飼養されている乳牛のわずか1%しかいない希少なジャージー牛の飼料だ。ジャージー牛は、英王室で王族専用のミルクをつくるために、長年にわたって品種改良された乳牛。他品種の牛乳とは比べものにならない高い栄養価とコク、うまみを有し「英王室御用達のゴールデンミルク」を生み出す。

飼育しているのは長野県小布施町にある「小布施牧場milgreen(ミルグリーン)」だ。頭数を控えた小さな牧場で、少数の牛たちを放牧し細やかな愛情を注いでいる。飼料には、地元の稲わらと自社産のトウモロコシ、大豆、放牧場の牧草を中心に、あのパンと汁を絞ったあとのモルトかすが使われている。

牧場には農法と飼料のつくり方にもこだわりがある。乳酸菌や酵母菌、納豆菌など、さまざまな善玉菌の助けを借りる通称「菌ちゃん農法」に取り組み、地元の有機栽培農家「OBUSE Meguru Lab.」の工藤陽輔さんが協力している。善玉菌で発酵させた液を牛に与えると、ふん尿が良好な発酵状態で排せつされ、それに米ぬかボカシを混ぜることで上質な発酵堆肥ができるという循環だ。さまざまなこだわりが詰まったしぼりたてのゴールデンミルクを本場イタリアの最高水準のマシンでジェラートにして自社店舗で提供している。

「パンの耳を使ったビール」からはじまった探求は、こだわりの連鎖が生みだす【食の循環】へとつながった。切れ端と呼ぶにはもったいない【パン】が、手間と時間をかけた繊細な工程を経てこだわりのクラフトビールに生まれ変わり、英王室御用達のゴールデンミルクへと進化する。

それそれが高いレベルのこだわりの連携で生み出されていく。単に「食品ロス」や「食品リサイクル」と言うには留まらない。 高度な食のこだわりは、大事な【いのち】のつながり。妥協せず、捨てず、断ち切らず。人の想いがつながって、壮大な食の循環ができている。

<取材・編集>ソーシャルライター 吉田 百助

ブリューパブ【里武士】長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9347