台風19号被災地で「長沼かるた」が完成! 小学校でかるた取りに歓声上がる

被災の体験と地域の特色を後世に伝えようと、「長沼かるた」が作られました。小学生から高齢者まで多くの住民が関わって完成。新たな地域の金字塔となりました。「長沼かるた」には、地域に対する人々の「思い」と復興への願いが込められています。

千曲川の堤防が決壊して長野市長沼地区で甚大な被害が出たのは2019年10月。あの悪夢の出来事から4年半が経ちました。住民が徐々に落ち着きを取り戻すなか、次のステップにつながるようにとの願いも込めて、長沼地区住民自治協議会の「まちづくり委員会」は「かるた」作りを発案。このほど完成しました。長沼小学校の子どもたちに届けると、さっそく「かるた取り」を行ない、子どもたちは自分たちが作品を応募して出来上がったことに喜びの声をあげていました。

応募呼びかけのチラシ

長野市の令和5年度復興推進補助金を活用しての事業でした。10月に「かるた部会」を立ち上げて11月から読み札の文面を募集。住民に用紙を全戸配布し各区に応募箱を設置して呼びかけるとともに、長沼小学校にも協力をお願いしたところ児童の応募もあり、全部で317点が集まりました。募集したのが秋だったことから「あ」、地域の産業であるりんごの「り」、長沼の地名の「な」が多く、五十音の46文字をそろえるのに不足した文字もありました。文面を調整して全部そろうようにしましたが、防災・歴史・文化・産業・自然に関わる内容をバランスよく選択するのに苦労したと、事業を推進した「かるた部会」の笹井妙音さんは話します。

次の工程は絵札の製作でした。時間的な制約があることから、当初は絵の専門家にお願いすることを考えましたが、たまたま小学生の応募のなかに絵が描かれたものがあり、それを見て子どもたちに描いてもらうことにしようと方針を変えました。「長沼切り絵の会」や「絵手紙愛好者」の本格的な絵とともに、小学生にも読み札の文章を提示して絵を自由に描いてもらいました。見ているだけでほっこりする作品がたくさん集まりました。このなかから、頭文字ごとに使用する絵を1枚ずつを選考しました。

小学生がいっしょうけんめいに絵を描いた

読み札と絵札は、長沼への思いや長沼の歴史・文化をいろいろな面から語る内容で、郷土愛を育むものとなりました。

あ 秋の日に 青空広がり りんご獲る
い 家並みは 街道のすがた 残しつつ
う うんまいな あかいりんごも きいろいのも
え S・Sは 畑のフェラーリー 遅いけど
お おんま道 今はみんなの 散歩道
か カゴいっぱい 秋映え スイート ゴールドにフジ
き 気もそぞろ 着果気になる 花ふぶき
く 草刈りで 空き地対策 地区きれい
け 健康で 長生き秘訣は 畑しごと
こ 声かけて 今日もおはよう 見守り隊
さ 西巌寺 草餅 出店 苗木市
し 出土品 ありし日偲ぶ 長沼城
す 水害を 力あわせて のりこえた
せ せっせと通ったこの町で 小林一茶 句を詠んだ
そ 空高し 剣飲む獅子や 復興祭り
た 台風に まけない笑顔 にっこりと
ち 千曲川 りんご畑と 北信五岳
つ 通学路 明るい挨拶 ジジババと
て 天王宮 拾って遊んだ どんぐりよ
と 灯明番 弘化3年より 今もなお
な 長沼を 一緒に支える ふくりんだ
に 西田んぼ 夕焼けに染まり 新幹線
ぬ ぬうように 曲がり角8か所 城下町
ね ねこいぬも 避難は家族と 一緒だよ
の のどかな広場 親子にぎわう 赤沼公園
は 氾濫無く 落ち着きつづけ 千曲川
ひ ひまわりに 希望を込めて 中学生
ふ 復興支援 ボランティアさんに 感謝する
へ 碧天の朝 薬調に S・Sの列
ほ 防災の 対策万全 準備が大事
ま まわりみる 学校からは 大自然
み 見上げれば 菅平の峰 美しい
む 昔使った 城の門 今 寺に残る
め 名匠の 武田常蔵 彫り見事
も モズ襲来 りんごの網を くぐりぬけ
や やれやれと 旅人休んだ 秋葉さん
ゆ 揺れる稲穂 長沼養水の おくりもの
よ 夜おそく 獅子舞いすごい おとうさん
ら ラジオかけ リンゴ荷造り おそくまで
り りんご 発祥の地長沼 稔の里
る ルート決め 半鐘の記憶忘れず 早めの避難
れ 歴代より 寺に記され 洪水位
ろ 老若男女 こまち太鼓で 元気だす
わ 忘れない 台風の事 伝えてく
を ウォーキング 四季を楽しみ 桜堤
ん うんだのみ 神社お寺に 願いごと

この取り組みは読み札、絵札共に子どもたちから高齢者まで幅広い年代の人たちの総意で作られるという結果になり、しかも長沼地区がどんな地域かを浮き彫りにする内容として仕上がりました。台風のことを忘れないように伝えていくことやボランティアへの感謝も綴られており、被災者としての心情が盛り込まれています。読み札、絵札ともに制作者名もしくはペンネームが記載されています。「かるた」を収納する箱は、リンゴをモチーフにした切り絵で作られました。

かるたを入れる箱

また後世にも伝わるようにと、言葉の解説を添えたのも特徴です。

たとえば「家並み」ということばの説明では「上町には江戸時代本陣や問屋があり、宿場町として栄えていました。道路中央には水路があり、その両側には馬をつなぐ桜並木が続き、宿泊業並び荷物の運搬業を担っていました。道路に面して並ぶ風景にその面影が残っています」と綴っています。

「灯明番」の項では「弘化3年(1846年)上町では26軒を焼失する火事があり、翌年の弘化4年(1847年)には善光寺地震が起き、長沼の堤が636mに亘り決壊しました。2年連続して大被害が続いた事もあり、それを機に防火防災を願い始められたお灯明番は、今も毎晩上町の各家が持ち回りで秋葉さん、お地蔵さん、長沼神社にお灯明をあげ続けています」と説明されています。

「かるた」を通して、地域の歴史や文化を学ぶ〈教材〉にもなっていると言えそうです。完成した「長沼かるた」を5月8日、長沼小学校の子どもたちに贈りました。

長沼小学校では毎年2回、かるた大会を実施しています。子どもたちは一茶の句を覚えており、大会の前は家で練習しているとのこと。「かるた」を製作するという発想も、小学校で「かるた」のイベントが行なわれていることからでした。

今後の「かるた」を利用した活動としては、少数の参加者による「かるた取り」だけでなく、大きな絵札を作って大きな会場で拾うという「スポーツ的」な大会を検討しているようです。今回の取り組みについて、笹井さんは「大勢の人が関わってでき、地域が見えるものになった」と喜びと事業の意義を語っています。

取材・執筆 太田秋夫(ソーシャルライター 防災士)