2024年11月10日(日曜日)、長野市芋井地区の指定避難所である「アソビーバ ナガノパーク」(長野県長野市上ヶ屋2471-79)の体育館で、はじめて開かれた避難所体験「女性や子どもたちにやさしい避難所を体験しよう!」。
災害発生時に避難してくることになる地元の飯綱東区自主防災会が主催し、住民50名ほどが参加しました。全体の企画と進行を、N-NET(長野県災害時支援ネットワーク)の幹事団体である認定特定非営利活動法人長野県NPOセンターが務めました。
早朝に大規模な地震が発生した想定で、避難所体験がスタート!
着の身着のままで子ども2人を抱えて命からがら避難してきた女性。
避難所入り口で受付を済ませ、体育館に敷かれたブルーシートへ案内されました。
ブルーシートに座ってみたものの、冷えた体育館の床の上は、硬くてとても寒い。
なんとかならないかと思うものの、まわりには大きな地震におびえて、ようやく逃げて来た人々の混乱がまだ収まらない様子。
少しでも温もりを逃さないよう、渡された毛布にくるまっているのがやっとの状態です。
避難所は、命を守る場所であっても、最初から何でも揃っている訳ではありません。
時が経って、ようやく物資や環境が整っていくのが常です。
いざという時、避難所になる場所がどのような所で、なにがあって、なにがないのか。
防災倉庫の中には、なにが入っているのかなどを確認しておくことが大事だと思いました。
また、避難所へ来るまでの道のりや、家族との連絡方法も考えておく必要があります。
道路が寸断されたら、自動車で来られないとしたら、どうしたらいいのか?
家族がバラバラな時は、どう連絡したらいいのか?
避難所の受付では「親族や地域役員等から安否を確認された時に答えてよいか?」といったことも聞かれました。個人の都合で情報開示を希望しないという人にも配慮しています。
発災から3日目、避難所に支援物資が届きました
「寒くて、休むことができません」
「雑魚寝がつらいです」
発災直後の混乱が収まり、徐々に落ち着いてきた避難所。寒い体育館で過ごすことに限界を感じはじめたころ、ようやく支援物資が届きはじめました。
さっそく、ダンボールベッドを組み立てましょう。
「トイレが汚くて、子どもがトイレを嫌がります」
「まわりが気になって、気が休まりません。どうにかなりそうです」
「着替えをしたいのに、まわりの目が気になります」
時が経つほどに、避難者からさまざまな声が聞こえるようになりました。
いくら言っても避難所では、誰かがやってくれるとは限りません。
がまんするのではなく、みんなの知恵と思いやりで力を合わせ、少しでも過ごしやすく、やさしい環境になるよう「あるもので工夫する」ことも必要です。
支援物資で届いた簡易トイレとファミリールーム、プライべートルームを設置し、避難場の環境も徐々に整ってきました。
会場になった避難所に、もっとも近い防災倉庫は直線距離で7キロメートルほど離れた長野市芋井支所。もし道路が寸断されたら、どのように運んでくるのかも課題です。
温かい食事がありがたい、避難所での食事も体験
1度に50人分が作れる非常用保存食アルファ米の炊き出しセット。
1食分のパックご飯とレトルトのおかず、発熱材がセットになった「レスキューフーズ」の牛丼。
寒い体育館の中で温かいものが食べられるだけでも、とてもありがたい。
とは言え、これが数日も続いたとしたら、耐えられないかも知れない。
また、50人分をつくるのに使ったお湯は一度に8リットル。災害時にお湯が用意できなければ、水でアルファ米を戻しただけの冷たい食事になってしまいます。
避難生活では、同じ食べ物の繰り返しで飽きたり、栄養も偏りがち。
乾物(高野豆腐や切り干し大根、干しシイタケ、ひじき、糸寒天など)と缶詰などを普段使いしながらローリングストックで備蓄しておけば、非常時もメニューを工夫することができます。
子どもにやさしい「場」を用意しよう
落ち着かずに騒いだり、走り回ったり、泣き出してしまう子どもたち…。
避難所には、環境の変化に敏感な「子どもたちが安心して過ごせる場」が必要です。
令和元年東日本台風時は、子ども支援の認知度が低く、子どもたち一人一人に寄り添った支援が行き届きませんでした。
そこで学習会・交流会を開きながら検討を重ね、2023年2月に設立されたのが「長野市緊急時における子ども支援ネットワーク」(事務局/NPO法人ながのこどもの城いきいきプロジェクト)です。
緊急時における子ども支援コーディネーターや、子ども支援に従事する団体や個人が活用できる災害時の子ども支援活動実施のための指針となるよう、24年4月に「長野市緊急時の子ども支援ガイドライン」初版第一刷を発行しています。
実際に避難所を体験しての感想
〇体験してみて自分事として考えられるようになった。
〇本格的で有意義だった。「徐々に整う」というのが実感できた。
〇ダンボールベッドの作り方がわからなかった。作ってみて大きさや高さ、硬さがわかった。
〇知らないと大変だけれど、知っているだけで自信になる。
〇寒い体育館で一晩過ごすのは大変なことだと思った。
〇普段からの備えを考えたいと思った。
〇ここまで来るのが遠い。いざという時に来られるのか不安になった。
〇この避難所に全員が入れるのか不安になった。
〇ここに来ざるを得ない状況は考えたくないが、来ても大変だと思った。
〇ここへ来て知らなかった人に出会えうれしかった。安心した。
〇誰かがやってくれるのではない。声を掛け合って自分たちでやることが大事だと思った。
〇普段から顔見知りになって気軽に声を掛け合う関係でいたいと思った。
自分の身を守る最低限の備えが必要!
指定避難所は、災害時に「支援の中心になる場」です。
たとえ自宅や自動車内で避難生活をしていたとしても、支援物資を受け取るためには指定避難所に来なければなりません。
また、なにより大事なのは、避難所へ来るまで、支援を受けられるまでの間は、「自分で身を守る必要がある」ということです。
大きな地震で家具が倒れて下敷きになってはいけません。もし家屋が倒壊しても、普段どこに居るかが分かっていれば、優先して探す場所が特定できます。
夜中に灯りもなく手探りで避難所まで行くことは困難です。
「とにかく避難所まで行く」ことを考えて、最低限の備えを普段から用意しておくことが大事です。
参考になるようリュックサックに詰めた非常時持ち出し品の展示もありました。
「災害に遭いたくはない」と思っていても、地震はどこでも起こり得ます。
「考えたくない」と目をつむるのではなく、「自分で備える」ことの大切さを実感した体験会でした。
<取材・編集>ソーシャルライター 吉田 百助