2019年10月13日未明、東日本台風19号による増水のため長野市穂保で千曲川の堤防が決壊し、長沼・豊野・古里地区の934ヘクタールが浸水。損壊家屋は2,162棟(全壊1,038棟)に達しました。
逃げ遅れた人たち1,595人が消防や自衛隊などによって、ヘリコプターやボートで救出されました。2名の尊い命が失われる(その後13名の関連死があり合計15名)甚大な被害となりました。
危険を報せる半鐘を鳴らす
この災害のとき、堤防決壊のリスクが高まったことから、長野市消防団長沼分団員が火の見櫓に登って半鐘をたたき、住民に避難を促しました。危険が差し迫っていることから、分団長は団員に対し「半鐘を鳴らしたあとは直ちに自分も逃げるよう」指示を出しました。この半鐘を耳にして避難行動を起こした住民が多数いました。
登るのが禁止されていた老朽化した火の見櫓
当時、分団長をしていた飯島基弘さんは団員に指示を出すことに迷いがありました。
地区内に設置されていた防災無線では周知されにくく、常会の役員が個別に避難を呼びかけてはいたものの、「大丈夫だろう」との自己判断で避難していない人がたくさんいると思われる状況でした。
緊急事態を報せる手段として、ふだんは聞くことがまったくない火の見櫓の半鐘であれば、行動につながりやすいとの判断が飯島さんにありました。
しかし、火の見櫓は老朽化のため登るのが禁止されていたのです。
あの判断は正しかったのか…
分団長は、団員を危険にさらす指示を出したことが正しい判断だったのか、その後もずっと自問自答していました。
そうした葛藤を描いたドキュメンタリー映画「決断」が制作され、長沼体育館で封切上映されました。映画には「火の見櫓に登った男たち」とのサブタイトルがついています。究極の判断が必要になったとき、どうしたらよいのか―を投げかけるのがテーマになっています。
30分の短編ですが、豪雨のなかで災害対策に翻弄する地区役員や消防団の姿がリアルに描かれ、甚大な災害が迫って来る直前の緊迫した状況が鋭く迫ってきます。短編にしたのは、学校の授業などで子どもたちにも見てもらえるようにするためでした。
消防団の活動を知ってもらうために映画化
映画制作のきっかけは、消防団の大切な役割を子どもたちに知ってもらい、大きくなったとき消防団活動に参加してもらえるようになったらとの思いからでした。当時の長野市議会議員数名が呼びかけて制作委員会を立ち上げ、映画やイベントのプロデュースを手掛けていた成美さんに相談したことから始まりました。
製作費をどうねん出するか、出演者をどうするかなど課題は多くあり、具体的に動き出すまでには時間を要したようです。
さまざまな課題を乗り越えて制作することを決意し、プロデューサーを担うことになった成美さんは映画俳優でもある平岡亜紀さんに監督を依頼して動き出しました。成美さんと平岡監督とは古い友人の間柄で、成美さんは「平岡さんであれば住民に寄り添った作品にしてくれるとの確信があった」と依頼した理由を話しています。
出演する俳優は著名な人を採用するのではなく、全員を地元の人や長野県出身者のオーディションで決めることにしました。
地元で映画制作の計画を発表
映画制作の計画を発表したのは2023年6月9日でした。長沼支所交流スペースで地元役員に説明し、協力を要請しました。
平岡監督は、「難しい判断をしなければならないときが人生ではいっぱい出てくるが、自分で悩み判断することを子どもたちが考えるきっかけになれば」と制作の意図を語りました。
また、実話のもとになった消防団の飯島基弘分団長から聞いた「消防団だけでなく住民が協力して避難した」との話にも感銘し、そのことも作品に盛り込みたいと説明しました。
この日は、長沼地区内を回り、撮影場所や風景をリサーチするシナハン(脚本や物語を構成するために現地で行う調査)を行ないました。火の見櫓や撮影に適切な民家と、被災したままの状態の「米澤邸」などを回り、この日から実質的な制作がスタートしました。
夏から秋にかけて製作に着手
出演者のオーディションは2023年7月に行なわれ、8月にキャストの稽古、本番撮影は9月下旬でした。撮影は夕方から深夜未明にかけて5日間にわたりました。
撮影場所は主に長沼地区で、地元の人にとって見覚えのある場所が映像にたくさん出てきます。避難所の撮影は古里地区の公共施設を利用しました。深夜の撮影で雨が降るシーンも多く、制作スタッフは「近隣住民の理解と協力が得られたことで撮影が可能になった」と話しています。
雨が降るシーンがたくさんあり、長野市消防局の協力で放水によって雨の場面を再現しました。出演者はビショ濡れになりながら撮影に臨みました。火の見櫓に登るときは、消防署職員のサポートがありました。
被災地長沼で初めて上映
完成した映画は2024年10月6日(日)午前、長沼体育館で開催された長沼地区住民自治協議会主催の「1013を忘れない 東日本台風災害5周年のつどい~さらなる復興に向けて~」で封切上映されました。最初の上映は、地元の長沼地区でという制作陣の思いがあってのことです。
来場者数は、主催者の見込みを大幅に上回る約300人。開会のあいさつをした長沼地区住民自治協議会の松原秀司会長は、「これからの地区のあり方に思いを馳せるきっかけにしてほしい」と呼びかけました。
来場者は5年前を思い出しながら鑑賞しました。
本編だけでなく、撮影の様子を収録したメイキング映像も流され、撮影現場の雰囲気と出演者の意気込み、放水による雨の演出、撮影時の緊迫した様子が描かれていました。
出演者が舞台挨拶
上映のあと、出演者と制作委員が舞台挨拶に立ちました。
主演(分団長)を務めた小林進役の久野実来さんは「災害の裏側で動いていた人たちの思いを受け取ることができた。この作品がいろいろな方に長く伝わっていけば嬉しい」と話しました。
小林の部下である消防団員:高橋健二役のYAMATOさんは「災害当時は何もできなかったけれど、この企画を知ってオーディションを受け、作品を通して災害と向き合えた」と言います。
分団長の妻:小林圭子役をした新保広江恵さんは飯山市の実家が水害に遭っていました。「役者としてみなさんに考えてもらう機会が与えられ幸せだ」と、いまの気持ちを伝えました。
多くの出演者は、映画制作を通じて被災者に寄り添い、役に立ちたいとの思いを抱いていたようです。
支所長役のコロンボデンゾーさんは「当時は何もできなかったが作品に携われて幸せ。半鐘を叩くシーンでは涙が出た」と心情を語り、避難民役だった宮入義一さんは「(撮影中)テレビニュースで被害のシーンが出たのを見たときは気が引き締まって、セリフに感情を込めることができた」と振り返りました。
消防署員役の村上信正さんは当時、長沼に泥出しのボランティアに来ていました。「この作品に携われたことに感謝している。楽しくできた」と言い、消防団員役の鍛治倉多聞さんは「(当時は)何もできずにいたが、この作品に思いを込めなければと思った」と撮影に臨んだ気持ちを伝えました。
制作スタッフを代表してあいさつした撮影監督の永田太郎さんは、撮影のため自身も火の見櫓に登ったときのことを、「命綱をつけていたものの怖かった」と語り、災害発生当時、どんな気持ちで消防団員が火の見櫓に登ったのかを察することができたようでした。
住民の協力で出来た作品
成美プロデューサーは、「長沼のみなさんの協力がなければ出来なかった作品です」と感謝を伝えながら、「地域の声を聴きながら監督は何度も脚本を書き直しました。地域に寄り添う姿勢で進めました」と制作過程を語りました。
本物の雨が降っているように見えるシーンについても、「今まで経験したことがないだろうことを消防署の職員のみなさんがやってくれました」と、裏方で多くの協力があったことによって作品ができたことを伝えました。
成美プロデューサーは、「映画というエンターテイメントで地域を盛り上げたい」と作品制作にかける思いを語り、それが「決断」を作り上げる動機にもなっていたそうです。
長沼地区のキャラクター「ふくりん」が平岡監督と成美プロデューサーに花束と長沼産りんごを贈呈し、地元としての感謝の気持ちを伝えました。
平岡監督は、「たくさんの人に届けられるようになって嬉しい」と語りました。
今後は小学校などで上映へ
この日は長野市若里のビックハットを会場に「台風災害から5年 さらなる復興に向けて 復興応援市民参加イベント 絆」が行なわれ、ここでも午後から4回に渡って「決断」が上映され、多くの来場者が鑑賞しました。
「決断」は今後、DVDによって見ることができるようになり、小学校などで上映が予定されています。「決断」のホームページで、予告とメイキングの映像を見ることができます。
取材・執筆 太田秋夫(ナガクルソーシャルライター)