「何を話しているのかが全くわからず、とても不安な気持ちになりました」
と話すのは、当事者団体である「長野市聴覚障害者協会」会長の酒井佳和さん。
今年8月13日、長野市内で新型コロナウイルスの感染者が急増したことを受け、加藤市長と長野市保健所長が記者会見を行いました。市長から新型コロナウイルスの感染を予防するために、対策の徹底をお願いするメッセージが発信されましたが、このときは手話通訳も字幕も付いていませんでした。
夕方のローカルニュースを見ることで、ようやく新型コロナウイルスのことについて話していることがわかり、詳細は翌日の新聞でやっと把握したといいます。
長野県は2016年3月に手話言語条例を制定
手話は独自の体系を持つ言語で、ろう者が受け継いできた文化。情報を得るための手段として手話を選べる環境を整備し、手話の普及に努めることを条例で定めています。知事が会見をする際には手話通訳が付くので、手話を目にする機会も増えました。しかし、市町村単位で見ると、同条例を制定しているのは佐久市と上田市のみ。聞こえない人への情報保障には未だ課題があります。
しかし、手話通訳者と要約筆記者の名簿登載者数は〈表1〉のようになっており、県の達成目標を下回っています。
長野市では2020年9月11日の市長の定例記者会見から、市長の話にのみ手話通訳が付けられるようになりましたが、市長の話が終わり退席後、各担当者の発言には手話が付けられていません。
音声以外の情報発信の不足
酒井さんは、2019年の台風19号災害の際には避難所へ避難しました。携帯電話にエリアメールが届き、なんとなく普段とは違うと感じていたものの、緊急性の高さはわからなかったといいます。川が氾濫水域を超えているということを知らず、地域の消防団から「今すぐ避難をしてください」という具体的な指示があったことでやっと避難ができました。
避難所で、「寒さ除けのためのシートを配るので男性は協力してください」とアナウンスがあったそうですが、聞こえないため、酒井さんには何で男性だけが集まっているかがわからず、それがすごく印象に残っているそうです。
「情報がない時は人の動きを真似してついていく以外方法がない。それが苦しい」
「誰もが手話で話せる社会になればいいなと思います」(酒井さん)
「情報の格差がクリアできれば普通に生活ができます。理想を言うなら、少しでも手話のできる人がいて、その場、その場で情報をいただける社会になればありがたい。私たちも同じ市民なので同じように情報がほしい。聞こえない人と聞こえる人とのコミュニケーションに壁があるので、その壁を乗り越えるために長野市でも手話言語条例ができてほしいと思います」
また、長野市には登録している手話通訳者が39人いますが、雇用契約を取り交わしているわけではなく「有償ボランティア」といえる待遇になっています。手話通訳が入ることで話がスムーズにいくことが多々あり、手話通訳者の果たす役割と責任の重さはボランティアとはいえないほど大きなものになっています。
ある手話通訳者は「通訳を本業にして食べていくことができないために、他の仕事を持ってしまう状況があり、そうすると昼間動ける通訳は減っていきます。もし、しっかり身分が保障されてお給料をもらえるのであれば、担い手がもう少し増えて、ひいては聞こえない人に情報がきちんと届くという好循環になると思います」と訴えます。
聞こえない人への支援状況
長野市では、聞こえない人への支援事業を「長野市聴覚障害者センター デフネットながの」が受託運営をしています。
手話通訳者・要約筆記者の派遣、初心者向けの手話奉仕員養成講座、聴覚障害者教養講座、ろうあ者相談員の設置など、聞こえない人の社会参加に必要な事業を行っています。
通訳者の派遣の依頼は、基本的にデフネットながのに事前申請をし、通訳者が手配されます。
病院への受診やハローワークでの相談、子どもの学校行事など、さまざまなときに無料で利用できます。
長野市で登録している手話通訳者のほとんどがほかに仕事を持っており、平日の昼間に自由に動ける人は一部。FAXは24時間受け付けていますが、夜間と土日祝日は休業しており、突然具合が悪くなったり、「今から来てほしい」という緊急対応はしていません。デフネットながの所長の田村吉江さん「平日の受付時間内であれば、緊急な依頼であっても必死に通訳者を探し、見つからない場合はデフネットの職員が手話通訳の対応を行います」といいます。
命にかかわる救急搬送時の対策として、デフネットながのを介さず直接通訳者を探せるように、消防署と病院に通訳者名簿を提出しています(病院は、名簿提出の必要の有無を確認し、求めのあった病院のみ)。
田村さんは「命にかかわるので、何とかしなければと準備をしています。しかし、いざというときに活用していただけるよう病院の職員全員に周知されているかどうかはわからず、課題があります」と話します。
お互いを知るための場づくり
信州大学2年の恒川みどりさんは、自分が経験してきたことを生かして、昨年11月「信州大学手話サークルおむすび」を立ち上げました。
恒川さんにはろう者の姉がいます。子どもの頃、手話で話していると他の人からじろじろ見られたり笑われたりということがあったといいます。
「中高生になり、気持ちに余裕がなく、姉とコミュニケーションを取らない時期がありましたが、高校を卒業して浪人していたときに家族と過ごす時間がすごく増えて、少しずつ向き合いコミュニケーションをとろうと思うようになりました。大学に進学して、姉と離れて改めて、ろう者・難聴者の世界と向き合いたいと思うようになりました」
「おむすび」は現在メンバーは20人程度。週1回活動しています。
今年10月には、手話とダンスを組み合わせた「UD(ユニバーサルデザイン)ダンス」をしている北村仁さんを講師に、一般からも参加者を募りオンラインイベントを開きました。
昨日はUDダンス教室でした!
— 信州大学 手話サークルおむすび (@shuwa_shinshu) October 10, 2021
北村仁さんと、参加してくださったみなさんと、楽しく踊ることができました!
仁さんのUDダンスへの思いもきくことができ、これからの活動のヒントを得ることができました😊✨#UDダンス#オンライン pic.twitter.com/6KJzrbcAUq
UDダンスは、北村さんがろう者と共に制作。手話の直訳ではなく、歌詞の世界観を手話で表現し、目で見てわかるダンスになっています。
「ろう者・難聴者・聴者みんなが、お互いのことをちゃんと知るための時間を過ごせる場をつくれたらいいなと思っています」と恒川さん。
「おむすび」は、長野大学の手話サークルメンバーのろう者・難聴者から普段の生活や、私たち聴者が疑問に思っていることとかを聞く機会をつくるなど、当事者とのつながりを少しずつ広げています。
「どんなことに困っていて、どういうところで不便や苦しさを感じているかというのは、まだまだ理解されていない。手話が言語だという理解も深まっていないと思う」
しかし、「手話がすべて」ではなく、手話はコミュニケーションをとるための手段の一つ。難聴者であれば手話はまだ勉強中という人もいます。
「たとえば、道を教えるのであれば『あっちあっち』と指をさすジェスチャーをしたり、状況によっては文字で、単語の羅列で示してもいい。手話ができなくても、伝えようという気持ちがあれば伝えられます。コミュニケーションをとろう、その人のことを知ろうという気持ちを一番大事にしてほしい」
思い込みで話を進めずに、コミュニケーションをとろうという意志、情報をしっかり共有しようという気持ちを持つことは誰にでもできます。全ての人が得たい情報を得られるよう、一人一人に応じた情報保障を行う社会であることが求められます。
取材:長野市聴覚障害者協会(2021年9月25日)、長野市聴覚障害者センター デフネットながの、信州大学手話サークル おむすび(いずれも2021年10月21日)