木の葉が風に揺らぎ、小鳥がさえずる。ふと目に入る身近な自然に心身が安らぐ癒しの時。
木と石、水で造る日本庭園は、自然の風景が手本。自然に対する敬いや思いを込め、長い月日が経ってもその素晴らしさを感じることができる。昭和の高度成長期には、豪勢な日本庭園を競うように造る家が多かった。
家族が共に生活する場所に庭があって、文字通り「家庭」になる。近年、その庭が失われている。子どもが生まれると、池は危険な存在になる。車が増えると、庭は駐車場になる。草取りが苦になると、地面はコンクリートで覆われる。家族が変われば、庭のあり様も変わっていく。仕方がないことかも知れない。
長野市の文化的景観も守る会社
松代園芸有限会社(長野市松代町柴71 電話026-278-7630)は、庭園設計と施工・管理、外構工事、公園造成・管理などを請け負っている。先代が昭和40年代後半に設立し、現在は息子の宮入信晴さんが後を継いでいる。大学で土木工学を学び、埼玉県の植木屋で勉強してから会社に入った。一級造園施工管理技士と一級土木施工管理技士の資格を持つ。
庭園と公園の管理は、長野市全域に及ぶ。植木の剪定は、大小あわせて年間250件ほど。昨年と今年は長野市の事業を請け、真田邸(新御殿)をはじめ、松代の観光名所となっている武家屋敷の松の剪定と雪吊りや、外構整備なども手掛けることも度々あり、多くの歴史的建造物が残る松代町の文化的景観を守っている。また地域のこどもたちの遊ぶ公園の樹木の手入れも担っている。
思いめぐる問い「庭は必要なのか?」
宮入さんの頭には、お客さんから問われた「庭は必要なのか?」との言葉が巡り続けている。
答えのひとつは、「お客さんに心のゆとり、豊かさをもってもらうこと」。いつも家族と共にあって「家庭」を成す身近な自然。庭には、世代を超えて家族を見守ってきた歴史と安らぎを与える力がある。樹齢100年を超す大木。家族の記念に植えた木。季節ごとに訪れる鳥たち。石に付けたキズ。家族の思い出も庭の一部になる。
庭を通して地域の家庭と暮らし、文化と風景を守ってきた丁寧な仕事には、年月を超えても変わらない温かな想いがある。
お客さんの要望であれば、木を伐り、草が生えぬよう舗装することも仕事になる。
しかし、身近な自然を失った「家」に家族の安らぎはあるのだろうか、地球温暖化対策のためにも樹木や草花はあった方がよいと考えてしまう。
ある学校の先生は、子どもたちの様子を見て、その子の家に庭があるかないかが判ると言った。感性の豊かさや情操教育上の効果を可視化できれば、「庭は必要なのか?」への答えを明確にできるかも知れない。
地元だからできること
庭の管理を任された地元の顔見知りには、できることが多い。雪かきや電球の交換など。ひとり暮らしで、どこへ相談し、誰に頼んでよいのか迷うような困りごとを助けることができる。時には、話し相手にもなる。なにかと物騒な社会で、頼り任せることができる人の存在は、庭でつながる「新しい家庭」のようだ。見守り、助け合い、家族のように付き合える関係づくりが、少子高齢化と孤立化が進む社会に必要な仕組みと思える。
一方で、増える空き家の対策も求められている。荒れ放題の草木や崩れかけの塀を放置しておけないが、不法侵入は許されない。管理の行き届かない場所へ手を入れる社会的な仕組みが必要になっている。
思い描く新しい景色
宮入さんには、2つのやりたいことがある。
ひとつは、植木の剪定方法を伝える講習会を開くこと。やる気のある人がいれば、会社で臨時雇用することができる。収入につながり、趣味と楽しみにもなる。定年退職者に適しているのではないか。
もうひとつは、植木畑を活用すること。以前に苗木を育てていた場所が空いている。毎日欠かさないバナナを植えてみようか、趣味のコーヒーを植えようかと、新しい景色を思い描いている。
(執筆:吉田百助)