信州にある素敵な紙袋ー(株)水島紙店 手提屋

プラスチック製品による海洋汚染問題を契機に「紙袋」が見直されています。

紙袋は、人とつながるコミュニケーション・ツール。誰かにあげるためのもの。そこには、人へ手渡すストーリーがありました。「中学3年生の時、父親が交通事故で倒れ、人生が変わった」と話す水島康明さん。長野市高田にある株式会社水島紙店で、手提屋のプランナーを務めています

【紙】しかない

父の看病しながら地元の大学へ通い、「跡を継ぎたい」と思った。入社から20年経った今、思い返しても、紙業界は良い時がなかった。人口減少やペーパーレス化で毎年数%の微減。ずっと右肩下がりだった。今の取扱量は20年前と比べ、4分の1ほどになったのではないか。

会社をどうしたらよいか、考え続けてきた。なにをしたらよいのか。

うっすらと見えてきたのは、異業種ではダメだということ。場違いな分野ではなく、地続きの分野がいい。自分の立ち位置はどこか。自分たちの得意分野を磨くのがいい。それは【紙】しかない。

水島紙店の倉庫に積まれた紙々。何千種類もある紙のすべてに固有の名前が付いていると初めて聞きました

今あるものを置き換える

ちらしを大量にまいて捨てる時代は終わった。価値のあるもの、捨てられないものをつくりたい。今あるものを紙に置き換えられないか。紙にできることはなにか。封筒はすでに多く出回っている。トイレットペーパーは他と値段を比べられるだけで、インターネットでも買える。ほかに付加価値を付けられるものはないかと、試行錯誤した。持っている商材をひとつずつあたって、手提げ袋にたどり着いた。

2018年12月に事業をはじめた「手提屋」。はっきりとした旗印を立てることができた。なにをしている会社かが、わかりやすくなった。手提屋は、依頼者との対話を大切にする。紙の専門家と専属デザイナーが企画と作成にあたり、お客様の思いをひたすら聞く。なにを、どうつくりたいのか。納得いくまで聞く。そもそも「どこへ聞いたらいいのか、わからなかった」というお客様も多い。なかには、「ひとつだけほしい」というお客様もいる。2019年6月に初めて開いた「手提げ袋ワークショップ」には、「結婚記念日に、奥様のために」という男性がいた。想いを込めてつくった手提げ袋には、作り手の想いも包み込んで手渡す魅力がある。

ワークショップはマスコミにも注目され、反響が大きかった。使い捨て時代からのひとつの転機になったかも知れない。持続可能な社会に向け、紙にできることの可能性が見えてきた。

好評だった手提げ袋ワークショップ。子ども向けに企画したつもりが、参加者は大人の女性が多く、思い思いに手提げ袋をつくった(手提屋のFacebookより)

社会に貢献したい

若くして跡を継ぎ、苦労は多かったが良いこともあった。楽しい社長さんたちに出会えた。業界のみなさんとも長い付き合いになり、かわいがってもらった。地域とのつながりもできた。社会あっての会社。社会に貢献する会社にしたい。社会活動に参加する機会も増えた。30歳になる時、「長野灯明まつり」を企画した。社会への恩返しのつもりで、みんなに喜んでもらおうと情熱を傾け、1週間寝られなかった。まわりの人になんと言われても、「人は集まる」と自信をもっていた。光に虫が集まるのは、生きものの習性。人もきっと集まると。そんな思いを込めたまつりは、2019年で第16回を迎えた。

手提で長野の魅力を高める

県外者が持つ長野県のイメージに、野菜と果物がある。入れ物はただのビニール袋でない方がいい。包装を換えれば、価値が上がる。人に見せたくなる、あげたくなるような手提げ袋にすれば、よい土産にもなる。とくに、信州の伝統野菜には、紙が似合うと思う。価値は自分が付けるものではなく、人が付けるもの。欲しいと思う人はいる。手提で長野の魅力を高めることができれば、うれしい。

下り坂をゆっくりと転がってきた長い蓄積の上に、今がある。手提にたどり着いたのは、紙屋としての必然だった。結果は、まだ出ていない。良し悪しは人生の最後でいい。今は、紙を磨くこと。海洋汚染問題でプラスチック製品が見直されている。紙ストローや紙ナイフなど、今までのモノが紙に置き換わってきている。海の豊かさと陸の豊かさを守る脱プラスチックの動きが広がっている。

(文責:吉田 百助)

ナガクルは国連が提唱する「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。この記事は下記のゴールにつながっています。