14年前に開局した松代テレビ局の人気番組「しゃべくり松代」が700回目を迎えた記念の放送をするとの情報が飛び込んできた。どうしてそんなに長く続いたのか、どんな人たちが、どんな場所で放送(Youtubeチャンネルによるライブ配信)しているのか…。筆者はインターネットによる映像の情報発信活動(長沼アップル放送局)をしている者としておおいに関心があり、興味津々で放送日の2024年3月25日、スタジオを訪ねてみた。
スタジオは「まち歩きセンター」内に
「しゃべくり松代」は毎週月曜日の19時(午後7時)から定期的にライブ配信されている。スタジオは松代町の中心地に位置する「まち歩きセンター」内である。早めにと思い、30分前の18時半頃ドアを開けると、すでに機材がすべて設置され、スタッフがそれぞれの持ち場に就いていた。
壁に淡いブルーの幕が張られ、この日のために用意した「祝 しゃべくり松代700回を迎えて」の看板が掲げられているのが目に飛び込んできた。「地域の皆様に支えられて」の文字も、なんだか胸に突き刺さる。
松代町の情報交流拠点から全国に発信
「まち歩きセンター」は文字通り松代町を歩いて楽しむための情報センターであり、地元の人々との交流の拠点として活用されている。松代町を案内する資料や本が所狭しと置かれていて、地元の人たちが作った手作り品や果物も並んでいる。1杯150円のコーヒーも用意されていた。放送するつど、その一角にスタジオが設置されるようだ。ここは松代を訪ねて来た人たちに松代の魅力を伝える場所であるが、そこから全国に向けて来訪していない人たちに向けて映像によって情報を発信することになっており、まさに打ってつけの場所と言える。
本格的な機材に衝撃
700回目の記念すべき放送のパーソナリティーは、初期のころから関わっている二本松博さん。右隣に代表者の宮坂文雄さんが、左隣には技術部長の福井修一さんが座っている。カメラは3台。プロが使うような本格的な機種で、ホームビデオカメラを用いている筆者のグループとの違いに驚かされる(正直なところ羨ましかった)。カメラの切り替え設備も本格的で、モニターのテレビも3台置かれている。そこには時計が表示されているではないか。時間を確認しながら放送を進行できるようになっている。これが14年の歳月を重ねてきたテレビ局の「実力」なのか…。
高齢のスタッフがカメラワークや画面の切り替え
この日のスタッフは9人。カメラマンも切り替えをするスイッチャー担当者も、意外に高齢者(失礼)。長く活動してきているので齢を重ねるのは当然だが、80代とも思われる人もいる。設置されている機材に比して、人物像はまったくプロっぽくない。地域のおじさんたちがやっている(これまた失礼)雰囲気で、パーソナリティーの二本松さんも番組の中のコメントで、「素人」の表現を言い直して自分たちのことを「ど素人」と説明していた。その空間に緊張感は漂っておらず、地域の人たちが気軽に楽しく進めている雰囲気が濃厚で、その様子がそのまま生放送されているという感じだった。
何の気負いもなく、いつのまにか番組がスタート
放送開始は19時で、通常は「松代お猿」のキャラクターが登場してスタートするのだが、この日は15分も前からカメラが回り出し、パーソナリティーの二本松さんは登壇者の席からスマホで撮影したスタジオ内の様子を伝えている。スマホからの映像をスイッチャーの切り替えで発信できるようになっていた。どうやら、記念放送のスタートにあたってメンバーを紹介しているようだ。会場に来れなかったメンバーには電話をかけて、話した声をそのまま流すこともしている。シナリオや進行表が用意されている様子はなく、パーソナリティーが自由にその場を仕切っている感じだ。ライブの放送ではあるが気取りはまったくなく、「何でもあり」という雰囲気なのだ。隣の席の宮坂さんや福井さんと交わす二本松さんの会話は、普段の世間話をしながら漫談しているような様子である。取材前に抱いていた「休むことなく700回も続いた理由は何だろう」という疑問の回答の一端を知り得た気がした。
休むことなく毎週放送を継続
「しゃべくり松代」は2010年11月1日に第1回放送があり(正確には10月25日に第0回のリハーサルがあった)、20年5月25日に500回に達した。2年後の22年4月25日に600回を迎え、さらに2年後の24年3月25日に700回となった。技術部長の福井さんが本番の中でこれまでの放送の経緯を説明したが、そのとき、みんなが驚きの発見をした。節目の放送日が、なんと全部25日であった。
十数年の歳月のなかで700回を重ねることができたのは、盆も正月も休むことなく放送したことにあると言う。ことしの1月1日(元日)は月曜日で、放送する日であった。休むことなく688回目の放送を行なっている。冒頭で「年の初めのためしとて」の曲を笛とハーモニカで演奏し放送がスタートする。演奏はもちろんメンバーである。そこからは「自分たちが楽しむ」という気持ちを感じ取れる。手作り感満載の新年早々の放送。その後、参集したメンバーがそれぞれ新年の抱負を語った。
多岐に渡るテーマでゲストを招いて発信
ゲストで登場する人たちは地元松代の人たちはもとより、松代と関りのある人、松代が大好きな人などで、3~6人が同時に登壇してもらうこともあったとのこと。テーマは多岐に渡っている。松代小学校の「ゴミと水と私たち未来」、花屋さんの「お花は心の栄養」、松代高校の「商業科 課題研究発表を終えて」、布のミニひな作り講師山岸玲子さんの「松代ひなまつり」、東条小学校創立150周年記念事業、ひまわりの会の「おはなしの楽しさを松代のみなさんに伝える」、松代復興応援実行委員会の「防災人材育成研修会について」など、さまざまな内容でゲストを迎えている。これまでのゲスト数は、延べで1,200人に達する。
色紙が用意してあり、毎回、出演者にサインしてもらっている。番組のなかで、三田今朝光さんが色紙を示しながら、その一端を紹介した。500回の放送を記念して、それまでの色紙を収録した冊子の発行もしている。
松代のことを多くの人に知ってもらいたいのはもちろんだが、地元の人でも松代のことを知らないので、地域の人たちにも見てもらいたいという気持ちがあるようだ。放送の中で、二本松さんは「アーカーイブを利用して、松代の地域の皆さんにもみてもらいたい」と呼びかけた。
進行するパーソナリティーは、ホームページによると42名もいる。運営するスタッフや幅広いゲストの様子を知ると、「しゃべくり松代」は「みんなで作り上げている番組」という印象が強くなってくる。
「理念」を大事に1,000回をめざす。
どんな理念で「しゃべくり松代」は放送しているのだろうか。「地域の福祉を推進し、地域情報を発信する」ことだそうである。この日の放送の最後のまとめで、松代テレビ局代表の宮坂さんは「初心を忘れずに、きょうの700回を起点として900回、1,000回と積み重ねていきたい」とあいさつした。
1,000回を迎えるのは6年後の2030年である。スタッフはそれぞれ自分の歳に6を足して、その日を迎えることをめざす気持ちを強くしていた。
「しゃべくり松代」以外の作品もたくさんアップ
松代テレビ局がスタートしたのは2010年6月である。「しゃべくり松代」はメインの番組だが、そのほかに「松代祇園祭」(62回)、「松代真田十万石まつり」(135回)、「夏休み」(19回)などのテーマで作品をアップしており、全部を合わせると1,594本にもなっている。これらはすべてアーカイブで視聴することができる(2024年3月26日現在)。イベントやお祭りなどの様子を伝える内容なので、松代町を知ることができる情報が満載である。回を重ねるなか、アーカイブで見てくれる人が増えいき、番組登録者数は現在1,970人に達している。
松代テレビ局(MATV) – 番組アーカイブス (ssl-lolipop.jp)
長野市内では、長野TV(長野市ボランティアセンター)、大岡えんがわTV、長沼アップル放送局がYoutubeチャンネルで映像情報発信をしているが、松代テレビ局は住民の手による映像情報発信のパイオニアであり、地域の住民ディレクター活動を牽引している。
〈住民ディレクター〉 豊かな地域を創造する地域づくりのディレクターであり、同時に暮らしの知恵の発信者。テレビ番組を制作するプロセス(企画、取材、構成、編集及び広報、放送等)を通じ、地域づくりに求められる幅広い企画力・広報力・構想力を養い、メディアを有効的に活用しながら地域づくり、地域の活性化を推進することをめざしている。(「住民ディレクター辞典」より)
配信継続のさらなる秘密に気づく
この日の放送は、通常のワクを大幅に超えて1時間12分になった。終了後、メンバーが持参したお菓子を食べながら、和やかな「お茶タイム」となった。長く続けてくることができた理由として、宮坂代表は「スタッフがいてくれたから」と話してくれたが、この「お茶会」が大事なんだろうと思った。仲間の輪、そしてつながりが活動を支えるエネルギーになっている。一人ひとりが、この活動に喜びと生きがいを感じて取り組んでいることを強く感じさせられた。
気になっていた立派な機材についても質問してみた。すると、ほとんどは個人の所有であり、それぞれが持ち込んだ物だと言う。「テレビ局としてはお金をかけないようにやっている」とのことだった。充実したスタジオ設定のすばらしさにビックリさせられたが、それはメンバーの「情熱」が形として表れたものであった。いやはや、またもびっくりさせられた。そこにも、1回も欠かさず長期に渡って配信をし続けた秘密が込められていた。
自分自身の映像発信活動とオーバーラップさせながら、「歴史ある松代」をあとに帰路についた。
取材・執筆 太田秋夫(ソーシャルライター 長沼アップル放送局代表)