2020年6月9日、強い日差し。最高気温が30℃を超え今年一番の暑さとなった真夏日。令和元年東日本台風(台風19号)で甚大な被害を受けた長野市長沼地区。あの時の濁流に流されてきた木や根が、今も姿を残す千曲川の河川敷に広がる畑で、市立長野中学校の1年生70名が大豆をまいた。

強い日差しが照りつける中、ていねいに大豆をまく中学生(写真はすべて筆者撮影)

割りばしで間隔を図りながら、2粒ずつ大豆をおいていく。両側から土をかぶせ、軽く手で押さえて鎮圧する。目印になるラインを踏まないように。どこまで植えたかを忘れないように。注意深く丁寧に作業が進む。手渡された大豆は1人あたり約100粒。まき終わるや否や「おかわり」を求める往来が続いた。

木々の向こうに千曲川が流れる河川敷の畑

畑は千曲川の堤防内。昨年は跡かたなく壊滅した。屋根の下まで水に覆われた公会堂と体育館の内外装は当時のまま。隣には、明治時代から135年続く「地域のみそ屋さん」があった。小川醸造場4代目の小川泰祐さんは、15年ほど前から大豆の自家栽培に取り組んできた。味噌は、大豆と麹(こうじ)、塩を混ぜて発酵させた加工品。シンプルゆえに原料の品質が製品の質を左右する。「自分で育てた豆は、良い味噌になる」と、小川さん。その味噌が令和元年第62回全国味噌鑑評会で「最上位の農林水産大臣賞を受賞した」と報せを受けた時は、味噌も道具もすべて水にさらわれた後だった。

被災した小川さん宅(写真左)で当時の様子を聞く

地域の人が味わうことができなかった日本一の味噌を復活させたい。泥と絶望に覆われ、明日を見失った人々の笑顔と地域の絆を取り戻したい。地域で親しまれてきた「みそ屋さん」の復活は、被災者や支援者の心の糧となる。復興への明るい希望を手にしたいと願う*「キセキのみそ復活プロジェクト」は、そうした想いの重なりでスタートした。

このプロジェクトに巡り合ったのが、総合的な学習の時間で農業体験などを毎年行っていた長野市立中学校だった。地域に貢献できることはないか。農家の手伝いなどができれば、と連携先を探していた。被災地の思いを知ることにもなった。

豆まきを指導した小川さんは、「子どもたちの元気な声が響いてよかった。見ていて元気づけられた。」と笑顔を見せ、収穫までしっかり管理したいと意気込む。子どもたちも「できたら収穫もしたい」、「味噌を仕込んで一緒に味わいたい」と意欲を見せた。

豆をまき終えた畑を見ながら小川さんの話に耳を傾ける中学生

例年だと7月中旬に花が咲き、11月上旬に収穫期を迎える。豆は1粒まけば、100粒になる。昨年まいた種は収穫できなかった。畑ごと流された。荒れた地を耕し、再び豆をまくことができた。意欲的な中学生たちから元気と励ましをもらった。鑑評会へ出品していた味噌から酵母や乳酸菌などの微生物を抽出する作業も進んでいる。建物を直し、機械を入れて設備を整えていく。畑の管理以外にも毎日やることが次々と出てくる。

復興には、まだまだ時間がかかる。けれど希望はある。日本一に選ばれた味噌の復活は、夢ではない。「地域の味噌屋」が起こすキセキで、地域の絆と希望を取り戻す。キセキの種は、まかれた。

文責:ソーシャルライター吉田百助

同筆者執筆の「小川さんのストーリー」はこちらから

*キセキのみそ復活プロジェクト とは 2019年10月13日、台風で長野県では千曲川が決壊。その濁流が小川醸造場(長野市長沼)のみそづくりの全てを飲み込みました。明治18年、麹(こうじ)を使ったみそづくりを創業。四代目の小川さんは地大豆にこだわり研究を重ね、135年の時を経て、被災前に仕込んだみそが日本一に輝いたのです。この地に生き、子を育て、大豆畑を耕し、みそを仕込む毎日……その営みが人々の命を紡いできました。 収入が絶たれ、家財も失い、絶望の淵であえぐ小川さん夫妻をなんとか救いたい!  2020年3月、NPOをはじめとした団体や個人が集まり、二人を励まし応援するプロジェクトを立ち上げました。地域のみそ屋さんの復活が、未だ被災に苦しむ人々の心に希望の光をもたらすことにもなる。そう信じて活動しています。

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