ソーシャル・ビジネスシンポジウム開催される (長野市)
2011年3月11日午後2時46分、大津波が襲う。
翌日、自分の店であるBARは、基礎とトイレが半分のみで
根こそぎなくなっていた。
まるで映画の一コマを見ている感覚。
気持ちはふわふわしていた。
母乳とミルクの混合で育てていた7ヶ月の娘。
そのミルクを買い求めるため
薬局の長蛇の列に並ぶ。しかしミルクはない。
「私、母乳出ないんですけど、どうしたらいいんでしょう?」
と店員に訴える他のママの言葉を聞き、
今までのふわふわした気持ちが
シャキっと入れ替わった自分。
赤ちゃんとお母さんを守るため
自身の貯金を元手として、ミルクとオムツを
50キロメートル離れた内陸地まで車を走らせ購入。
避難所に届けるも5分でなくなる。
「次、いつきてくれますか?」のママの言葉に
物資を渡せば自分の気持ちがすっきりすると思っていたが
そうではなかった。
自分は無力だな。
親子単位でサポートが必要であることを実感した。
2020年2月25日 長野県立図書館「信州・学び創造ラボ」を会場に
2020年ソーシャルビジネスシンポジウムが開催された。
台風19号(東日本台風)被災地を元気にしていくために
これから事業をはじめたい方、
現在の災害支援活動を今後の課題解決やまちづくりに
つなげていきたい方、
継続・発展していける事業について考えるきっかけとして
株式会社日本政策金融公庫・ソーシャルビジネスサポートながのを
主催で行われた。
静かに語りだした佐藤賢さんは
宮城県気仙沼を拠点としている
特定非営利法人ピースジャム理事長。
ピースジャムのミッション
東日本大震災で被災した新生児、乳児、幼児及び
その母親を対象とした生活基盤支援を目的とする。
「とにかく赤ちゃんのおなかは減らさない」
10人程の仲間と共に赤ちゃんとママに避難所に物資提供を続ける中、
日にちが経つと状況も変化。
衛生状況が整わない避難所から、自宅に戻るママ達の家を一軒一軒訪問し
必要なものを聞いてそれを届け続ける。
当時はLINEもフェイスブックもない。
自身の店舗のブログを使って情報を発信し続けながら、
岩手県釜石市、南三陸町の2,000世帯、2013年まで続けた。
震災後、数ヶ月を過ぎると、
来年、5年後の生活不安などの声も聞こえてくる。
出生数も激減したためコミュニティも生まれにくく、
あっても持続しにくい状況。
なんとかしないと分断、孤立は精神的に残酷だ。
次のようにママたちからの切実な声。
仕事をしたいが働く場所がない。
育児の知識や情報が欲しい。
遊ぶ場所が欲しい。
この声から気がついたのは・・・・
「そうか!職場に育児を投入すればいいのか!」
当時周囲では、原発事故で農作物への風評被害が強く、
放射性物質の残留検査をしていても売れず、
廃業する農家も多いことを目の当たりに。
農家の売上に1%でも貢献できれば!
「ピースジャムなんだからジャム作ったら!」の声にも押され
NPO法人ピースジャムとして、
ママ手作りの宮城県産無添加ジャムを作り始める。
地元の公民館、岩手県の施設での製造を経て
宮城県気仙沼の山手に工房を構え次の2本柱の
製造をしながら現在に至る。
<化学調味料・保存料不使用> 手作りジャム【Peace Jam】
赤ちゃん万能布 ベビー・モスリン【Baby Muslin】
ママは子どもが遊んでいる様子を真ん中で直接見ながら
(ジャム作りは窓ガラス越しから)
子どももママがすぐそばにいる安心して遊んでいる工房。
時に、工房を会場にイベントも開催し
近隣の親子も集う場所にもなる。
ママたちの声を「ジャム工房」という形にして「課題」が解消。
仕事をしたいが働く場所がない。
↓
ピースジャム工房で働く!
育児の知識や情報が欲しい。
↓
工房で働くママ達同士で情報交換!
遊ぶ場所が欲しい。
↓
工房内でママの目が届くところで遊んでいる!
特徴的なのは今まで55組の親子の受け入れをし
その中第2子を出産したママは23人!
この数値をみてもわかるように、
子どもを生んだあとの不安が解消されている。
総理大臣や大学からの視察も多く、
「どうして生まれるの?」との質問が出るほど。
理事長の佐藤さんは今後
シングルマザーの雇用・ママたちの人材バンク
も考えていきたいとしている。
(文責:ソーシャルライター 野菜ソムリエプロ:増田朱美)
ナガクルは国連が提唱する
「持続可能な開発目標」SDGs(エスディージーズ)に賛同しています。
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