「キセキのみそ」復活プロジェクト 背景に流れていたのは「食文化」への思い

味噌の原料となる大豆の花言葉は「必ず来る幸せ」「可能性は無限大」。

3年前の東日本台風(19号)で壊滅的な被害を受けた有限会社小川醸造場(長野市津野)の再建を応援しようと立ち上がった「キセキのみそ復活!プロジェクト」は12月10日、「未来へつなぐ感謝祭」を開き、予定していた3年間の取り組みを終えました。この活動はどのように進められ、何を生み出したのか…。活動の経緯と関係者の「思い」を追ってみました。

134年の歴史ある地域の味噌屋さんが崩壊

小川醸造場は決壊した千曲川堤防から、わずか150mの位置あり、濁流は味噌蔵を一気に飲み込みました。2019年10月13日未明の出来事です。建屋は崩壊し、味噌づくりの設備や機材、家財は跡形もなく流されました。貯蔵していた味噌も、そして収穫を目前にしていた畑の大豆も失いました。

小川醸造場は明治18年創業。代表の小川泰祐さんは4代目で、134年の歴史を刻む老舗です(被災当時)。お客さんへの直販、地元アグリながぬまでの店頭販売、おやきなどの製造業者への卸などをしていました。

壊滅した味噌蔵を目の当たりにして、小川さんは被災直後、「再建は無理と思った」と話しています。しかし、全国からボランティアがかけつけ、泥だらけになりながら瓦礫を取り除き泥出しに精を出してくれるボランティアの姿を見るなかで、「がんばらねば」という気持ちが少しずつ沸き起こってきました。被災していることを知らない人から電話で味噌の注文が入ったこともありました。小川さんは復旧作業に追われるなかで「いつになるかわからないけれど、この場に立ち、また味噌づくりをしたい」という気持ちが大きくなっていったそうです。

令和元年台風・千曲川決壊で全壊した小川醸造場

小川さんを応援しようとプロジェクトが発足

子どもたちの食育を進める活動に熱心に取り組んでいた飯島美香さんは、被災のニュースを知って「たいへんなことになった」との思いを抱きながら、長沼の様子を確認に行きました。飯島さんは小川さんと面識はありませんでしたが、どんな様子か気になっていたのです。しかし、被災直後は水が引いておらず、近づくことすらできませんでした。

数日後、飯島さんのもとへ電話が入りました。10月19日の全国味噌鑑評会で小川さんの味噌が「農林水産大臣賞」を受賞し、「日本一になった」という報せでした。被災から1週間後のタイミングでした。何としても小川さんを激励しなければとの思いが募り、飯島さんは「信濃毎日新聞」にこの朗報を報道してもらおうと考え、伝手をたどって依頼しました。

小川さんは味噌が全部流されて残っていなかったため出席をためらいましたが、周りからの勧めで11月の表彰式に臨みました。「被災した味噌醸造場が受賞した」と一斉にテレビカメラが向けられ、多数のマスコミ取材で小川さんは取り囲まれました。帰路の新幹線の中で「ニュースを見た」という知人からお祝いのメールが相次いだと言います。

このことが、小川さんの背中を押すことになり、再建の気持ちがいっそう高まりました。手元の味噌は流されてしまいましたが、鑑評会に出品した味噌は東京に残っていました。東京の中央味噌研究所から信州味噌研究所へ、さらに長野県工業技術総合センター食品技術部門へとリレーして持ち込まれ、酵母菌の分離を試みることになりました。何とかしたいという「思い」がつながり、連携して難しい挑戦が行なわれていきました。

小川さんが農林水産大臣賞を受賞

一方、小川さんの動向を気にかけていた飯島さんにも動きがありました。飯島さんはNPO法人食育体験教室・コラボ(以下、食育コラボ)の理事長を務め、子どもたちに日本の文化である味噌の意味を伝える活動をしていました。その活動を進めるにあたり、長野県味噌醤油工業協同組合連合会(以下、組合)の支援を受けていました。活動資金や味噌提供の援助を受けていたのです。組合の予算の元は、組合員から納められた会費です。お世話になってきた組合のメンバーである小川さんの再建を後押ししたいと強く思い、周りの仲間に相談を持ち掛けました。食育コラボの仲間たちは大賛成でした。

被災から約3か月経った2020年2月、復旧作業が落ち着いたころを見計らって、飯島さんは食育コラボのメンバーとともに小川さん夫妻を訪ね、話を聞きました。ナガクル編集デスクの寺澤順子さんもカメラを肩に同行しました。一行は、「いままでお世話になっていたので、何かお手伝いをさせてもらいたい」と申し出ました。でも、小川さんからは何をして欲しいというような希望は出されませんでした。「何が苦しいか」「困っていることは何か」を尋ねると、「味噌をまた作りたいが道具もないし、大豆もない」ということでした。

飯島さんたちは再建したいという小川さん夫婦の気持ちを受け止め、みんなで応援することを決め「キセキのみそ復活!プロジェクト」を立ち上げて動き出しました。小川さんの復活を後押しすることは地域を元気にし、被災地の希望にもつながると考えたからです。

子どもたちに味噌の大切を教えてきた食育コラボ

食育コラボは2010年3月に設立されました。「地域の住民に対し、郷土食や伝統食を後世に継承させるための事業を実施する。地域の子どもに対し自然に対する関心を深め健康的な食生活の実践能力を身につけるための農業体験を行なうことで、地域の食育の向上と未来を担う子どもたちの健全育成に寄与する」ことを目的としています。

翌2011年3月11日、東日本大震災が発生し、避難している人たちの様子がテレビで放送されました。そのなかで「あったかいごはんと味噌汁が何より嬉しい」という声が流れました。飯島さんたちはそれを聞いて、日本人の原点として、ごはんと味噌汁がいかに大事かを強く感じ、活動のツールとして味噌を取り上げることにしました。

2012年から小学生を対象に、味噌汁体験教室を開いたり、稲作をしたりしました。「自分の口に入るものがどのように作られるかを子どもたちに知ってほしい」という思いからです。

2014年、食育推進全国大会が長野市で開かれたのを契機に「みそボール」を広げる活動に力を入れました。みそボールを作っておけば、お湯を注ぐだけで、いつでも一杯の味噌汁を飲むことができます。

また、食育をわかりやすく伝えるために「食育劇団えぇ~っこ」を立ち上げました。食や農をテーマにした舞台・芸能を披露することで、信州の自然とともに育まれてきた「食文化・農村文化」を楽しく体感してもらう活動です。

長野県味噌工業協同組合連合会と「ながの協働ねっと」との協働で「みそフェスタin 善光寺」も開催しました。

食育コラボのメンバーは、農業を営む人、野菜ソムリエ、ライター、看護師、保育士などさまざまな分野で専門的な仕事をしており、日本の食文化を守り発展させたいという強い熱意を抱いている人たちでした。そして、その核の一つに「味噌」があったのです。

小川醸造場の再建を応援するためのプロジェクト立ち上げた背景には、こうした食育コラボの10年にわたる活動の積み重ねがありました。

ごはんと味噌汁を大切に
味噌ボール
簡単に味噌汁ができあがり

プロジェクトの活動3年のあゆみ

キセキのみそ復活!プロジェクトは、NPO法人食育体験教室・コラボ、ながの協働ねっと、長野県NPOセンター、長野県工業技術総合センター、長野県味噌工業協同組合連合会、有限会社小川醸造場で構成しました、小川さんの再建に期待を寄せる人たちの輪が広がっていました。そして、これに加わったのが市立長野中学校1年生のみなさんでした。

市立長野中学校は、総合的な学習の時間の取り組みの中で、生徒が自らの課題を探究する授業(「翼プロジェクト」と呼んでいる)をしていました。自分で学びたいことを決め、課題解決をする中で自分の生き方を考えていくというものです。1年生の大きなテーマは「農業体験」でした。

学校は活動先を長野県NPOセンターに相談しました。同センターの事務局長であり長野市民協働サポートセンター(まんまる)センター長でもある阿部今日子さんは、小川醸造場再建に取り組む「キセキのみそ復活!プロジェクト」を紹介しました。プロジェクトは再建の第一歩として大豆栽培をすることになっていました。コロナ禍でも野外で活動できること、多くの人数が同時に作業に関われること、長沼は学校に近いこと、そして市立長野高校の生徒も「地域まるごとキャンパス」の取り組みで長沼地区へ支援に入っていたことから最適と考えたのです。阿部さんは被災地の支援に取り組む活動をしており、また食育コラボの理事でもありました。農業体験だけでなく、中学生のみなさんに被災地を知ってもらうことにもつながるとの思いもありました。

この提案を学校が検討するなかで、1年生の生徒70名が大豆栽培にチャレンジすることになりました。被災の翌年(2020年)の6月9日、復旧した河川敷の小川さんの畑で中学生は大豆を蒔きました。夏休みには草取りも行ないました。そして11月7日には収穫を体験しました。350㎏の大豆を収穫し、小川さんが仕込む味噌の一部になりました。また食育コラボのメンバーに講師になってもらい、収穫した大豆を用いた味噌づくりにも挑戦しました。味噌を自分たちで仕込むことによりプロジェクトへの関心をより深めていきました。

飯島さんたちは学校へ出向いて、郷土の産業という視点で味噌のことや和食について話しました。中学生からはさまざまな質問が出され、彼らから「もっと知りたい」という探究心が強く感じられたと飯島さんたちは振り返っています。

大豆を蒔く市立長野中学1年来(20年6月)
大豆の収穫(22年11月)
食育コラボメンバーによる学び ①
食育コラボメンバーによる学び ②

長沼の被災地は、学校から3㎞ほどの場所です。身近で起きた災害の実態を知る貴重な経験にもなっていました。最初の年の1年生は、ことし(2022年)3年生となり、修学旅行で東北の震災地を訪れて、被災の学びを深めました。市立長野中学校の翼プロジェクトの活動は、2020年度の1年生から2021年度の1年生へ、そして2022年度の1年生へと引き継がれていきます。

一方、食育コラボは、キセキのみそ復活!プロジェクトの取り組みと小川醸造場復活のための資金作りにと味噌の販売活動を始めました。小川さんの味噌は流出して残っていなかったので、味噌組合から300個を提供してもらい、500g500円で「寄付金付味噌」として販売することにしました。ところが2020年の春頃からコロナの感染が拡大したためイベントの中止が相次ぎ、当初予定していた対面販売は困難になりました。その時、相談にのってくれたのが長野県NPOセンターでした。「ONE NAGANO基金」の支援を受けて、小川さんの想いを伝えるホームページなどを製作することができました。

サッカー会場での販売
復活支援味噌で活動をアピール

味噌の販売は、長野県観光機構が行なっている「NAGANOマルシェ」に出品して通信販売を試みました。SNSで呼びかけると協力者が現われ、職場で注文を取りまとめてくれました。長野市災害ボランティア委員会の人たちがAC長野パルセイロの試合会場で販売するといった応援もありました。用意した味噌は完売となり、売上金は諸経費を差し引いて小川さんに寄付できました。

もう一つの大きな取り組みは、クラウドファンディング(クラファン)でした。小川さんは建物を再建し、味噌製造にかかわる機材や大豆栽培用の農機具を用意しなければなりません。被災者救済の補助制度を活用できるものもありましたが、大豆の大きさをそろえる「選別機」は対象になっていませんでした。そこで小川さんに「選別機」を贈ろうということになり、その資金をクラウドファンディングで調達することにしました。購入価格の130万円を目標額としました。

飯島さんは、人からお金をもらって小川さんに贈るというクラファンの「しくみ」について、当初はなかなか乗る気を持てなかったと述懐しています。そんなとき、仲間が「お金を集めるのが目的ではなく、再建に向けて頑張っている小川さんのことを多くの人に知ってもらうためなのだ」と言われ、迷いがなくなったそうです。味噌の販売にしても、クラファンにしても、再建に臨もうとする小川さんのことを伝えることで小川さんを激励することになるというのが食育コラボのみなさんの考えでした。

クラファンは2020年9月から11月まで実施し、74名から184万5,000円が寄せられました。目標を上回って集めることができたので、当初予定のものよりランクが上の「選別機」を贈ることができました。寄付者へのお返し(リターン)の目玉は、小川さんが新しく仕込む味噌などです。

クラファンの基金を小川さんに寄贈
大豆の選別機

市立長野中学1年生の活動は年々引き継がれ、ことし2022年で3年目です。食育コラボの飯島さんと仲間たちは、この間、毎年学校へ出向き、プロジェクトの説明や味噌づくりの話をしました。種蒔きと収穫も一緒に行ないました。その活動のなかで、小川さんが中学生とふれあい、どんどん元気になっていく様を、飯島さんたちは見てきました。大人と中学生の力を合わせた活動になっていました。

小川さんは大量の種を蒔くとき友人に手伝ってもらうことはありましたが、70名という多数の子どもたちを受け入れて作業をするのは経験のないことでした。どうやって作業を進めるか悩んだと率直に話しています。1人100粒ずつ蒔くように袋に入れて70人分用意しました。でも、もし足りないといけないと思いたち、さらに倍の140袋作ったと言います。そして、中学の生徒さんたちの飛び跳ねるような元気な姿を目の当たりにして励まされたのです。こうした活動はしばしばメディアでも取り上げられ、それを見たお客さんからの励ましもあり、小川さんの背を押すことになっていました。

「キセキのみそ」という名前をつけたのは

プロジェクトの名称を「キセキのみそ」としたことに、どんな思いがあったのか。これは編集の仕事を生業としている協力者の提案でした。小川さんの手元の味噌はすべて失ってしまいましたが、鑑評会に出品してあったわずかな量の味噌から微生物を取り出して、これまでと同じ味の味噌を復活させようというチャレンジです。まさに「奇跡」ではないかというのです。そして、これから先、いろいろな奇跡が起きるのではとの「予感」もありました。

カタカナにしたのはインパクトがあること、子どもたちにも読めることからです。コピーライターやデザイナーのアドバイスを受けて決めました。プロジェクトを立ち上げてから中学生が支援に関わるようになりましたが、これも新たなキセキになったと言えそうです。キセキは「軌跡」にもつながります。将来への可能性を秘めるネーミングでした。

プロジェクトを締めくくる感謝祭

プロジェクトの活動は当初から3年間と決めていました。その理由は「3年経てば自信を持って味噌を送り出せるような気がする」という小川さんの言葉からでした。被災から3年経ったことし、小川さんの味噌が見事に復活しました。原料の大豆は、昨年の1年生が収穫したものです。鑑評会に出品していたわずかな味噌から取り出しに成功した菌で作られた酵母であること、そして被災から立ち上がってきた思いを込めて、小川さんが「復酵」と名付けました。

飯島さんたちは、プロジェクトの締めくくりを何となくフェードアウトするのではなく、プロジェクトの最終年に関わって「自分たちで何かをやってみたい」との希望をもった中学生たちといっしょにつくるイベントにすることにしました。イベント名は「未来へつなぐ 感謝祭」。支援してくれたすべての人たちに「感謝」を伝えるための催しです。会場は災害ボランティアが集まる拠点ともなった長野市柳原の東部文化センターでした。

感謝祭のポスター

12月10日(土)午後の「感謝祭」はプロジェクトのリーダーを務めてきた食育コラボの河野万寿美さんが進行し、長沼こまち太鼓の演奏で幕を開けました。飯島さんによるプロジェクトの経過と成果の報告、中学生代表の活動発表に続いて、「食育劇団えぇ~っこ」の公演がありました。フィナーレは、長沼でさまざまな支援活動をしている東北中学校の吹奏楽部のみなさんの演奏でした。

オープンを飾った長沼こまち太鼓
東北中吹奏楽部の演奏でフィナーレ

劇団の公演タイトルは「信州味噌で、ぽんぽこ生きていくさ」でした。狸に扮して登場したのは飯島さんと、市立長野中学とプロジェクトとを結びつけた阿部さんの2人(2匹)。飯島さんは母ちゃん狸で、阿部さんは婆ちゃん狸の役柄です。大昔から長沼の地に棲んでいる狸が会話を楽しんでいると、そこへスコップを三味線代わりにした爺ちゃん狸が踊りながら出てきました。長野県NPOセンター代表理事の山室秀俊さんです。3匹とも被災当時は人間に化けて支援活動を行なったという設定で、活動の様子を振り返りました。三味線に見立てたスコップは、爺ちゃん狸が人間に化けて泥出し活動をしたときに使ったものとのことです。脚本と演出は河野さんです。劇団のこれまでの作品はすべてフリーライターである河野さんが書いており、今回の公演は8回目となりました。

みんな揃っての練習は3回程度しか行なえなかったそうです。ストーリの流れは決まっていたものの、細かい会話はかなりのアドリブで進行したとのことですが、普段から諸活動を共にしている仲間たちの呼吸はピッタリと合っていて、会場からしばしば爆笑が湧き起こっていました。

3匹の狸が絶妙な演技を披露
母ちゃん狸の飯島さん
婆ちゃん狸の阿部さん
爺ちゃん狸の山室さん
公演 「信州味噌で、ぽんぽこ生きていくさ」

続けて、客席から舞台へ登場してきた3匹の狸。人間に化けていたのは、長野県味噌工業協同組合連合会で信州味噌の普及をしている吉川茂利さん扮する長老狸、㈱発酵長寿研究所で微生物や菌の研究をしている蟻川幸彦さん扮する狸博士、小川醸造場代表取締役の小川泰祐さん扮する味噌狸です。化け方が不十分であったため、耳が出たままでした。3匹は3年前に小川さんの味噌が全国味噌鑑評会で農林水産大臣賞を受賞して「日本一」になったことを説明するとともに、コロナで中断していた鑑評会がことし3年ぶりに開かれ、小川さんが昨年の大豆で仕込んで作った味噌「復酵」が、出品300点以上のなかから選ばれ、農林水産大臣賞に次ぐ大臣官房長賞を受けたことが報告されました。前回の鑑評会で日本一になった、わずかに残った味噌からキセキ的に抽出した酵母や乳酸菌を用いて仕込んだ味噌「復酵」が、再び受賞するという快挙が起きたのです。まさにキセキでした。

吉川さん
蟻川さん
小川さん

3年間の活動の締めくくりとして、最後はプロジェクトのメンバー全員が舞台に並び、代表して小川さんが御礼のあいさつをしました。公演の表舞台に出演しなかった食育コラボの他メンバーは、舞台の照明や音響、映像の上映などで感謝祭を支えました。そして中学生のみなさんは、ロビーで小川さんの似顔の入ったポスターを掲げながら「復酵」味噌の販売を担当しました。

プロジェクトのみなさん…お疲れさまでした
中学生による「復酵」味噌の販売
ポスターを描いてアピール

自分の課題を追究した市立長野中学校1年のみなさん

感謝祭の内容で注目されたのは、市立長野中学生の活動成果の発表でした。西沢幹太さんは、大豆づくりの体験、そこで出会った人たちの言葉や思いにふれながら、「問い」の心で追究することを大切に一人ひとりが取り組んできたと話します。世界の大豆生産に興味を持ち、年間3.2億トンが生産されるものの、食用ではなく油として使われていることを本やインターネットで知りました。また小豆、ひよこ豆、そら豆などでも味噌はできるという情報を見つけ、「いつか食べてみたいと思った」と話しました。

翼プロジェクトの活動は先輩から後輩へと引き継がれ1年生の活動として続けられて来たことから、西沢さんは先輩が活動のなかで何を感じたかを聞き取っていました。

1年目に活動した先輩たち(現在の3年生)からは「災害を身近に感じた」「少しでも被災地の役に立ちたい」という声を聞くことができました。活動を通じて得たこととして、小川さんのあきらめない姿から「何かを続けることの大切さを学んだ」という感想もありました。

2年目の先輩たち(現在の2年生)は専門家の講演を聞き、味噌の栄養や世界での味噌の役割、使い方や歴史を学び、味噌の食べ比べもしたとのことです。「地域の特産品を残す必要性、大切さを学んだ」という感想が聞けたと説明しました。そして今年の1年生は、一人ひとりが「問い」を持つ中で、農業体験や学びを通じ、長野で味噌がなぜ有名なのか、色や味の違いはどこからくるのかなどの疑問を追究し、最終的にそれぞれが自分は何がやりたいのか見えてきたと言います。

それをまとめると、①小川さんのことを知ってもらいたい ②信州味噌のすごさを知ってもらいたい ③日本の人に味噌をもっと食べてもらいたい―というテーマでした。それを実現させるために、一人ひとりが自分で思いついた活動を進めているということでした。西沢さんはプロジェクトの活動を振り返って、「飯島さんたちのように、一つのことで頑張っている人を応援できる人になりたい」と発表を結びました。

今年度の生徒のやりたいこと
1年目の先輩の感想
3年間の活動を発表した西沢幹太さん

続いて、学びの成果を発表した渡辺咲さんは、麴には米麹・豆麹・麦麹の三種類があること、麹の量によって味の違いが出ること、発酵期間の違いで色が異なること、地域によって味噌の種類が違うことなど、知り得た成果を説明しました。味噌を使った各地の郷土料理も調べ、味噌文化に対する見識を高めていました。

「復麹」味噌を紹介するポスターやポップを描いた生徒、味噌レシピの資料を作った生徒、味噌を買った人にプレゼントする飛び出すカードを作った生徒などもおり、各自が自分にできることを見つけました。これらは、市立長野中学校の「課題の探究」という取り組みです。「感謝祭」の会場ロビーに並べられた「復酵」味噌は完売でした。

指導にあたっている末松辰規教諭は、「今年度の1年生は先輩たちが取り組んできた活動を受け止めながら、自分のやりたいことを見つけて行動している」と話してくれました。信州味噌の歴史や文化を広げるため、海外からの留学生と交流できる機会をつくって味噌料理を食べてもらうことを考えたり、出身の小学校に広めることができないかを模索したりしている生徒もいるそうです。区長さんにお願いして、自分の住む地域の人に回覧などで知ってもらうことをやってみたいなど、それぞれがアイデアを検討中とのことです。

キセキがつながり新たな奇跡を生んでいった

3年という限定した期間でのプロジェクト活動でしたが、味噌が復活しただけでなく、再び大臣官房長賞を受賞するというキセキが起き、そして食育コラボがめざしてきた農業体験と郷土食や伝統食を後世に継承していく活動が市立長野中学校の取り組みとして広がりました。こうして「みそ復活」の取り組みは、いくつものキセキを起こしました。

飯島さんは、学んだこととして、「人のつながり、きづなの力」のすばらしさを強調しています。中学生との関りの中で小川さんがどんどん元気になり、それを見て食育コラボのメンバーも元気をもらったこと、SNSやクラファンによって支援者の輪が全国に広がっていったことが大きな成果でした。

感謝祭の最後のあいさつの中で、小川さんは「中学生の元気な姿とキラキラ輝く目を見て元気をもらった。災害で失ったものはとても大きいが、それを克服しようともがくなかで得たものもたくさんある。人と出会い、自分の弱さを知り、人の温かさを知ることができた」と話しました。

こうした成果やさまざまなキセキを呼び込んだ背景にあったのは、人のつながりと連携でした。被災地長沼の復興は、まだ道程半ばです。小川醸造場という地域に根付いてきた老舗の復活は「復興への希望」であり、さまざまな動きが絡み合って発酵し、つながりがつながりを強くして今後さらなるキセキが生まれるかも知れません。「キセキのみそ復活!プロジェクト」の活動を締めくくった「未来につなぐ感謝祭」は、これからも続いていく長沼の復興のあゆみのなかの一里塚となることでしょう。

再建した小川醸造場の味噌蔵で小川さん夫妻の間に立つ飯島さん(22年12月)

写真・映像提供:食育コラボ、キセキのみそ復活プロジェクト、長沼アップル放送局

取材・執筆 太田秋夫(ナガクルソーシャルライター)

2020.9.28 こちらの記事はクラウドファンディングを集めた時のものです。

「食育劇団えぇ~っこ」公演「信州味噌で、ぽんぽこ生きていくさ」の全編は、こちらからご覧いただけます。