迅速かつ効果的に被災者支援を行なうためには、支援団体や行政がいかに情報を共有してきめ細やかな対応をするかーー。令和元年東日本台風の被災から3年が経過するなかで浮上した課題の一つです。
この課題を教訓として、今後に生かすため平時につながりをもっておくことが必要ではないかという機運が高まり、この間、「長野市域災害時支援ネットワーク」を構築する取り組みが進められてきました。その一環としての交流会が2022年11月27日(日)、柳原交流センター(災害ボランティアの活動拠点ともなった場所)で開催されました。交流は今回で4回目となります。呼びかけたのは長野市災害ボランティア委員会でした。
三者連携の重要性
テーマとして掲げたのは、「三者連携と災害時の情報共有をどうするか」でした。三者というのは、行政・社会福祉協議会・NPOなどの支援団体です。
大きな災害が起きたとき、ボランティア団体が行なう支援活動を連携させ、また知り得た被災者のリアルな情報や要望を行政や社会福祉協議会につなぐためには、お互いの有機的な関係が不可欠でした。3年前の被災はあまりに大規模であったため、この三者の連携が十分でなかったのではとの反省があり、平時からの関係性を作っておこうという動きになっています。
講師として招かれたのは全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)の古越武彦さんです。古越さんは長野県危機管理部で長年に渡って防災業務に従事し、2011年以降に県下で発生したすべての災害対応に関わっていました。今年3月に早期退職し、災害支援の活動に取り組んでいます。
古越氏は「防災は人づくり」を強調
古越さんは大規模災害が発生したとき、市町村地域防災計画の枠を超えてしまうと規模の小さい自治体では行政として対応できなくなってしまう現実や、行政施策の中ではどうしても支援の漏れやムラが起きてしまう実態、そして人事異動によって災害に対応する経験の積み重ねが職員の中にできない事情など行政の限界についても率直に話しました。
「あの地域は慣れているから水が引けば再建が始まる」といった声があって対策が十分でなかった事例や、アルファ米と水だけが届けられているだけで十分な支援が行なわれてないなかで、民間がおむすびを提供していた体験などを紹介する一方、支援団体に向けて「みなさんはさまざまな経験を積んでいる」と期待を寄せました。それは三者連携の意義を明確にするものでした。
古越さんが講演のなかで最も強調したのは、「防災は人づくり」ということでした。
日常的なつながりの構築がカギ
災害対策基本法第5条3は、「国及び地方公共団体は、ボランティアによる防災活動が災害時において果たす役割の重大性に鑑み、その自主性を尊重しつつ、ボランティアとの連携に努めなければならない」と定めています。
その関係性を具体的に実現するためには、日常からのつながりが不可欠です。今回の交流会には長野市の防災管理課および長野市社会福祉協議会の管理職も参加しました。3年前の被災時には長野県災害時支援ネットワーク(長野県NPOセンター、長野県社会福祉協議会、長野県生活協同組合連合会など8団体で構成)が頻繁に情報共有会議を開いて、支援団体間の情報共有とともに行政からの情報を伝える取り組みをしました。しかし、支援活動をしている関係者すべてに声をかけ切ることができたわけではなく、長野市域レベルでの情報共有の場は設けられませんでした。
講演のあとの質疑応答では、そうした県レベルで取り組みが行われていたことを知るすべがなく、現実的には目の前の対策に追われていたとの振り返りも出されました。
被災者のリアルな現状と要望を行政や社協にどう届けるかも課題であり、情報共有の視点では被災者自身も含めた「4者連携」が必要ではないかとの指摘もありました。
まとめでは、県レベルでの情報共有に取り組んだ山室秀俊長野県NPOセンター代表理事が、当時の様子を説明しながら日常の連携を呼びかけました。
長野市は防災計画の改定を準備中
長野市は地域防災計画の改定を準備中で、2022年12月20日までを期限にパブリックコメントを募集中です。改定案の資料はホームページで見ることができるほか、各支所でも閲覧が可能で、この日の交流会で、長野市の担当者から見直しをする主な修正点について説明がありました。
また、近日中に開催される災害・防災関連のイベントや団体の活動を紹介されるチラシも配布され、交流会が情報共有の場となりました。
長野市地域防災計画(案)及び長野市水防計画(案)へのご意見を募集します – 長野市ホームページ (city.nagano.nagano.jp)
交流会はコロナ禍であったため30名に限定して実施され、被災時に活動した支援団体のほか住民自治協議会や大学関係者などの参加がありました。参加者から一言ずつ自己紹介があり、終了後は名刺交換をする様子が見られました。
取材執筆 太田秋夫(ナガクルソーシャルライター)