「復興タイムズ」が20号に! 住民同士のつながり維持をめざして

 

「復興タイムズ」が2022年(令和4年)2月で20号を重ねました。令和元年東日本台風(19号)で甚大な被害を受けた長野市長沼地区で、住民による復興団体が月1回のテンポで発行を続けています。そこには復興に向けて力を合わせようとする住民の思いが満ちあふれています。

コロナ禍で住民の様子がみえるようにするために

「復興タイムズ」を制作・発行しているのは、「穂保希望のつどい実行委員会」の編集委員たちです。読者対象は長沼地区に4つある区のうちの穂保区の住民が中心です。住民の目線で内容を決め、取材して原稿を分担執筆しています。

きっかけは、被災の翌年(2020年)の春先からの新型コロナウイルス感染の広がりでした。顔を合わせての住民同士の交流が難しくなってしまいました。家屋の損壊から仮設住宅やみなし仮設で暮らさざるを得ない人たちがたくさんいて、地域から人の姿が消え、夜になると電気の消えた家が目立ちました。

コミュニケーションが取れなくなり、住民同士のつながりが薄くなることは復興にとって大きなマイナスです。そこをカバーするために、自分たちで新聞を作り、それを配布することで住民同士の励まし合いにしようと考えました。ですから、住民が登場することを大切に、身近な内容にしました。地区や行政もさまざまな形で「情報提供」をしていますが、それらとは一味違った、住民のふれあいを意識した内容を心がけることにしたのです。

写真をたくさん入れたカラー印刷の紙面

住民の目線で内容を検討

創刊は2020年(令和2年)7月です。被災から8か月が経過し、損壊した家屋の後始末から復興へと少しずつ気持ちを切り替えて進もうとしている時期でした。A4判で2ページのときもあれば4ページのときもあります。10ページにわたる特集を出した号もありました。

被災から1年になる2020年(令和2年)10月の第4号では、被災当時のことを思い出して記録に残しておこうと話し合い、「あの日・あの時 伝えておきたい私の記憶」を特集しました。寄稿やインタビュー記事で載せましたが、記憶が薄れないうちにとの思いからでした。

2021年(令和3年)1月の第7号・新年特集号では「復興を支えてくれた人々」と題して、10ページにわたり支援してくれたボランティア団体の面々からの寄稿を掲載しました。

2021年(令和3年)10月の第16号は被災から2年の節目でしたが、「19号台風の不安再び―教訓はどう生かされたのか」を特集しました。この年8月、千曲川の水位が上昇し、氾濫危険水位近くまで達しました。長沼地区住民自治協議会はコミュニティータイムラインに沿って判断し、住民に避難を促しました。住民はそれをどう受け止め、どんな行動をとったのかをアンケート調査し、生の感想も掲載しました。

オール長沼で実施した「追悼・復興・感謝のつどい」や穂保区で開催した夏祭り、どんど焼きなどのイベントの様子も載せています。参加できなくても、地域の動きを知ることができます。「お宅訪問 居たかない?」のコーナーは短い文章ですが、住民が登場します。こうして地域の様子や住民のいまを知ることができるツールとなっています。

2020年(令和2年)10月の第4号「あの日・あの時 伝えておきたい私の記憶」

2021年(令和3年)1月の第7号・新年特集号「復興を支えてくれた人々」

2021年(令和3年)10月の第16号「19号台風の不安再び―教訓はどう生かされたのか」

バックナンバーがネットで読める工夫も

読みやすいように、カラーで印刷しています。それは長沼住民自治協議会事務局の協力で実現しました。住民へは月末の区の配布物に乗せることで届けられます。地元穂保区だけでなく、隣接の津野区にも配布しています。長沼地区には穂保・津野・赤沼・大町の4つの行政区があり、できれば他の区のみなさんにも読んでもらいたいとの思いから、住民自治協議会のホームページで閲覧できるようにしました。「くらしの情報」の中に「各区の配布物」のコーナーがあり、そのうち「穂保区」からバックナンバーすべてが読めるようになっています。

長野市長沼地区住民自治協議会ホームページ (naganuma-ju.com)

復興タイムズ – Google ドライブ

編集制作している人たちの顔ぶれ

どんな内容にするかは、穂保区内にある「ほやすみ処」で話し合います。この場所は、住民がいつでも気軽に集ってふれあえる場所として、行政の公会堂とは別に穂保希望のつどい実行委員会の手によって設置したものです。住民が場所を提供してくれ、当初は被災して損壊状態でしたが、支援ボランティアの手で修復改修して使えるようになりました。

編集制作に携わるのは、被災当初から復旧活動の先頭に立っていた人たちです。編集長の住田昌生さんは、被災したとき地域の常会長をしており、自らも被災しましたが、被災住民と災害ボランティアとの間に入って調整役を果たしました。制作に責任を持つ穂保希望のつどい実行委員会共同代表の芝波田英二さんも、やはり別の常会の常会長をしており、被災者でありながら近隣の被災した家々に災害ボランティアを送り込む活動をしていました。もう一人の共同代表の土屋恵美子さんは民生委員をしています。

原稿が集まったらパソコンを活用して紙面づくりをしているのは杉田たけしさんです。長沼地区とは別の地域在住ですが、被災当時は支援団体のメンバーとして芝波田さんと行動を共にしており、その後も個人的に支援活動を継続しています。「復興タイムズ」の発行は住民自身による自主的な活動ですが、編集委員には区の役員も入っており、区と密接に連携した活動になっています。

住民の様子を気遣う編集会議

3月号の編集内容を話し合う会議が2月9日、いつものメンバーが集まって「ほやすみ処」で開かれました。雑談から始まります。

「冬で外へ出られなくて、みんなどうしているかな」「寒いから心筋梗塞などを起こしやすいので、身体のことも心配だね」と地域の高齢者の現状を気遣います。「家のことや草刈りの問題など、助け合わなくちゃいけないことがいっぱいあるのに、コロナの蔓延防止が出て、ふれあいがない。そのために様子が伝わらず、何か他人事になっている感じがある」「みんなの声を聴きに行きたいんだけど、訪ねにくいのよね」「ラジオ体操も早く再開できるといいね」・・・。

そんな会話が続きます。ラジオ体操はふれあいの機会をつくるため実施してきましたが、冬季間はお休みになっています。そのため、編集委員のメンバーも住民との出会いが少なくなっていたのです。

次号の検討で、隣の津野区の様子を載せようということになりました。「復興タイムズ」は穂保区のメンバーで始めましたが、もともと「穂保復興タイムズ」としなかったのは、取材対象や読者を穂保区の住民に限定したくなかったからです。

新聞は津野区の住民にも配布しているので、「女子会」のみなさんを訪ねて話を聞き、活動の様子を紙面で読者に伝えることにしました。「女子会」というのは、津野復光隊の名前で穂保希望のつどい実行委員会と同じように復興の活動をしている住民のグループです。

アイデアはいろいろ出てきます。親しみを感じる紙面にする工夫として、いつも何気に遣っている「方言」について載せることも決めました。「もうらしい」「らっちもねえ」「ぞうさもねえ」「えべや」「しこたま」「てんでに」「ばんてんこ」「げいもねえ」など、仲間内では伝わるけれど、外の人には通じない方言です。地元の人にのみ理解できる言葉なので、連帯意識が生まれるかもしれません。方言は若者は使わなくなっていますが、高齢者にとっては「日常」の会話です。こうした発想からも、地域の人たちへの思いやりや気遣いが感じ取れます。

反響と制作にかける思い 根底にあるのは「思いやり」

「復興タイムズ」発行の話題は当初、新聞やテレビでしばしば取り上げられました。そのため、地区外の人からも問い合わせがありました。その後の住民の反応はどうか。住田昌生編集長に最近の様子を聞きました。

「メディアに取り上げられたあとの反響は大きかったですが、発行し続ける中で、地域のみなさんはよく読んでくれているようです。ちょっとしたことで、ああ読んでくれてるんだと感じることがあります」とのこと。写真などを通じ地域の様子がわかったとお礼を言われると嬉しいとも。それだけに、内容の工夫が必要であり、「表面的なことを伝えるだけでなく、大事なことで、みんなが知らないでいることを伝えたい」との気持ちが高まっているとのことです。

2月号では、住民に依頼して区内の道路の機械除雪をしていることや「米寿」「出産・転入」のお祝い金が贈られていることを伝えました。これは長沼地区の中でも、穂保区だけで実施している独自の取り組みです。穂保区の住民にとって「当たり前」になってしまっているけれど、「先輩たちの区行政の積極的取り組みによって実現できている」ことを知ってほしかったと住田さんは言います。

編集長 住田昌生さんのインタビュー

通学路の機械除雪、お祝い金の支給などは、区民同士の「思いやり」が区の活動として形になったものです。「復興タイムズ」はコミュニティーの再生をめざして始めた新聞づくりですが、その根っこにあるのは、やはり住民同士の「思いやり」から生まれたものと説明してよいようです。

取材・執筆 太田秋夫(ナガクルソーシャルライター)