長野県内の防災士が松本市に集まり、能登半島地震の支援活動を学ぶ

「日本防災士会長野県支部」は能登半島地震の支援で現地にメンバーを送り出してきました。2024年5月18日、松本市内で開催した定例総会で、被災者支援に参加したメンバーが、現地の生々しい様子を報告しました。映像や写真を示しながらのリアルな発表で、集まった参加者は、防災士としての役割や心構えを学びました。

防災士は防災力を発揮して活動する人たち

「防災士」というのは「自助・共助・協働」の精神を大切にしながら社会の様々な場面で防災力を発揮して活動している人たちです。そのための十分な意識と一定の知識・技能を修得していることを「日本防災士機構」が認証した資格です。全国で現在28万人余が登録されており、長野県には4,091人(2024年4月現在)の有資格者がいます。このなかの有志が日本防災士会に入会して活動しており、長野県支部には167人が在籍しています。支部は2006年(平成18年)の発足で、すでに18年の歴史を刻んでいます。

総会には長野県内から142名(委任状含む)が出席し、2023年度に行なった学習会や支援活動の報告、新年度の計画を承認したあと、現地に派遣されたメンバーから能登半島地震の支援活動の様子を発表しました。

防災士会長野県支部定期総会参加者

被災直後から能登半島の支援に駆けつける

地震発生直後から長野県支部は福井県、石川県、新潟県の各支部と連絡を取り合って先遣隊の派遣と救援物資の搬送を決定。被災からまもない1月4日に会員へ協力要請のいっせいメールを送り、SNSも活用して物資提供を呼びかけました。

5日夜には紙おむつやウエットティッシュなどの救援物資を車両に詰め込み、翌6日に石川県白山市へ出発しました。石川県支部事務局へ物資を届けるという迅速な動きからスタートしました。そして同支部からどのような支援が必要か聴き取るなかで「人を送って」との要請を受けたことから本格的に動き出し、避難所の支援などの派遣計画を立てました。

石川県支部から提起されたのは、「支援活動をする人がいない」ということでした。すでに1.5次避難の計画が立てられていたものの、それを進めるための取り組みに対応できる人が不足している状況でした。災害対策本部から石川県の防災士会に協力の要請が出ていたものの、同県下の防災士の多くは被災している状況でした。そのため、「物資よりも人で応援してほしい」とのことだったのです。

能登支援に至る経緯を説明

4月までに延べ161名を派遣

1月は13日から珠洲市正院小学校の避難所へ延べ22名が支援に入りました。2月は一日も欠かさず交代で延べ76名が支援を続けました。引き続き3月も延べ41名が支援に入り、さらに4月に入ってからも、人手が足りないとのことで要請があり、活動を継続することとなりました。延べ12名が支援に入っています。4月末までの支援者総数は、延べ161名(実人員17名)に上っています。

予期せぬ対応に直面することも

この日の派遣メンバーの報告はリアルでした。1月の支援時に車中から撮影した道路沿線の様子の動画は、電柱が傾き、マンホールが軒並みせり上がり、壊れた家並みが続き、家屋倒壊で道路を塞いだ場所が通行を妨げている悲惨な状態が映し出されました。2月に入ってからも、この状態に変化はありませんでした。

道路を塞ぐ倒壊した建物(1月15日 車中から)

支部では道路状況が悪いことなどから基本的には2人以上で現地に入るようにしていましたが、編成の関係から1人で入ったメンバーがいました。

初期の頃で、先発から引き継ぐ状況でなかったことから、最初は何をしたらよいかわからなかったと言います。それでも避難所の状態を知るなかで電気の配電が不十分で支障が出ていることを知り、電気工事の技術を生かして配電設備設置の対応をしたと経験を語りました。

また、トイレの便槽に山のように汚物が溜まっている状態に直面。他の福祉関係の支援チームの人たちとともに、「覚悟を決めてやるしかない」と、意を決して撤去し〝原状回復〟させたこともあったと話しました。

ニーズは多様で、それにどう応えるかが大事であることを考えさせられる報告でした。弁当や非常食が続く中で生の野菜や果物の必要性を感じ、友人に声をかけて次の出動のときにりんごを届けて喜ばれたことも紹介されました。

被災者が自立して運営している避難所も

被災者が自立して避難所の運営をしている事例の話もありました。支援に入ったものの、換気やカーテンの開け閉め、入口のマットの交換をする程度のことしかやることがなかったとのこと。避難所によって支援内容は様々だったようです。

外からの支援者に頼らないで自分たちが運営する避難所の姿勢は、避難所が閉鎖になったとき、被災者それぞれが自立して生活を進めることにつながるという意味で重要だったと思うとの報告でした。

運営での気づきをどう伝えるか

女性の目線からの気づきと対応の報告も貴重でした。

避難所のステージの上に生理用品やおむつが置いてあり、自由に持って行っていいようになっていましたが、その状況に「取りにくいのではないか」と感じたと言います。「配慮が足りない」と思ったものの、外から支援に入ったばかりの自分が、それまで運営して来た人たちのやり方を変えるような指摘をしてよいものかとまどい、それでも伝えなければとの思いから、支援を終えて帰る引継ぎのときに福祉チームの人に話したそうです。

その後は改善され、「取りにくい時は黄色いベストの女性スタッフに声をかけて」との張り紙が出されたとのことです(黄色のベストは福祉関係の支援者)。その処置について後日、写真に撮って送ってもらえたとの報告でした。「みんなで考えると、いい方法が生まれるものだと感じた」と経験の感想を語りました。果物や生野菜が不足していることから、食べたくなくてもつい食べてしまう状況や手元に置きたくなってしまう傾向があり、「みなさんは不安なんだろうと思った」と話しました。

福祉チームのみなさんとも連携

ニーズをどう伝え願いを叶えればよいか

「子ども用の下着が欲しい」と伝えたら赤ちゃんの下着が届いたとのこと。でも欲しかったのは中学生の物だったのです。細かく具体的にお願いをしないといけないとの教訓でした。

トイレの匂いがひどいため「消臭スプレーが欲しい」と担当の方にお願いしたら、「消臭スプレーはぜいたく品だ」と言われたとの経験が語られました。匂いで気持ちが悪くなるのでトイレを控えてしまう人もいます。消臭スプレーがぜいたく品というのはおかしいと思いながら、「消臭剤を備えて欲しい」との願いを抱きながら帰って来たそうです。

被災者への励ましの事例

宮城県の南三陸町のみなさんの炊き出し支援で添えられていた言葉の紹介がありました。「私たちを絶望から救ったのは人の力でした。明日はきっと晴れるよ。能登へ届けよ 応援プロジェクト」という文面でした。炊き出しの鱈汁とタコ飯のパックに貼られていました。

小学校や避難所で楽器演奏をしたことが被災地の人たちを励ます力になったとの報告もありました。

南三陸町のみなさんからの応援メッセージ

降水量が影響する地震時の土砂災害

どんな状態の中で能登の地震が起きたのか調査研究した報告もありました。前年の降水量が多く、それが地滑りに影響していたと推測されるとの発表でした。能登半島での状況を分析し、今後の防災を考える上での視点として重要な報告でした。

支援活動を報告したみなさん

隣近所の助け合いが重要である」ことを防災士として伝えたい

報告会のまとめで、県支部長の大久保隆志さんは、今回の地震では倒壊した家屋から救出されて命が助かった人がたくさんいたことにふれ、隣近所の助け合いが重要であることを強調しました。そして、防災士としてそのことを伝えていくことを呼びかけました。

そのためには何が必要かについて、「これからは、家は潰れるかもしれないと覚悟しなければならない」と伝えました。耐震補強がされていない1981年(昭和56年)以前の建物では、テーブルの下に隠れるのではなく、いち早くどう外へ出るかを考えていかないといけないと言います。大きな地震に見舞われるリスクが長野県下でもあるなかで、これまで言われてきたような対応では命を守ることができないという視点です。

長野県支部支部長の大久保隆志さん

能登半島地震と同様の地震が県下で起きるかも知れない

長野県には糸魚川―静岡構造線断層帯があり、小谷から明科にかけて想定されているのはマグニチュード7.7です。大久保さんは「私たちはその近くに住んでいる」ことを指摘しました。奥能登で起きた地震と規模がまったく変わらないリスクがあるわけです。そうした状況なかで私たちはどうやって命を守っていくかを考え、それを地域の人たちに伝えていく必要があることを強調しました。

今回の地震で珠洲市三崎町では津波で亡くなった人はいませんでした。5分後にはみんな高台に逃げていました。去年訓練をしていたことや、隣近所が呼びかけて逃げたからだったと大久保さんは説明しました。

長野県でも大地震が起きるリスクがある(長野県資料)

防災は思いやり、知識は力なり

大久保さんがいつも講演で伝えているのは「防災は思いやり、知識は力なり」という言葉です。自分と自分の家族だけが助かればいいというのでは防災の意識は高まっていかないと訴えます。みんなでみんなを助けるという考え方が大事だと強調しました。

しかし、気持ちだけでは守れません。だから「勉強しなければいけない」というのが大久保さんの主張でした。知識をつけ、それを踏まえて知恵を絞り、さらに工夫しながら訓練(行動)してみることが大事だとしました。津波から逃れる行動を迅速にした事例のように、体が勝手に動くくらいにならないと命が助からないとも話しました。

地震や火山の噴火は地球の歴史の中では当たり前のことであり、その中で私たちは生きていると言う大久保さん。しかし、気象災害は地球温暖化などに原因があるわけで、そのなかで生きる私たちにとって必要な学問には「哲学」と「科学」の二つがあるというのが大久保さんの考えです。

「哲学」というのは「思いやり」であり、知識を備えるのが「科学」だと説明します。その真ん中にあるのが「防災」です。「哲学」と「科学」が必要であり、防災というのは幸せになるための「まちづくり」「人づくり」であるとまとめました。

「人間的な魅力」がある人たちの集まりを目指そう

防災士としての活動を積み重ねるなかで、大久保さんは「被災した人たちのためになるには、人間として成長が必要」との考え方に行き着きました。そして、「人間的魅力」を高めるフィールドとして、「人格」「人間力」「人間性」の三つを挙げました。それは、防災士として自己研鑽していくうえでの指針を提示するものでした。そんな人たちの集まりである防災士会にしていきたいというのが、大久保さんの願いのようです。参加者はメモを取りながら聴き入っていました。

今回の定期総会は、単なる被災地支援活動の報告にとどまらず、支部の会員が防災士として、今後どのようにあるべきかを考え合う場となっていました。

能登半島被災地支援の活動報告と支部長大久保隆志さんの呼びかけは、長沼アップル放送局のチャンネルで紹介しています。

定期総会での活動報告と大久保さんの呼びかけ(YouTube 長沼アップル放送局)

取材・執筆 ソーシャルライター・太田秋夫(防災士)