2019年4月7日に投開票された長野県議会議員選挙(以下、「県議選」)。県選管の選挙結果速報によると、投票率は47.57%と過去最低を更新した。
「有権者の関心が高まらなかった」とコメントした報道もあった。投票率が41.39%と最も低かった長野市・上水内郡区は、「11の議席をめぐって13人が争う激戦」と伝えられながらも、候補者の声が有権者の関心を呼び起こすまでに至らなかったのだろうか。
県議選の投票率は1979年から11回連続で下がっている。実際に選挙運動の現場を歩くと、いまの社会では投票率の低下も仕方ないことのように思える。
データは長野県選挙管理委員会のホームページにある投票率・年齢別投票率等より
選挙期間中にできる選挙運動
選挙運動は、公示日(告示日)に候補者の届け出があった日から選挙期日の前日までしかできない。先の県議選では、3月29日から4月6日の9日間になる。
この間に立候補者と選挙事務所ができるのは、①遊説と街頭演説の実施、②個人演説会の開催、③電話での投票依頼、④公営掲示板へのポスター掲示、⑤1回の選挙公報、⑥2回以内の新聞広告、⑦インターネットを利用した選挙運動、そして枚数制限がある⑧公選はがきの送付と⑨ビラの配布。投票率の低さは、これだけの方法を駆使しても有権者を投票所へ向かわせられないことを表している。
有権者は「見ざる・聞かざる・行かざる」
理由は簡単だ。これらのうち有権者が拒否できないのは、不意の遊説車の音しかない。街頭演説は立ち止まって聞くまでもなく、個人演説会には行かない。特に高齢者は夜間に出歩かなくなっている。ビラは受け取らない。知らない番号の電話には出ない。もし詐欺だったら困る。ポスターや選挙広報、新聞広告、インターネットなどは見ない。わざわざ探すこともない。新聞をとっていない、読んでいない。はがきやビラがあったとしても見ることはない。
三猿のように目と耳をふさぎ「見ざる・聞かざる」を貫いたうえに、投票所へは「行かざる」で済む有権者。選挙は「知らない・行かない・関心がない」でも、とがめられることがない。
一方で「口」だけは、やたらと反応することがある。「遊説車の音がうるさい!」、「うちの電話番号や住所をなぜ知っているんだ!」と、わざわざ選挙事務所の番号を調べて電話を入れてくる。候補者の政策や訴えに問題や関心がある訳ではない。
選挙期間中の戸別訪問は禁じられているが、候補者の後援会への加入活動は選挙期間以前に行われる場合もあるだろう。これも難しくなっている。玄関先に出るまでもなくインターホン越しに「うちは結構です」と拒否できる。それ以前に、カメラ越しに見慣れない人には応答しないという居留守もできる。
候補者がいくら届けたいと思っても、相手は目と耳を完全に塞いでいる。芸能人か有名人でもなければ有権者が寄ることはない。それでも「関心を高めろ」と候補者に求めるのは酷な気がする。
投票所へ行けない高齢者
地域には自分の足で投票所へ行けない人たちがいる。歩くのがままならない。自動車の運転免許を返納した。地域を走っていたバスが無くなってしまった。交通手段の無い高齢者が増えるにつれて投票率が下がっているように思える。近くに顔見知りの親切な人がいればよいのだろうが、社会は孤立化が進み、近所付き合いも疎遠になっている。わざわざタクシーを呼んでまで投票所へ行くほどでもない。そんな金もない。孤立しがちな高齢者に寄り添う手立てが必要なのは、選挙だけの問題ではない。ちなみに公職選挙法では、選挙運動員が投票所まで有権者を送迎することは投票干渉行為として禁じている。では、誰が手を差し伸べるのか。いっそ投票箱が地域を巡回する仕組みがあればと考えてしまう。
買い物は投票と同じだけれど
なにを買おうか、どちらを買おうかと、毎日のようになにかを選んでいる。支持されたメーカーは売り上げを伸ばし、増産するかも知れない。支持されなかったメーカーは赤字を増やし、生産をやめるかも知れない。なかには「なぜ、あんなものを売っているのだ」と思える品があったとしても、それは買う消費者がいて需要があるから。消費者がなにを選ぶかでメーカーの今後が決まる。それぞれの消費者は、なにかしら自分なりの基準をもっている。価格か、量か、質か、産地かも知れない。
買い物は「選挙」、メーカーは「社会」に読み替える。しかし、現実は「なにも選ばない」が過半数を占めている。自分たちが暮らす社会のことを、なにも考えないことが問題に思える。ここ数年、投票所で投票証明をもらってくれば、買い物や飲食が割引される「選挙割」というサービスも見られるが、これは根本的な解決ではない。候補者の声と考えをどう届けるか。関心を呼び起こすか。「見ざる・聞ざる・行かざる」の有権者を動かすことができなければ、現代社会の抱える問題は解決できない。社会的な課題を取り扱うソーシャルライターの一員として、有権者へなにをどう伝えればよいのかが悩みどころである。