「”山形村の奇跡”と私たちが密かに呼ぶボランティアさんがいるんです!」と、山形村社会福祉協議会が推す、上條一則さん(1947年生)を訪ねました。地域では長年にわたって仲間とビオトープ(動物や植物が安定して生活できる生息空間)を維持管理。県の自然観察インストラクターを30年以上つとめ、川や野山の生き物、野草のことをよく知るボランティアとして知られています。
山形小学校3年生とホタルを増やすためのプロジェクトに挑戦中
7月18日、山形村立山形小学校の3年生が、学校のすぐ近く、三間沢川の河川敷にホタルの水路を作り、ホタルを増やすためのプロジェクトに取り組みました。国土交通省や漁業組合の許可を得て、ホタルを飛ばすための小川を35メートルほど整備。
この日は3年2組28名が参加。数回にわたって、シャベルを使って本流の横に深さ20〜30センチ幅50〜80センチほどの水路を掘りました。
このプロジェクトの始まりは、昨年2年生の時にホタルとそのエサとなるカワニナの育て方を研究したこと。上條さんが協力し保護者と共に「ホタル観察会」も行いました。
そして「学びの発表会」での子どもたちの熱心な研究発表に教育委員会関係者など地域の人たちが心動かされます。3年生になった時、ある子が「この辺にホタルを見かけたよ」と報告。そこで、上條さんをアドバイザーとしてこのプロジェクトが始まったのです。
数年後、子どもたちの成長と共に、この水路周辺をホタルでいっぱいにすることを目標に活動しています。
上條さんは35歳からボランティアをスタート
上條さんのボランティアの始まりは、自身の子どもが保育園だった35歳の頃です。その後、2002年に山形村の小坂地区(おさか)の廃田に100メートルの水路を作りました。当時の主力は「ゲンジボタルを増やす会」という10人ほどの保護者会でした。
子どもの頃から、虫が好きだった上條さんですが、その当時から「地域の環境が昔と違うぞ。温暖化の兆しがある」と感じていました。かつていたはずのチョウやカゲロウなどの数が減って、近くの田んぼや里山に自生していた野花も少なくなりました。高度経済成長が加速した1960年代、道路や新興住宅地などの整備で、生き物や草花が激減してしまったのです。
生き物が5種類から80種類のビオトープへ
ビオトープの活動を通して「環境を作ってやれば、生き物が集まってくる」と上條さんは手応えを感じます。
作ったばかりの水路は、ゲンゴロウなど5種類程度でした。それが5年で20種類に。「これらの水生類をなんとか子ども達に触らせたい」と上條さんたちは胸を躍らせました。「でもあと5年は様子を見よう」と、はやる気持ちを抑え、生息する生き物たちの数がもっと増え、定着することで安定して開放できるようにと公開を待つことにしました。
結果、生き物が年間50種類にも増え、網ですくえば、たくさんの生き物たちを見ることができるまでになりました。
そして、社会福祉協議会が主催する「子どもひろば」や、図書館・小学校の「自然体験クラブ」などの行事として、ビオトープ体験を実現させたのです。「生き物に直接触れたその感触、小川に足を踏み入れた時の感覚・・・最初は怖がる子もいますが、慣れると子どもたちはもう夢中になります」と眼を細める上條さん。
ビオトープは日本中にたくさんあっても開放しているところはそんなにないとのこと。現在生息する生物は80種類ぐらい。そのうち9割が絶滅危惧種に指定されていると言います。ゲンゴロウ、トノサマガエル、アカハライモリ、ツチガエル、タイコウチ、ミズカマキリ、オケラなどなど。今では継続してビオトープを保存管理し、地域の子どもたちがそこで遊ぶのを楽しみにしています。
「自然体験」が未来の人生の大きな助けに
1960年代以降、核家族化、少子化、そして子どもたちの生活スタイルが急変。「親が、子どもに川や野山で遊ぶことをさせたがらなくなった。学校でも危ないことはさせてはいけない時代になってしまった」と上條さんは続けます。
しかし「今の子も、チャンスさえあれば昔の子どもと変わらないはず。今は親もこういう体験をした人が少ないため、我が子がビオトープで遊んでいるところをぜひ見てほしい。一緒に参加すればみんな夢中になります」
「本などで得る知識と体験は大きく違う。大人になって、いつかこの体験が何かの役にたつんじゃないか、その子が課題に直面した時に大きな力になるんじゃないか」。そんな想いを胸に、上條さんは「子どもたちに好きな生き物を見つけてほしい」と話します。
上條さんの原点はブナの木との出会いから
上條さんは地元出身、戦後2年目に生まれ、山形村中が物もお金もない時代でした。干し芋や干し柿が主流のおやつだったと言います。「腹一杯食べられないから、学校から帰って家の手伝いが済めば、グミや木イチゴなどのおやつを野山に探しに行きました。とにかく腹がいっぱいになればよかった。だからどこにいつ食べられる実がなっているかが頭に入っていました」と幼少期の体験を語ります。
「自然の中に入ると、自分が貧乏だってことを忘れられる。たまにタヌキにも出会って、嫌なこと忘れられて、落ち着く」とも。上條さんが中学生の頃には貧富の差を意識するようになり、家庭が貧しいと、友達との間で馬鹿にされる辛い経験もします。「山に入るとホッとするんです。不公平なく自然は包んでくれます。自然と仲良くなることが無意識に身についていきました。あとはクマと友達になるだけ」と冗談を言って笑います。
「その頃、山の中でブナの木を見つけたんです。抱きついているだけで、全部の気持ちをわかってくれて、不思議と優しく穏やかな気持ちになるんです。中学時代、その木にどれだけ助けられたことか」。こうした体験は、これからの子どもたちにも、大切なのではないか。そんな想いが上條さんのボランティアの原点です。
本当の豊かさとは、自然と共に生きること
「これからも食べ物に苦労する時代が来るかもしれない」と、上條さんは身近な山菜や草花と生活との関係について、自分で冊子にまとめたいと話しています。絵を描くのも好きとのこと。また元々の仕事が、建築設備の設計だけあって、ものづくりが好きという側面もあります。取材した日にも器用に、川の深さを図るための枝を、小刀で作って子どもたちに渡していました。
自宅には、図鑑が並び、戸が開けられないぐらいの量だといいます。子どもの頃から、現在に至るまで、「虫や自然に触れて生きてこられて、お前は幸せだったな」と周りに言われるとのこと。
「みんなに助けられて好きなことをして、こんなにいい人生はない。だからこそ、育ててもらった村にお返しをしたい。自分が知っていることは村の中に遺していきたい」。また「仲間がいてこそ、20年やっていられた」と、強調します。趣味の昆虫採取では、3人の先生に出会い、全国を飛び回って知人もたくさんできました。
「本当の豊かさってなんだろうと考えた時に、好きなものを食べたり買ったりするんじゃなくて、庭に出ればホタルが飛んでいて、山に入れば木イチゴがあり、お金では買えない豊かさがあることだと思うんです。ぜひ、みなさんも自分の木を見つけてほしい。きっといつか、行き詰まったときにおだやかな気持ちになれるはず」。
最後に、上條さんのこれからの人生について尋ねると、「これからも困った時はブナの木に抱きついて、また原点からやっていきます」と微笑みました。
取材:2023年7月18日 文責:ナガクル編集デスク 寺澤順子
取材協力:山形村社会福祉協議会、山形村立山形小学校、長野県共同募金会