“人が成長する部品”も組み立てるユニークな会社ーイケダエンジニアリング

創業は明治39年(1906年)当時、鉄のヤスリを作っていた。曽祖父から数えて113年。現在は、町内にある製造業で一番古くなった有限会社イケダエンジニアリング。ヤスリに代わって機械部品加工をはじめた父の後を池田竜夫さんが継ぎ、四代目を務めている。

歴史ある池田ヤスリ店時代の看板

大学で機械工学を学び、上場企業に就職。本社で設備投資の財産管理を担当した。工場ラインを組み、採算性を計算し、億単位の価格交渉もした。面白くやりがいのある仕事で、収入もそれなりにあった。そんな竜夫さんを見て、「もう戻って来ないだろう」と思った父は、自分の代で会社をたたむつもりでいた。

一時期、ロードバイク通勤で体を鍛えたという代表取締役 池田竜夫さん

そんな父に、自社に合いそうもない大型機械を買うほどの驚きが訪れる。きっかけは、オーストリアの経営学者で、著書『マネジメント(1974)』で知られるピーター・ドラッガー(1909-2005)だった。もともと読書好きだった竜夫さんがドラッガーの思いに触れ、自分の中に夢を描く部品が生まれてくる。「サラリーマンでは物足りない、自分でやりたい、自分で経営したい」との思い重なって、実家の会社へとつながる道が組み上っていった。あの時、父の喜びの大きさを表した大型機械は、今では会社の一番の売りになっている。

前途多難なスタートから産まれた『イケダ君』

1997年末、竜夫さんは帰郷し会社を手伝いはじめた。父は「銀行や商工会の会合にはお前が全部出ろ」と言う。おかげで地元や仕事の人との関係ができた。公益財団法人長野青年会議所(長野JC)にも入った。前職で人と接し、交渉することをおもしろいと感じた経験が、ここで活きる。

以前から「好きにやれ」と言っていた父が身を引いた2008年、竜夫さんは代表取締役になった。直後に世界規模の金融危機リーマンショックが訪れる。前途多難な四代目のスタートだった。

仕事がない。やることがない。暇しかない。何でもいいから機械を動かしたいと社員に渡した図面から『イケダ君』(アルミ製ロボットオブジェ)が誕生した。思い描いたのは、おもちゃ的なもの。いろいろな形を組み合わせたらロボットの形になった。組み立てて、分解し、また組み立てる。その単純さが良い。なんの意味もなく、ただそこにいるだけが良い。

出品したイベントでは、子どもたちがすごく喜んだ。大人もハマった。「欲しい」と言う人もいるが、これは本業ではない。今は、あの時ほどの暇がない。「どうしても」と言われて作ることもできるが、納期には十分な期間をもらっている。

アルミ製と聞いて軽いのかと思ったら、ずっしりと重量感のあるイケダ君
イケダ君がバラバラに!? 産業フェアなどのイベントで子どもたちに組み立て体験を提供。行列ができる人気ぶりだ!

 

めざすのは地域1番のユニークな会社

今は、大物(2メートル)から小物まで、アルミ、ステンレス、鋳物、溶接物等、各種の部品加工を受注している。

単純な仕事なら、どこでもできる。量産型の仕事は、納期と安さが求められる。価格競争で体力をすり減らしたくはない。ほかに安いところがあれば、仕事は海も渡って行ってしまう。親会社の顔色をうかがうような不自由さは味わいたくない。現在は特定の会社の下請けにならぬよう、多くの会社からの仕事を組み合わせて経営している。

めざすのは、個性的で独特な会社。ほかにはないユニークさで地域の一番になりたい。どこでもやれる仕事ではなく、うちでしかできない仕事を優先する。複雑な形状で、難しく面倒な仕事にこそやりがいがある。どうやってやろうかと考えているのが楽しい。

求められる仕事は拒まない。ほかにできないから、うちに回ってくる。やっているからこそ、次の注文が来る。そんな仕事は、困っている人の助けにもなる。ここでしかできない頼りになる存在でありたい。

磨かれた壁に整理された工具がここでしかできない仕事を支えている

 

人を成長させる部品

現在の社員は5名。うち3名は10代から20代の新卒採用者。新卒者は、仕事も社会のことも知らない。こちらが教えた通りにやり、教えた通りに間違える。その無垢さに感動する。

教育が自ら考える機会を奪うこともある。社員の成長を止めていたのは、実は自分だった。気づきはインフルエンザとともやってきた。ベテラン社員が同時に寝込み、仕事が止まってしまったのだ。発注先からの催促に悩み、新卒者に「やってみろ」と任せたら、しっかりできた。やらせれば、できる。身に付くのは、自分で考え、自分でやってみた結果だ。いまは、自分で考えさせる放置的な「しない教育」を心がけている。やってみて、わからなければ人に聞けばいい。人に聞くため、なにをどう聞くのかも自ら考える。機械の部品を組み立てるように、人も経験という部品を積み重ねて成長していく。

大物(2メートル)から小物まで、アルミ、ステンレス、鋳物、溶接物等、各種の部品加工のための設備をそろえている。徹底した環境整備で磨かれた明るい工場内。

 

もっと楽しくと思いながら描く図面

「なにかをしたい」と前職を離れた。その時に思った新しい挑戦には、まだ図面がない。何かをやった方がいいなと感じながらも、その何かはまだ見えていない。でも、会社を大きくしたいという思いはある。個性的でユニークな会社に求められるニーズは意外と多い。それに応えられる規模にしたい。お客さんにもっと喜んでもらいたい。やれることが増えれば、社員ももっと楽しくなる。自ら進んで成長する機会が増え、人が育つ。

問題は、それを考える時間。人員的なことも敷地も考えなければならない。自分の分身がいればと思う。やりたいことを探る時間が欲しい。でもそれは、自分でなくてもいい。自分が入院中も会社の仕事は回っていた。自分でなくても誰かがやってくれる。そう思えたのが、不幸中の幸いだった。

今すべきことは、次の代を育てることかも知れない。社員は皆、技術者として優秀だが、経理や経営には携わっていない。自分の分身のように、いっしょに考えられる社員を育てること。いつか任せられる人ができたら、自分は世界を旅したい。観光地ではなく、いろいろな街を見たい。そこに暮らす人々に触れたいと、先に続く図面を思い描いている。

(執筆:吉田百助)

有限会社イケダエンジニアリング 〒381-1231長野県長野市松代町松代950

イケダエンジニアリングは祝神社のある「鍛冶町」に位置する。松代藩の町の風情が残る

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