明治32年(1899年)に披露された県歌『信濃の国』の3番は、長野県の産業である蚕糸業(さんしぎょう:カイコを育てまゆから絹の糸を作る産業)を次のように歌っています。
しかのみならず桑とりて 蚕飼の業の打ちひらけ
(そればかりでなく桑の葉を摘み取って育てる 養蚕の技術が広がり)細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり
(養蚕農家は小規模ながらも大事な仕事をしており 国の命運を支えている)
この歌詞からも、蚕糸業は当時の国の基幹産業の一つであり、長野県が蚕糸王国であったことを示しています。
しかし、このような養蚕とは一線を画した蚕糸業が、安曇野市穂高有明地区で江戸時代に始まっていました。野生種である天蚕を自然の中で飼育する穂高天蚕糸業です。
天蚕糸は自然との共生の中から生まれた蚕糸。過去に自然災害や戦争で一時生産が途絶えましたが1973年に穂高町の有志によって飼育が再開、安曇野市天蚕振興会(以下「振興会」)が設立され、天蚕飼育の復活および飼育、操糸、機織り技術を後継者へ継承するための拠点として、今に継承されています。
2024年6月15日、振興会は、安曇野市天蚕センターで「高機(たかはた)織りワークショップ」を開催しました。安曇野の風土や歴史の中で育まれてきた天蚕文化を多くの人に知ってもらい、天蚕を身近に感じてもらうための活動の一環(普及啓もう活動)です。
「お蚕(カイコ)さんとは?」安曇野市天蚕振興会会長にきく
天蚕(てんさん)って何?
あの白いカイコとは違うものなの?
高機(たかはた)ってどんな機械?
いろいろなクエスチョンを抱いて訪ねました。ワークショップに伺う前に、事務室に在席していた振興会の田口会長に話を聞きました。
天蚕は天然のお蚕(カイコ)さん。日本固有種の野蚕
話を聞いて分かったことは、繭を作るカイコには、大きく分けて「家蚕(かさん)」と「野蚕(やさん)」があり、多くの人が認識しているカイコは養殖の「家蚕」だということ。
家蚕はカイコガの幼虫で白色。桑の葉を食べ、白い繭を作ります。良質な絹糸を安定して生産する為に、長い時間をかけて品種改良され、養蚕農家の管理された屋内で飼育されます。家蚕は養殖の「お蚕さん」なのです。
一方、天蚕は自然の山野に生息するヤママユガの幼虫で、日本固有種の野生の「お蚕さん」。林の中でくぬぎの葉を食べ、緑色の繭を作ります。人による管理が難しく、その上自然環境の影響を受けるため生産性が極めて低く、希少価値の高い「お蚕さん」でもあるのです。
天蚕の糸は“繊維のダイヤモンド”
天蚕と家蚕とでは生糸の値段が大きく違うことから、天蚕糸は“繊維のダイヤモンド”と呼ばれています。農林水産省の統計(『蚕糸業をめぐる事情 令和6年6月』)によれば、令和5年の国産生糸の価格が1㎏1万1,500円、輸入生糸は9,732円。これに対し、天蚕糸は「1㎏60万~70万円で取引されています」(田口会長談)。それだけ天蚕糸は希少な生糸なのです。
“繊維のダイヤモンド”といわれるゆえんは高値、希少価値だけではありません。光沢のある美しさと優美な風合いが何よりの魅力だからです。
天蚕糸を織り込み、世界に1つだけのMyストールを制作
ワークショップの参加者は50代から60代の女性4人。
高機という織り機に座して作業が始まっていました。縦糸は高機に張られてあり、足で高機の踏み木を踏んで縦糸を交互に上下させ、杼(ひ)という用具を使い、開口した縦糸の間に横糸をスライドさせます。横糸を入れたら、筬(おさ)という櫛状の道具で、縦糸に通された横糸の目を詰めます。この作業を繰り返すことでストールが織り上がっていきます。
感性で織る。楽しいけれど難しい
制作するストールのベースは家蚕繭の絹糸ですが、タイミングを見て、天蚕糸(きびそ糸、びす糸)を横糸に差し入れて模様を作ります。長さ約120cmのストールを午前3時間、午後4時間かけて織り上げる根気のいる作業です。4人の参加者に作品を見せてもらいながら、体験の感想を聞きました。
Aさん(横浜市と豊科町に住まいを持つ) 初体験です。めっちゃ楽しい! 真剣に「ツルの恩返し」の世界観を体験しています。
Yさん(安曇野市在住) 初体験です。耳がきれいに並ばなくて、難しいです。
Mさん(安曇野市在住) 2回目の参加ですが、出来上がったときの色合いをイメージすることが難しいです。縦糸に天蚕糸を差し込むタイミングですね。
Oさん(松本市在住) 初参加です。楽しいですが難しいですね。特に手と足がバラバラになってしまって、織り進めるリズムというか調子がなかなかとれません。
共に振興会の機織り部のスタッフとして、技術向上と後継者育成に取り組みながら、
自宅を工房に機を織る。
振興会の一番の課題は「多くに人に知ってもらいたい」
安曇野市の天蚕飼育は、江戸時代の天明年間(1781~88年)に始まり、250年余にわたり受け継がれてきた歴史を持ちます。
しかし、明治期の病気の流行や大正期の焼岳の噴火による降灰被害で卵や幼虫の数が激減。さらに第二次世界大戦や産業構造の変化で天蚕飼育はいったん途絶えてしまいます。復活に至るまで著しい盛衰を経なければならなかったのは、「天蚕糸は自然との共生の中でしか発展し、継承していくことができない産物だから」と田口会長は自然との共生を貫いてきたことに胸を張ります。
田口会長はまた、「穂高天蚕糸の保護と後継者の育成。そのためにも多くの人に天蚕の歴史や生態を知ってもらいたい」と熱く語ります。新たな視点も大事で、「穂高北小学校にはクヌギ林があり、天蚕を児童が飼育している。とれた繭は飼育した児童がコサージュにして家族にプレゼントする。卒業式に着けてくる母親が多いと聞く」と、安曇野に暮らす子ども達に地域の誇りを伝えていく活動にも取り組んでいます。
安曇野市天蚕振興会 〒399-8301長野県安曇野市穂高有明3618-24 TEL0263-83-3835
<取材・執筆>ソーシャルライター 佐藤定子